ドッペルゲンガー
「僕は、二人のドッペルゲンガーに出会いました。週末の昼過ぎ。街中にある、人気なカフェでのことです。
その日、僕はお気に入りのロングコートを着て、街を歩いていました。ええ、ちょうど今着ているものです。母から古着として譲り受けた物なのですが、なかなか着心地が良くて。ただ、女物を着ていることが友人に見られてしまっては恥ずかしいので、休日しか着ないのです。
街へ行った目的は、ただ、雑誌で見た洋服を実際に見てみたかっただけでした。その目的を果たした後、腹も減っていたのでカフェに入った、というわけです。
カフェは混んでいて、席が空くのを待っていた時、例の二人と初めて出会いました。ドッペルゲンガーなんて都市伝説を、信じていなかったものですから、本当に驚きました。髪の長さや服装は全く別物だったのですが、確かに、目や鼻といった顔のパーツや、生年月日は、全く同じだったのです。店員さんに、三つ子だと間違えられるほどで、僕たちは同じ席に案内されました。
ドッペルゲンガーの一人は、祐さんといいます。祐さんは男らしい方で、その日はTシャツにジーパン、その上からスポーツジャケットを羽織っていた気がします。僕と同じクセっ毛な筈なのに、髪が短いから毛先がはねる余地も無いのです。
もう一人は、芽衣、と名乗った方でした。芽衣というのは、本名ではないそうですが、本当の名前は最後まで教えてもらえませんでした。彼の本名を聞いたのは、今日が初めてというわけです。
芽衣さんは、髪を長く伸ばして、一つに結っていました。白色のタートルネックで首元を隠し、黒色のロングスカートで足も隠していたので、声を聞くまでは女性だと思い込んでいました。
僕は、二人の生い立ちに、とても興味を持ちました。それは二人も同じだったようです。同じ顔をしているのに、育った環境が違うだけで、こんなにも異なる恰好なのですから。僕たちは順番に、生い立ちを語り合いました。
祐さんは、絵に描いたような、男の子でした。小学生の頃は、サッカー教室へ通っていたそうです。きっかけは、親が勝手に申し込んだだけ、と言っていましたが。それでも、中学、高校でも部活動でサッカーを続けていたそうです。サッカー部というと、華があって、女子からも人気なイメージですよね。僕とは無縁の世界の住人なのだと痛感しました。今は大学で、建築工学を学んでいるそうです。デザイン分野も学ぶことができて楽しいと、熱く語っていました。
しかし、僕は思うのです。祐さんは、たしかに、僕とは違う世界に生きています。しかし、もしも僕に、一般的な人々と同じように生きる覚悟があったのなら、僕も祐さんと同じような人生を送っていたのかもしれないと。僕には、そんな覚悟はありません。僕の考え方は、一般と大きく異なります。だから、その、いわゆる普通、というやつが、訳の分からない恐ろしいもののように思えるのです。そんなものと、同じ向きを向いて、足並みを揃える生活なんて、僕には出来ません。だから、僕は祐さんの生き方は恰好良いと思いました。
芽衣さんは、中学校までは、僕と同じような生活を送っていたそうです。文化系のクラブ活動に参加して、学校の中では、勉強の成績も悪くなかったと、謙遜するように話していました。しかし、高校に入学するときに今の生き方に変えたそうです。中学生の頃から徐々に、女の子のファッションやカルチャーに興味を持ち始めた、と言っていました。あの日、彼も僕と同じ雑誌を見て、僕の目当てであった洋服を買いに、街へ来ていたそうです。高校では女の子の友達ができたと、嬉しそうに語っていました。今は大学で、心理学の勉強をしているそうです。いつか、同じ悩みを持った人に出会ったなら、きっと幸せになれる道へ導きたいと、夢を語っていました。
