第8話
女子スレが無くなった事で豚長としての居場所が無くなり、普通の名無しに戻ることになった。コテというのはよっぽどのことが無い限り付けないのが普通なのだ。ドクオ板にも用が無くなってしまったので、2005年はネタスレを楽しむVIPPERとして生活する事が早々に決定した。見るだけでなく参加もしていたが、『全裸でコンビニに突撃』などの過激系は専ら見るだけで、例えば指定したアンカーの内容通りにスレが進行する『安価スレ』で〇〇をしろ、〇〇を描け、なんて指示レスをして遊んでいた。他にもVIPから生まれたブーンというキャラクターをモチーフとした小説を読んだり、スレ立て主の現実と妄想が合わさったような釣りスレに全力で引っかかったりして楽しみ、気付けば根っからのVIPPERに変貌を遂げていたのであった。これがネットの中だけなら良かったのだが、あろう事か私生活にも影響してしまう。それは、新学期が始まった日に三村と格闘技の会話をしていた時のことだ。
「俺さ、大晦日にミルコ応援しに現地行ったんだよ。すげぇ迫力だったぜ」
ミルコというのは、当時のPRIDEという総合格闘技イベントで大活躍していたミルコ・クロコップ選手の事である。流石は三村だなぁと思い、俺は本心で答えた。
「うわぁ、テラすげぇな!うらやましい!」
「は?テラ?なにそれ流行ってんの?」
マズい、あまりにも自然に出てしまった。言われて気付いたレベルで全くの無意識であった。全身から血の気がサーっと引いていくのが感じられる。
「あ、や、その…ハハ…」
「なぁ、テラってどういう意味?」
「えっ、とね、その、凄いって、ことなん、だけどその、ね、ネットで、つか、使われてる、っていうか、うん…」
「なんだよオタクの言葉かよ。相変わらずキメェな」
言いながら三村は笑っていたが、こちらとしては2ちゃんねらーだとバレてしまわないかビックビクである。しかし、VIPPERでもない限り適当にごまかせるな、と思い直したらスッと心が楽になり、のらりくらりと質問をかわして結果的には事無きを得た。にしても、意識が足りなさ過ぎた事に関しては猛省せざるを得ない。そのうち『っうぇっうぇ』と言い出したらたまらないので、2ちゃんねらーとしての意識を今まで以上に高めていこうと心に誓った。
女子スレが無くなった事で、もう1つ弊害が生まれた。例のまどかさんに本気で恋しちゃったのである。女子スレに在住していた頃、俺の中では『毎日女の子と会話を楽しむ高校生』と思っていたばかりでなく『毎日女の子の相談に乗っているイケてて優しい男』という、恐ろしい程アホな虚像を築き上げていた。このドクズが。女性と話したい欲求が日に日に高まり、その標的が徐々にまどかさんへシフトされていき、気付けば頭がまどかさんだらけになり、夜になるとベッドで胸を抑えながら悶えるという事態に陥った。目を閉じて、どうにかならんものかと考えるが、まどか攻略への道のりはあまりに険しい。まず、接点がない。相変わらず席替えで近くにならないし、授業で一緒になって何かをする、というイベントも全く起こらない。そしてまどかさんは大抵、携帯をじっと見つめて動かない。休憩時間はもちろん、何なら授業中も携帯を見つめている。恐らく携帯小説にハマっていたと思うのだが、たまに携帯を見ながら声を出さずにポロポロと涙を流し始めるので、初めて見た時は本気でビックリした。放課後に話しかける作戦も思い付いたのだが、陸上部でマネージャーをしているのですぐに校庭へと向かってしまう。そもそも無口で昼休みも決まった人としか食べないので話しかけようがない。こういう時は2ちゃんねるを頼るに限る。恋愛サロン板でどうにかならないかと色々と探していると、『まどかちゃんが好きな人専用スレ』という大変なスレを見つけてしまった。これは覗くしかない。スレを開くと、住民達がまどかについてあれこれ語っている。
「俺が好きなまどかちゃんって清楚で一途なんだよね」
「黒髪が多い気がする」
「背とかちっちゃくねぇ?」
「俺の近所のまどかさんはモデルみたいだぜ」
見た目や性格って名前で決まるのだろうか。 とりあえず俺もレスをする。
「おとなしい子でどう接していいかわからないんだけど、どうすりゃいいの」
すると、意外にも早くレスが返ってきた。
「わかる!そこが可愛いんだよな」
「きっかけ作るのって難しいよね…」
ありがとう、同志よ。俺の気持ちをわかってくれるのはここの住民だけだよ。それからというもの、連日のようにスレに入り浸ってワイワイまどかさんについて語り合っていた。みんな奥手なのかと思いきや意外と行動派が多く、それぞれの成果がスレへどんどん報告されていく。
「教科書貸してって話しかけた!まずは1歩前身!」
「手紙書いたけど、他の連中に見つかるのが嫌で渡せないんだよね」
「友達経由でメールだけ教えてもらえた。でも送る勇気がまだ…」
こんな風に俺も何かすれば良いのだ。しかし、三村や堀内辺りにイジられるんじゃないかとか、クラスの人にまどかさんの事を好きなのがバレるのが嫌だとか、変にウジウジして勇気なんて出やしない。
