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――に げ ろ
ソウのメッセージを理解する前に体は動きだしていた。
あのメッセージは何なのか、そもそもソウが打ったメッセージなのか。横にいた人物は誰だったのか。親切でスマホを拾ってくれただけではないのか。いろいろなことが頭の中を駆け巡り、訳が分からなかった。それでもただひたすらに走る。様々なことが頭の中に浮かんでは消えるが、それ以上に【に げ ろ】というソウの声が体を動かしていた。
「なんなんだよっ」
ゲームセンターからどれほど走っただろうか。足がもつれそのまま倒れてしまった。
幸いにも道に車などはおらず、通行人を巻き込むようなこともなかった。走っている間は気づかなかったが、一度止まることで周囲の状況も把握することができた。人の喧騒、車の走行音、周りの店から漏れ聞こえるBGM、突然倒れこんだ俺を遠巻きに見ている人々。
いつも通りの街だ。
おかしい
いくら全速力で走ったとはいえ、ゲームセンターからはそんなに離れてはいないはずだ。なのになぜここまでいつも通りなんだ……?救急車の音もパトカーの音も聞こえない。
混乱したまま震える足を叱咤してどうにか立ち上がる。あたりを見渡しても何の変哲もなく、まるで夢を見ていたかのようだった。
「どう、なってんだ……」
ザリッ
力が抜け再び座り込みそうになった時、すぐ横のビルの間から足音が聞こえ、体が硬直した。
――に げ ろ
足音の正体を確認する前に、再び走り出していた。
周囲の状況も足音の正体も気にする余裕などなく、ただその場から離れなければならないという意志だけが頭の中を支配していた。
足が止まりそうになるたびに
――に げ ろ
息が苦しくて呼吸ができなくなるたびに
――に げ ろ
なぜ逃げているのか、何から逃げているのかを考えるたびに
――に げ ろ
ソウの声が頭に響く。
気付けば運河のほとりの倉庫群までやってきていた。
倉庫の陰に身をひそめながら、ようやく自分の身に何が起きているのかを考える余裕が出てきた。最も逃げたくとも体が動かないというのもあったのだが。
倉庫群まで逃げてきたときにはあたりは夕やみに包まれていた。あともう1時間もすれば闇に紛れて移動もできるだろうと考えていた時、複数の人間の足音と声が聞こえてきた。
追いつかれた!!
今身をひそめているところはある倉庫の陰だ。あたりが暗闇であればまだしも、さすがにすぐに見つかってしまうであろう。追手がまだこちらには気づいていない今ならば、倉庫の中に入ることもできるだろう。
ゆっくりと体を起こし、音をたてないように移動する。
――いたぞ!こっちだ!!
細心の注意を払って移動していたにもかかわらず追手に気付かれてしまった。おそらく自分の影が相手の視野に入ってしまったのだろう。まだ距離があるうちに逃げようと走り出そうとした瞬間、口をふさがれ背にしていた倉庫の中へと引き込まれていた。
――そっちに行ったぞ!
―― 探せ!
―― 遠くへは行っていないはずだ。反対側からも回り込め!
倉庫の中に引き込まれ暴れようとしたときに、ちょうど目の前を追手の男たち数名がこちらに目をくれることもなく駆け抜けていった。扉が閉まっているわけでも、陰になっているわけでもないはずなのにまるでこちらが見えていないかのような追手たちに思わず唖然とした。
「暴れるな、声を出すな、それができるのであれば解放する」
目の前で起きたことが信じられず、茫然としていると俺を拘束していた人物から声が聞こえた。改めて自分の状態を認識したことで頭の中で再び【に げ ろ】という声が響く。しかし今回ばかりはその声に従うと自分の命がないことを本能的に察知していた。わずかに頭を上下に動かすことで男の指示に従うことを示すと、あっさりと俺の拘束は解けた。
もっともだからと言って逃げ出すことも声を出すことも本能が男を恐れてできはしなかったが。
「神崎、あまりいじめてはダメよ。」
恐怖に体が固まっていると、この場に似つかわしくない女性、それも高齢の女性の声が響いた。神崎と呼ばれた目の前の男は、声が聞こえるとため息をつくと俺から視線を外す。それと同時に体を支配していた恐怖も薄れた。
「ゆかり様。」
男の声に合わせるように倉庫の奥から車いすに乗った老婦人とでもいうべき雰囲気の老女が現れた。
「脅かしてしまったみたいでごめんなさいね。私たちは少しあなたにご用事があったの。何度か声をかけようとしたらあなたは別の人たちと鬼ごっこしているみたいだったから、それが終わるまでは待っていようかとも思ったのだけれど。いつ終わるのか分からないから先にこちらのご用事を済ますことにしたの。もちろんあなたとのご用事が終わるまでは鬼の人たちには見つからないから安心してね。」
にこやかにこちらに話しかけてくれてはいるが、内容はあまりにも現状とかけ離れていた。ゲームセンターで俺の横にいたのも、街中の足音の正体もこの神崎という男であるのは間違いない。この老婦人の言葉を信じるのであれば、そのどちらも俺に用事があって声をかけようとしていたのだろうが……
その用事というのも心当たりがない上に先ほどのことといい理解できないことが多く信用できるものでもない。そんな思いが顔に出ていたのであろうか再び老婦人の横に控えていた神崎という男からの威圧が飛んできた。
「神崎。もぅ……あまり気にしないで。あなたに逃げられて少しご機嫌ナナメなのよ。」
神崎の威圧に体を強張らせていれば、老婦人から静止の声とフォローが入った。それのおかげか威圧自体はなくなった。にらみつけられてはいるが。
「さて、3つほどあなたにご用事があるの。1つ目はこれね」
そう言って老婦人から差し出されたのはゲームセンターで落としたスマホであった。
「あなた、渡す間もなく走り去ってしまわれるからどうしようかと思ったわ」
「ぁ、あり、がとう、ござい、ます」
老婦人からスマホを受け取りどうにかお礼を伝える。もっとも走り続けの上極度の緊張で声になってはいなかったが、老婦人は気にした様子もなく「どういたしまして」と軽く返してきた。
このやり取りで頭がやっと現状に追いついてきた。昼間の爆発から頭の中に響く声、訳の分からない追いかけっこ。様々なことが駆け巡るが、今この2人といるときだけは自分の身は安全であると確信していた。
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