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第17話


「ここに書いてあるようにお題目が…」


 置かれた本を指しながら新垣さんが説明をする。それこそ呪文を聞いているようで、全く頭に入ってこない。しかし、怪しいのはなんとなくわかる。先程まで楽しんでいた自分が情けない。仏のように温厚な俺でも、これは流石に呆れる。人生で初めて、両手を横に広げて首を振り、アメリカンな感じでお手上げポーズをした。アニメや映画の世界だけにしか存在しないポーズだと思ってた。


「ほら、新垣ちゃんが真剣に話してるんだから、ちゃんと聞きなさい」


 ラクダ、お前も共犯か。ロリボイスで注意されても全然嬉しくない。当日いきなり来るからおかしいと思ったが、1人より2人の方が勧誘しやすいもんな。そりゃ事前に言わないよな。知らねぇよ、と思いつつ渋々ボーっとしていると、新垣さんが過去の体験を語り始めた。


「あたしね、高校に入ってからずーっとイジメられてたの。上履き隠されるのは当たり前で、机に花瓶置かれたり、ストラップの猫がハサミで切られたこともあったんだ」

「え、それは結構な……」


 今までシカトしてた俺も突然の告白に耳を傾ける。


「クラスの女の子グループにイジメられてね、学校行くのが嫌になって引きこもり気味になっちゃったんだ。でも、先生と相談しながら3年間頑張ってなんとか卒業できてね、高校卒業してからすぐ就職もできたの」

「それで、この宗教へ?」

「ううん、この時はまだ入ってなかったんだ。会社の事務員さんとして就職してね、人付き合いが下手だから話さなくていいなって思ったんだけど、やっぱり少しはコミュニケーションしなきゃいけなくてね。それで、喋るのはやっぱり苦手で、仕事も上手くいかなかったんだ」

「その時に私が新垣ちゃんを誘ったの」

「朝比奈さんから?」

「うん。新垣ちゃん、とっても辛そうにしてたから」

「朝比奈ちゃんってあたしと違って、みんなと仲良くなるのが凄く上手だったんだよね。どうすればいいか相談したら、この宗教を勧められたんだ。その日から半信半疑で毎日祈ったんだよ。みんなと仲良くできますようにって。そしたら、みんなからあたしに話かけるようになってね、職場の人と仲良くなれて、今ではみんな友達なの」


 祈っただけなら確かに効果はある。しかし、引っかかる点はある。


「朝比奈さんはサポートしたんですか?」

「別に何もしてないよ。頑張ってるから話しかけあげて、くらいは言ったけど」


 思いっきりサポートしてるじゃねぇか。


「でも、言ったのは1回だけ。後は新垣ちゃんがお祈りした成果だよ」

「あたしもそう思う。人間関係だけじゃなくて、仕事もだんだん上手くなったからね」


 それは単純に仕事を覚えただけではないでしょうか。


「前より明るくなって、成人式のときに色んな人から『新垣さん変わったね』って言われたんだよね。これも全部、祈ったお陰なんだ」


 元々無かった目がさらに細くなり、それこそ猫みたいに笑っていた。本人が幸せなら別にいいが、俺を巻き込まないで頂きたい。


「朝比奈さんは、どうしてこの宗教に?」


 何となくジャーナリストの気分になってきて、単純な疑問として尋ねた。


「実は私も、高校の頃イジメられてたの」

「え、そんな風に見えないですが…」

「よく言われる。でも、ホントだよ?人付き合いは良かったんだけど、クラスのイジメグループの標的になっちゃったの。殴られたり蹴られたりして大変だったよ。トイレに入ってる時にバケツの水かけられた事もあるし」

「うわ、度が過ぎてますね。先生には相談しなかったんですか?」

「もちろんした。でも、先生はその子達の味方で、やってないって言われて簡単に信じちゃった。必死で訴えたんだけどな」


 朝比奈さんは思い出すように目を伏せた。泣いてるのかな、と思ったが髪を振り払うように顔を上げると、なんとも言えないギラギラした目で俺を真っ直ぐに見つめてニコッとした。


「それでね、ある日、下校中に交通事故にあっちゃったの」

「え?」

「横断歩道渡ってたら車に轢かれちゃって。すぐに救急車で病院に運ばれたみたいで、気が付いたらベッドの上だった。そしたらお医者さんがね、脳に黒い影ができてるって言うの。なんですか、って聞いてもわからない。原因不明。持って2週間だろうって言われた」

「余命2週間…ってことですか」

「そういうこと。目の前が真っ暗になるってこういう事なのかな、って初めて思った。その日は夜も眠れないでずーっと泣いてたよ」


 表情を崩さずニコやかに話す姿に、少し恐怖を覚えた。実際助かってるからここにいる訳なのだが、どうも目の奥が笑っていない気がする。いや、笑っていないというより生気がないと言った方が正しいか。


