第五十一話 戦いの幕
「おいっ! 塀の上に誰かいるぞっ!」
「侵入者だっ! 早く射殺せっ!」
暗闇の中で塀の上に立ち、火の点いた蝋燭を動かしていればどれだけ鈍い者でも気付いてしまう。
門扉の鎖が断ち切られ騒いでいた子爵の兵士たちもさすがにクロの存在に気付き、敵意剥き出しの視線を向けてくる。
そしてクロの持つ蝋燭の灯りを頼りに射かけてくるのを、クロは普段よりも見え辛い暗闇のなか躱し続けた。
顔目掛けて飛んできたものは首を捻って躱し、手や足に向かって来たものは、やはり手足を最小限に動かし躱して見せる。
おそらく蝋燭を捨てるか火を消せば兵士たちの弓矢での攻撃も弱まり、避けるのもずっと楽になるはずだ。なにせ夜目が利くこちらとは違い、彼らはクロ自身が持つ灯りがなければ見当さえつけることもできないのだから。
しかし、まだ合図をやめるわけにはいかない。すでに伯爵の兵や傭兵たちがクロの合図を確認していればよいが、合図を送り始めてからいくらも経ってはいない。
見逃している可能性も高く、すぐにやめてしまえば見間違いと判断されるかもしれないのだ。
それを思えば、まだもう少し粘る必要があった。
「何をしているっ! 火を持っているのはたかが一匹ではないかっ! さっさと殺してしまえっ!」
先ほどから矢をどれだけ射かけても躱し続けるクロに憤ったのか、階級の高そうな兵の一人が大声で喚いた。その声に発破をかけられるように、クロの足元にいた十数名の兵たちが一斉に弓矢を構える。
「……ちっ」
さすがにこの人数が同時に矢を放ってきては躱しきれない。一旦、塀の上から砦の外側に飛び降りるべきか、あるいは剣を抜いて向かってくる矢をはたき落とすか――クロがそこまで考えた時、遠くからこちらへ迫る蹄の音を耳が捉えた。
その音が聞こえてくる方向を辿りクロは唇の端を吊り上げると、持っていた蝋燭を子爵の兵士たちに放り投げる。
「うおっ?」
「ひ、怯むなっ! 射てっ!」
暗闇の中で蝋燭を投げれば、兵士たちは自然と光るそちらへ視線を向けてしまう。兵士たちの眼が蝋燭を追いかけ、自身へと向けられていた視線がわずかに外れるその隙に、クロは塀の上から飛び降りていた。当然、すでに塀の上から離脱済みのクロに、子爵の兵が慌てて放った矢が当たることはない。
「くそっ! どこに行ったっ?」
「裏だっ! 飛び降りたんだっ!」
「この高さをか? 馬鹿なっ!」
意表を突いたクロの動きに戸惑いながら、燭台を片手に砦の兵士たちが門の外へと出てくる。
しかし彼らは知らない。
暗闇の中で自在に動けるクロにとって、蝋燭の灯りなんてものがいい的にしかならないことを。
「奴め。どこにがぁ?」
「な、ど、どうしあげぇっ」
「み、見えん、な、ぁ」
クロによって次々に斬り倒されていく兵士たち。
蝋燭の灯り程度では十全に周囲を見ることはできない。同士討ちを怖れて剣も満足に使えず、ただ死神の振るう凶器に斬り殺されるのを待つしかない。
「く、くそっ! 火を消せっ! 奴は火を目印に攻撃してくるぞっ!」
「しかし、火を消したら何も――ぐわぁっ」
「せ、背中だっ! お互い背中合わせになって周囲を警戒しろっ! 死角を作るなっ!」
よほど動揺しているのか、作戦が安定しない兵士たち。それでも何とか数名ずつで背中合わせの構えを作ると、迫り来る脅威に警戒する。
だがやはり、蝋燭が照らせる位置には限界がある。わずか数歩先に立っているだけのクロを、子爵の兵士たちは誰も見つけることができない。
クロは剣を構えたが、しかしはっきりと聞こえるようになってきた蹄の音に考えを改めると反転。馬が向かって来る方に素早く音も立てずに移動した。
そして砦に向かって全速力で駆ける馬の群れを見つけると、その先頭にいた馬にひらりと飛び乗った。
「団長」
「うおっ? そ、その声っ! クロか? な、お前何して――」