「みんなすごいな。俺なんか毎日見てるだけで何もできないよ…」
こんな風にレスをするのが精一杯である。おめーみてーの見てっとイラつくンだよ!この糞まみれ童貞野郎!と思うのも無理はないので、どうぞご自由に思う存分ぶっ叩いてやって下さい。そんな中、ようやくその時は訪れる。超幸運な事に、新年最初の席替えでまどかさんの席が俺の真後ろになったのだ。そりゃあもう大変ですよええ。振り向けばまどか。前を向いても後ろからまどか。起立、礼、着席、まどか。まさにまどか地獄。いや、まどか天国か。そんなんどうでもいいんだよ、とにかく、常に俺の背中がまどかさんの視界の中に捉えられている、と思うだけでソワソワが止まらず、授業に全く集中できなくなった。学校に行くのが数倍楽しくなったのはいいが、元々落ち着きのない性格なのに拍車を掛けて無駄にあたふたしてしまって調子が狂う。とりあえず、まずはまどか専用スレに報告せねばなるまい。
「まどかさんの席が真後ろになっくぁwせdrftgyふじこlp」
俺は興奮を抑えきれずレスをした。
「マジか!おめでとう!」
「1歩近づいたジャマイカ!」
「いいなー、うらやましい」
みんなが祝福してくれる。嬉しさと興奮がさらに高まり、心臓をトクトク鼓動させながらニタニタしてレスを追っていく。すると、いきなり我が目を疑うレスが放たれた。
「私もまどかって名前だよ!」
あろうことか、まどかの名前本人が降臨したのだ。彼女は続けて語る。
「友達にも同じ名前の子がいるんだけど、その子も結構奥手なんだよね。私もそうなんだけど、気持ちを伝えられるの待ってるタイプなんだ」
興奮状態の俺はその発言を『陸上部マネージャーまどか』として勝手に置換してしまい、そのまま真剣にレスを読み進めた。
「普段は部活のマネージャーやってるんだけど自分のクラスの人が好きだから、他の人を見ても全然、何とも思わないんだよね。この名前の子って、みんな一途なのかな?」
読み終えた瞬間、何かが俺の中で弾けた。
偶然にしてはあまりにも出来すぎている!間違いない、まどかさん本人だ!
……はっきり言おう。本来の名前は世間にありふれている一般的な名前だ。そして、2ちゃんねるを見ている年齢層は小学生もいれば還暦をとうに超えた爺さん婆さんまでいる。地域に関して言えば全国47都道府県。その中で俺の想像するまどかさんが、2ちゃんねるの特定のスレで、ピシャリとレスをする確率がどれだけあるというのか。さらに言うと、陸上と一言も言ってないのに、なぜこのエロ豚は勘違いしているのか。もっと言うと、ここまで気味の悪い豚とクラスのマドンナが両想いになっている可能性を、否定せずに肯定から入っているというのは何様なのか。恋って、恐ろしい。
次の日、俺は一大決心をして行動に移した。いつものように三村と堀内にイジられながら1日が流れていく。6時限目のチャイムが普段通りの時間に鳴り、全員がいつものように帰り支度を始める。その瞬間、俺は物凄い勢いで後ろにバッと振り返った。まどかさんの目がビックリしてパチパチしている。かわいい。俺は勇気を振り絞って声に出した。
「ま、まどかさん、2ちゃんねるって見てる!?」
「え…」
一瞬空気が止まる。そして。
「いや、知らないんだけど…」
「そ、そっかぁ…ごめん…」
声を震わせながらゆっくりと前を向いた。両ヒジを机に付け、そのまま固まった。身体が動かない。頭が働かない。気付いたら帰りのホームルームが終わってそれぞれが帰路へ就いていた。俺も帰ろうと立ち上がったが、左足がガクッとなってよろめいてしまった。
「豚、おまえ寝てたろ」
その姿を見た三村がニヤニヤしながら話しかけてくる。いつの間にうつ伏せになっていたのだろうか。
「この後ヒマ?わりぃけど俺の部屋の片付け手伝ってくんね?飯おごるからさ」
「…うん、いいよ。17時くらいにバイクで行くね」
その後、三村の家に行きPRIDEのDVDを観ながら片付けを手伝った。ひと段落ついたところで三村の母を含む3人で近くの中華屋に行き、約束通りラーメンをご馳走になった。家に帰って速攻で風呂に入って21時にはベッドへ。精神も身体も疲れ果てているのに全く寝付けず、気付けば深夜3時。ここでハッとする。学校を出発してからこの時間まで、ほぼ全ての記憶が飛んでいた事に気が付いた。どんなルートで学校から家に帰ったのか、三村の家に向かったのは何時なのか、三村の家で観たPRIDEに誰が出ていたのか、その時どんな会話をしたのか、ラーメンがどんな味だったのか、家に帰って母親に何を口うるさく言われたのか…。そもそも俺は風呂に入ったのか?というか、ベッドに入って6時間も何を考えていたんだ?…色々と怖くなり、そういえば学校から今まで2ちゃんねるを一切見てないなぁ、と思った辺りでようやく眠りに就いた。夢の中にまどかさんは出てこなかったが、寝起き数秒でまどかさんとの一連のやり取りを鮮明に思い出してしまい、思いっ切り溜息をついてリビングへと向かっていった。