「次の日の朝、隣の患者さんのお婆さんが凄く心配してくれて、色々とお話したの。それで、この宗教を教えてもらったって訳。最初は私も半信半疑だったよ?でも何もしないよりはマシかな、って思って一生懸命祈った。『どうか助けて下さい!』って」


 朝比奈さんが両手を握りしめてブルブルと祈るようなポーズをする。演技かかった喋り方がめちゃくちゃ気になるのだが、今は触れないでおこう。


「そしたら、2日後!!」


 いきなり机を両手でバンッ!と叩いて目を黒く輝かせた。そんなに大きい音ではなかったが、思わず俺は周囲の反応を窺ってしまう。このやり取りを聞いていたのだろうか、眉間にシワを寄せて、片目を細くしながらこちらを見る人が何人かいる事に、初めて気が付いた。


「お医者さんが私のところに来て、黒い影が無くなったって嬉しそうに報告しに来たの!これは奇跡だって言ってくれた!」

「……それで、結局その黒い影って何だったんですか?」

「最後までわからなかったの。でも、余命2週間って言われてたのが2日で治ったんだよ?これって凄いことじゃない?」

「確かに凄いですが…本当に祈ったお陰でしょうかね?」

「そうに決まってるじゃない!しかも、あんなに私の事をイジメてた女の子達が寄ってこなくなったんだよ?」

「はぁ……」


 それから朝比奈さんは『いかに祈ることが重要か』というような事を話し続けた。俺は適当に相槌を打ちながら聞き流し、別の事を考えた。


 この二人の共通点。それは、精神的に参っている状態を狙われて勧誘された事だ。心が不安定な時、人は誰かに頼りたくなるものだ。その心理を宗教勧誘に利用するとは愚の骨頂なり。だいたい隣の婆さんも祈ってるのに入院してるじゃねぇか。全くロクな宗教じゃねぇ。とりあえず、朝比奈さんに関してはどうも嘘っぽい。黒い影は単純にレントゲン撮影時のミスかもしれないし、そもそも作り話かもしれぬ。イジメだって流石に事故直後はあまり触れないよう自重するだろう。それに、どうやら朝比奈さんが宗教に入って救われたことをイジメグループの子達に話をしたらしい。これは距離を置かれても仕方ないのではあるまいか。


 さて、問題は新垣さんだ。


「ごめんなさい、新垣さんに聞きたいんですけど」

「なに?入信する気になった?」


 ちげーよ、落ち着け。


「あの、今はもう明るい性格になったんですよね?」

「そうだよ。祈ったお陰だよ」

「だったら、もう祈る意味無くないですか?」

「なんで?」

「なんでって、もう幸せなんですよね?」

「うん、幸せだよ。だけどね、祈らないと幸せになれないんだよ」

「いやだから、祈るのやめても…」

「ううん、祈ってるから毎日幸せなの。祈らないとすぐに不幸になるんだよ?不安になるから毎日祈ってるんだよ?」


 なるほど。


 ネタでもなんでもなく、ガチで思う。


 俺は、心が痛い。


 まず、彼女は宗教の力ではなく、周囲の協力と自分自身の努力で、留年することなく高校をしっかりと卒業したのだ。そして、引きこもり気味のコミュ障な彼女が、就職面接の際にどれだけの勇気を出したのか、俺には想像もつかない。なのに、宗教で解決した?祈ったから、幸せになっている?何を訳の分からない事を。毎日の不安なんか誰もが感じているさ。明日、何が起こるかわからないから人生は楽しい。何かのマンガでそう言っていた。つまり、詐欺紛いの意味の無い祈りは今すぐ辞めるべきだ。クソ真面目ちゃん魂に火が付いた俺は、新垣さんだけでも宗教から脱出させようと思った。