「静かに。馬がびっくりするから落ち着いて」
「い、いや。馬っていうより俺がびっくりしたんだが……」
まさかこの暗闇の中、疾駆する馬に飛び乗ってくる存在がいるとは思わなかったのだろう。
背後に何気ない様子で現れたクロに、『月喰らい傭兵団』団長のバルムがひどく驚いた声を出す。
「随分と早いお着きだったね。合図は見た?」
「合図? ああ、そういえば忘れてた」
問いかけたクロにバルムは思い出したように一つ頷くと、両手で握っていた手綱の片方を手放す。そして流れるように右手でクロの頭に裏拳を叩きこんできた。
クロはそれを反射的に躱した。
「……お前、この暗闇で不意打ちの裏拳を躱すなよ」
「ごめん、驚いて。っで、なんのつもり?」
「なんのつもり? それはこっちの台詞だ、馬鹿野郎。勝手に村を離れやがって。俺は止めたぞ? あの無茶な作戦に許可なんて出してないぞ?」
「ごめん、悪かったよ。たしかに許可なく出撃したのは申し訳ない。処分なら後で聞くよ」
「ほう、いい度胸だ。まぁ、こんなところにいるあたり、やはり一ノ門攻略は無理だったか。帰って説教してやるっ! この跳ねっかえり坊主め」
さすがに今回のクロの行いは腹に据えかねたのか、いつになく強い口調でバルムは言う。そして背後を振り返ると、自分の乗る馬に続く傭兵たちへと声を掛ける。
「一旦、止まれっ! クロは無事だ。村へ帰る――」
「あれ? もしかして合図見てないの?」
バルムの命令で馬を止めた傭兵たち。しかしそんな彼らに、クロが首を傾げてバルムを見た。
「合図? さっきも言ったな。何の合図だ? 俺たちがここに来たのは、サムにお前の無茶を聞いてそれを止めるためだ。ったく、伯爵の兵に無理言って馬まで貸してもらったんだからな。村に帰ったら黙ってお前を行かせたサム共々、扱き使ってやるから覚悟しろっ」
「へぇ、伯爵から馬を借りたんだ。なら、さ。一気にこの馬で砦まで行こう! 今なら一ノ門、開いてるよ」
「よし、戻るぞ……えっ? なんだと?」
クロが言い放った言葉を一瞬流そうとして、しかしすぐに理解できたのかバルムが目を丸くした。
「――一ノ門を開けたのか? どうやって? そんなことは一人じゃ無理だ」
「斬ったんだよ、鎖を」
「鎖? 鎖……それって門扉と滑車を繋ぐ鎖のことか? お前、塀を越えたのか? いや、塀を越えたにしても――鎖を斬った? あの鎖は簡単に斬れるような物じゃ――」
「団長。考えている時間はないんだ。鎖を斬ったからそう簡単に扉は閉じられない。けど今なら子爵の兵たちも慌てふためいて、余計に攻めやすくなっているんだ。今こそ好機なんだっ」
「……」
いつになく必死な声で告げるクロに思うところがあったのか、バルムが真剣な顔で黙り込んだ。そして、暗闇で不明瞭にしか見えないはずのクロの顔を注視してくる。
「団長、どうされますか? クロの言うことが正しいのであれば、たしかに今が攻め時でしょう」
「とりあえず、砦の前まで行ってみればいいんじゃねぇーか? 一ノ門が開いてればそのまま攻めて、閉まっていれば引き返す。こっちは馬だし、追いかけられてもこの暗闇なら逃げ切れるだろうぜ」
二人のやり取りを聞き、バルムの両脇にいたベノとグラッツが馬を寄せて進言した。その二人の言葉に背中を押されるように、バルムは肩を竦めてニヤリと笑った。
「ったく。でき過ぎで裏がありそうな気もするが、新入りが無茶をしてせっかく作り出したチャンスだ。一か八か、乗ってみる他ないな」
「……ありがとう」
礼を言って下げたクロの頭を、バルムは軽く小突く。そして笑みを引っ込めてから、再び背後の傭兵たちに向かって顔を向けた。
「聞け、お前たちっ! このまま砦を落とすぞっ! ――進めっ!」
「――おおっ!」
鬨の声は上がり、そうして闇夜に決戦の幕が切って落とされたのだった。