僕も、芽衣さんのような生き方をしようかと、何度も悩んだことがあります。けれど、実行に移せなくて。だから、芽衣さんは僕の憧れです。僕も、どこかで、同じ決意をしていたならば、芽衣さんのようになれたのでしょうか。」
そこまで話したところで、
「君は、何を語ったんだい。」
と質問が入った。そうだ。二方は生い立ちを話したのではない。語ったのだ。自身を形成した選択を。自慢げに語ったのだ。
「僕は、」
と答えようとしてから、自分に語ることができるような武勇伝が無いことに気が付く。
「僕は、普通に生い立ちを話しました。」
自分は話したのだ。決して自分語りはしていない。
「今の今まで、自分の考えが周りの人々と異なることを隠し、しかし皆に合わせることも出来ず、独りぼっちな気がしていると。僕には勇気が無くて、きっと二人から見れば、格好悪い人間であったでしょう。
もしかしたら、僕も彼らのように幸せになれたのかもしれない。そう思うと、後悔のような、残念な気持ちでいっぱいになってしまう。僕はあの日から、何度も自殺を考えました。しかし、その考えを実行する勇気もまた、無かったのです。」
そこまで聞いて、警察官は話を次の段階に進めた。
「君の話す、祐さんと芽衣さんが亡くなったのは、知っているね。」
「はい。ドッペルゲンガーの都市伝説は本当だったのですね。同じ顔の人間が、世界には三人いて、その人たちが出会うと、死んでしまう。」
「君は、この死が、都市伝説の呪いによるものだと思うのかい。」
そう言うと、警察官は二冊のノートを取り出した。とある自殺者の日記だそうだ。
「今日は街へ出かけた。例の洋服屋の前を、通り過ぎることができたので満足だ。帰りに寄ったカフェで、二人のドッペルゲンガーに出会った。二人は、自分の考えに嘘をつかず、正直に生きる素敵な人物であった。私は、人生をどこからやり直したら、彼女らのような生活を送れただろうか。どこかで違う選択をしていたならば、こんな風に苦痛に耐える生活も、知らずに生きていけただろうか。私が幸せになるには、もう手遅れなのだろう。私の残念な一生は、ここで終わりにしたい。」
ノートの最後のページであった。
「これは、祐さんの家にあった日記でね。この日、祐さんは首吊り自殺をして亡くなったんだ。この雑誌も一緒に置いてあったよ。」
僕は、その雑誌を見る前から、嫌な予感がしていた。その予感は的中だ。警察官が取り出した雑誌は、僕と芽衣さんが持っていた女性誌と同じだった。そして、例の洋服のページに、付箋が貼ってある。まるで、その洋服を一目見てみたいと、願っていたように。
きっとドッペルゲンガーは、気持ちだってそっくりなのだ。祐さんだって、我慢して生きていたのだ。僕はそれを知らなかった。きっと芽衣さんも知らなかっただろう。
二冊目のノートは、誰の日記なのか。もう予想はできていた。
「今日は街で、面白いことが起きました。ドッペルゲンガーに出会ったのです。二人は男性でした。私のような、変わり者では無いのです。同じ顔をしているのに、きっと彼らは、友達に作り笑いをさせながら、タピオカドリンクを飲みに行ったり、コスメ売り場で騒ぐ文化を知らないのでしょう。私にとって、その文化の中で生きることは幸せだったのですけれど、今日の日をもって、なんだか自己中心的で虚しいもののように感じるようになったのです。しかし、私は変わり者ですから、他の生き方を知りません。ですから、もう、私は生き方が、分からないのです。」
滲んだ一文で締めくくられている。
「どうして僕は、生きているのでしょうか。」
自分の理想とした生き方だったのに。自ら終わらせてしまうなんて。僕は一生、理解できないのだろう。僕の生き方は辛い。生きながらに消えてしまいそうだ。どうして、こんな人間に会って、絶望することがあるのか。二人のように生きられたらと、何度でも考えたものなのに。
「どうしたら僕は、幸せになれるのでしょうか。」