 大丈夫、知識はある程度蓄えてある。


 2ちゃんねるとニコニコ動画でな。


「ごめんなさい。色々とお話を聞かせてくれたのはありがたいのですが、考え方が違うので俺は宗教には入りません」

「豚長くんは入らないとダメ。地獄に落ちるよ」


 朝比奈さんが細木数子みたいな事を言い出す。


「いやいや、そう簡単には落ちないですよ」

「祈った人だけが天国に行けるの。私は豚長くんに幸せになってほしいから言ってるんだよ?祈らないと絶対に後悔するよ?」

「死んだ後のことなんて誰にもわからないじゃないですか。いま幸せだから大丈夫です」

「なんでそんなこと言うの?幸せじゃないでしょ?」

「いやいや、幸せだって言ってるじゃないですか」


 だんだん腹が立ってくる。なんなんだ、こいつらは。


「朝比奈さん、騒音おばさんって知ってますか」

「うん、知ってるよ。『引っ越し!引っ越し!』って言って迷惑かけてた人だよね。いきなり何?」

「ニュースではその映像だけが流されてますよね。騒音おばさんが悪いという事だけが報道されていますが、実際は隣人トラブルだって話、知ってます?」

「その話、どこで聞いたの?」


 朝比奈さんの目が急に変わった。鋭く俺を睨みつける。


「風の噂です。あれって、隣人からのしつこい宗教勧誘に対抗したパフォーマンスなんですよ」

「豚長くん、根拠のない話はやめてくれるかな?」

「そう思うなら、ネットで調べてみて下さい。週刊誌の記事が元ですが、色んな人が議論してますよ。俺は事実じゃないかな、と思いますが」

「何が言いたいの?」

「貴方達がしてる行為は、四つ葉のクローバーを見つけるのに三つ葉のクローバーを踏みにじってるようなものなんですよ。幸せって、そんな風に探すものじゃないですよね?自分自身で見つけるものですよね?俺は、今の状況が心の底から幸せなんです。好きな事やらせてもらってて、親にも感謝しきれないほど感謝してます」


 それまで聞いているだけだった新垣さんが口を開く。


「だけどね、豚長くんはまだ夢を追ってるだけでしょ?毎日祈ったら、プロの歌手にすぐになれるんだよ?」

「仮にプロの歌手になれたとしましょう。俺は心から喜ぶことはできません。なぜなら努力していないから。祈っただけでプロになれるなら、日本中プロだらけですよ」

「だけどね、祈るのも努力なんだよ。祈ってないからプロになれないんだよ」

「祈る努力ってなんですか。部屋でぶつぶつお経唱えてるのが努力ならお坊さんにでもなりますよ」

「じゃあ豚長くんは、お題目を見ずに全部言えるのかな?新垣ちゃんは一生懸命覚えて、何も見ずに全部唱えられるようになったんだよ?それは努力じゃないかな?」

「いや、そんな暇あったら歌とピアノの練習しますわ。ちょっともう、いい加減にしてくれません!?」


 生まれて初めて人に説教している。なんでこんなちんちくりん2人に時間を使わなきゃならんのだ。先程まで猫の話をしていた人物とは思えないほど、前にいるエセ宗教家の2人の目はトロンとしていた。ヤバイ薬でもやってるんじゃないか。



「ここまで嫌がる俺をなんで熱心に勧誘するんッスか!?勧誘したら金になるからッスか!?もういいでしょう!!」



 ついに声を荒げる。周りの目なんか知らん。すると、新垣さんが俺を真っ直ぐに見て、極めて冷静にこう言った。



「あのね。豚長くんには幸せになってほしいの。話聞く限りだけど、毎日頑張ってるから、応援したいの。お金なんてどうでもいい。だから一緒に信仰して、一緒にお祈りしよう?」



 俺は、沈黙した。


 怒りが徐々に無くなり、冷静になっていく。同時に、悲しみが溢れ出した。


 恐らく、彼女の言っていることは本心だ。新垣さんは純粋な心の持ち主なのであろう。いわゆるマインドコントロールによって、本気で祈ることでしか幸せになれないと思い込んでいるのだ。彼女がそれで幸せなら、その洗脳を解く資格は俺には無い。幸せの形は人それぞれだ。彼女にとっての四つ葉のクローバーが、この宗教なのだ。


「新垣さん、朝比奈さん。大きな声を出してすみませんでした。俺には、お二人の力にはなれません。本当に、申し訳ないです」


 気付けば俺は泣いていた。泣きながら机に両手を付いて頭を下げた。


 悔しい。ただただ、悔しい。


「もう時間なので行きます。俺は、二人が幸せになってほしいと願ってます。本当に、心の底から」


 言いながらテーブルの残骸をお盆の上に乗せて立ち上がる。そのままゴミ箱へ向かうが、2人はまだ俺に付いてくる。


「その涙はなに?私達に幸せになってほしいなら、一緒に信仰しよう?」

「そうだよ。あたし達は怒ってないよ?」


 そうじゃない。そうじゃないんだよ。


 言っても何も伝わらない。俺の気持ちは、彼女達には説明できない。


 そのまま池袋駅東口より改札へと向かう。道中、ずっと話しかけてくるのだが、俺は泣くだけで何も言えなかった。結局、改札前まで付いてきてしまったので、何か考えてくれればと思い、最後に2人にこう告げた。



「いいですか。今日をなんとなく過ごした1日は、昨日死んだ人が生きたくても生きられなかった貴重な1日です。どうか、ご自身の幸せを、大切になさって下さい」



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