第八話 特異な少年
グラッツ以外の団員が、新入り――そもそも正規ではない――団員であるクロの奇妙さに気付くのには、それほど時間はかからなかった。
それは、ベルフィリス領の関所を抜け出立したその日の夕方のことである。
「ちょっと待ってくれ」
なだからかな山道を登っていた一行の最後尾で、突然クロが待ったをかけてきた。
そう言えば朝から昼食も取らずに歩き通しだ。さすがに十を過ぎたばかりの子どもでは、体力も気力も限界だろう。ここに来て音を上げたのだろうとグラッツは思った。
「へっ! もう疲れたのか? 手ぶらのくせにだらしねぇ奴だ」
どうやら同じことを考えたようだ。
大きな荷物を背負っているグラッツの後ろを歩いていた、これまた大荷物を担いでいるギルデークが、クロの方へ振り向いてせせら笑いを浮かべる。だが、そう言いながらも立ち止まってやっている辺り、どうにも悪人にはなりきれないらしい。
「どうしました、クロ。ついていけなくなったら置いていくと言っていたはずです。それに……見たところまだ余力はありそうですが」
先頭を歩いていた副団長であるベノも訝し気に振り返り、クロへと声を掛ける。そのすぐ後ろにいたサムも、荒い息を吐きながら辛そうな顔で背後を振り向いた。
「いや、サムがもう限界なんじゃないか? さっきから見ていたけど明らかに歩くペースが落ちてるし、呼吸も荒くなっている。休ませてやるべきだ」
「……おや、自分ではなく他人の心配ですか。ただまぁ、君が言うこともあながち間違ってはいませんが……サム、もう限界ですか?」
「い、いえっ。ぼ、僕はまだ……まだ歩けます」
予想だにしていなかったクロの言葉に、サム以外の団員は面食らい、ベノなど興味深そうにサムへ声を掛けた。
声を掛けられたサムは振り絞るように背筋を伸ばし、荒い呼吸を抑え込んで無理やり返事をする。だがその様子を見れば、誰もが限界が近いと判断するはずだ。
「ククっ。心配せずともこの山を登り切った後に野営を張るつもりですよ。我々とて付き合いは長い。サムがどの程度まで歩けるかは君よりも分かっているつもりです」
「だとよ、サム。まだ歩けるか?」
「へ、平気です……」
グラッツの確認に、サムは荒い息で不敵に笑って見せる。そんなサムへクロが不思議そうに首を傾げてフードで覆われた顔を向けた。
「なぁサム、何で治癒魔法を使わないんだ?」
「……え?」
「足、挫いてんだろう? さっき背筋を伸ばした時、左足に体重乗せてないからはっきりした。歩いてる途中から足音が変わったと思ってたけど、何で言わないんだ?」
「なに? おいっ! サム本当か?」
クロの言葉にギルデークが慌てたようにサムへ詰め寄る。その迫力に怯んだサムが一歩左足を下げ、その足が地面に着いた瞬間、盛大に顔を顰めた。
「う、つっ……」
「ああっ! おい、本当に痛めてんじゃねぇーかっ! うわっ、真っ赤だ……なんで言わねぇーんでぇ!」
「す、すみません」
ギルデークがサムのズボンの裾をまくり、その赤く腫れ上がった踝あたりを忌々し気に睨みつけた。
その視線の鋭さに、思わずと言った形でサムが謝罪する。
「……ギル、サムが痛みを訴えにくくしたのは我々でしょう。彼を責めるのは筋違いです」
そんなギルデークを嗜めるように、ベノがサムの肩へ手を置いた。
「サム、クロを認めたがらない我々に気を遣いましたね? クロよりも先に音を上げるわけにはいかないと我慢したのでしょう?」
「す、すみません……ちょっと捻った程度で、このくらいなら何とか野営地までは持つと思ったのですが……」
申し訳なさそうに顔を歪めるサムから、ギルデークが気まずそうに両腕を組んで顔を逸らした。
「……ったく、変なところで意地張りやがって。別にそんなこと気にしねぇっていうのによぉ」
「ギル、お前がそもそもクロの事をすんなりと認めていたら済んだ話だぞ?」
「そ、そりゃあねぇーぜ、グラッツの兄貴ぃ」
情けない声を上げるギルデークを無視し、グラッツはベノへ視線を向けて判断を仰ぐ。
「……そうですね。戦闘要員ではないサムをこのまま歩かせるのは酷でしょう。ここでサム自身に治癒魔法を使ってもらうのは時間がかかり過ぎて暗くなってしまいますし……気は進みませんが私が負ぶって行くとしましょうか」
「と、とんでもないっ! 副団長の手を煩わせるくらいなら、歩いた方がマシで――つぅっ!」
ベノの言葉に歩き出そうとしたサムだったが、左足を踏み出した瞬間に体勢を崩して転びかける。
そこを、いつの間にか傍に近づいていたクロによって支えられる。
「おい、無理するなよ。それ以上、炎症がひどくなれば病を呼ぶ可能性もある。そうなれば、いくら治癒師と言っても治すのには時間がかかるはずだ」
「……す、すまない」
年下に冷静に諭されて情けなくなったのか、サムが泣きそうな顔でクロに謝った。さっきからどうも、謝り癖がついてしまったようだ。
「サム、今は緊急事態です。グラッツやギルが大きな荷物を背負っている以上、手ぶらな私ぐらいしか君を背負えない。あんな大荷物を背負うくらいなら、君を負ぶった方がまだマシなのですが」
「け、けど……」
ベノは説得しようと言葉を尽くすが、やはり副団長に背負われるのは抵抗があるのか煮え切らない様子のサム。
こうなったら背の荷物ごとサムを担いでいくかと考えたグラッツだったが、その彼の前でサムの身体が浮かび上がった。
「へ?」
「面倒くさいし時間がない。副団長が嫌ならオレが担いでいってやるよ」
呆気にとられる面々を前に、サムをひょいっと持ち上げたのはクロであった。
クロは重さを感じていないかのような軽やかな足取りで、サムの腰辺りを自分の肩に引っ掛けて歩き出す。その姿はまるで、町娘を誘拐する山賊のようだ。
「ちょ、ちょっとく、クロっ! や、やめて、降ろしてっ!」
「うるさいなぁ、もう。耳の近くで喚かないでくれ」
身を捩ってクロの戒めから逃れようとするサムだが、クロは何の影響も受けていないかのように歩き続ける。
たしかにサムは十五にしては小柄だし細見だ。だが、それ以上に細身で小柄な十二の少年がここまで軽々と持ち運ぶ姿は尋常ではない。
グラッツたちはそのあまりに堂々とした振る舞いに、呆気に取られて暫し呆然と見送ってしまった。
「おい、何してるんだよ? 山頂で野営をするんだろう? なら、少し急いだほうがいい。雨は多分降らないだろうけど、大きな雲が迫ってきてる……この道、すぐ暗くなるよ」
そんなグラッツたちに、焦れるようにクロが振り向いて呼び掛けてくる。その言葉にハッとし、そしてすぐ懐疑的な目で空を見上げる。
「大きな雲? たしかにもうじき日は暮れそうだが、雨の気配なんてないぞ?」
「多分、この辺では降らないと思う。オレたちが来た方へ流れて行って、そこで雨雲になって雨を降らせるはずだ。とにかく、暗闇で往生したくなかったらさっさと歩いてくれ」
「ちっ。なんであいつが仕切ってんでぇ」
先頭をさっさと歩いて行くクロに、ギルデークが吐き捨てるように言って追いかける。もちろん、グラッツもその後をついていく。その背後から楽しげな声がかかった。
「やれやれ、一日目にして中々の存在感。グラッツ、君はもしかしたらとんでもない鉱石を掘り出したかもしれませんね」
「……副団長、本当にすぐに暗闇が訪れると思うか?」
「さぁて。私はクロのような直感はありませんから。ただ……彼は我々が気付かなかったサムの負傷に気付いた。目端は人並み以上に利くのでしょう」
「へっ。どうだ? 俺の見る目もなかなかのもんだろう? うおっ?」
自分自身が見い出したクロを副団長であるベノに評価されて得意げに言えば、担いでいた荷物を引っ張られて態勢を崩しかける。
「な、何すんだよ、副団長っ」
「あまり調子に乗らないように。君の見る目が確かかどうかはこの旅の結末が、ひいては団長が決めること。それまではあくまでも仮の入団……いいですね?」
「……ああ、分かってるよ」
先ほどまでの楽し気な雰囲気を一変させ、釘を刺すようにベノが真剣な表情で念押ししてくる。その意外な反応にたじろぎながらも、グラッツは頷きを返したのだった。