第四十九話 似た者同士
ディルテード伯爵の兵や『月喰らい傭兵団』が詰める小さな村は、ほとんど静寂に包まれていた。
時間は深夜。村人はもとより、伯爵の兵も傭兵たちも見張り番以外は寝静まっているのだ。それも当然のことと言える。
そんな中、傭兵たちのために村に張られた天幕の一つに動きがあった。中から一つの小柄な影が、物音一つ立てずに這い出てきたのである。
その通常の傭兵たちにしては小柄すぎるシルエットは、分かる者には最近加入したばかりの新入りのものであると察せられるだろう。
そう――クロのものである。
クロは持っていた燭台に明かりを灯すと、全くと言っていいほど足音を立てずに移動する。そしてしばらく歩き砦側の村の外れにまで来ると、周囲を見渡しゆっくり振り返った。
「……出てこいよ。バレてるって、気付いてるんだろう?」
そうして囁くような声で闇に向かって声を掛ける。常人には見通すことのできない深夜の闇の中に、クロと同じく年若い傭兵の姿が浮かび上がった。
そう、団唯一の治癒師、サムである。
「……やっぱり気付かれてた、か。通りで燭台なんて使うと思ったよ。君は夜目が利くはずだから」
サムはクロが手に持っている燭台に置かれた蝋燭の火がゆらゆらと揺れるのを眺め見ながら、口元に苦い笑みを浮かべる。
「ああ。これを持ってた方がお前がオレを追いかけやすいと思ったんだ。さすがにお前に足音が聞こえるよう歩くのは露骨すぎるから」
「いやいや、夜目が利く君が蝋燭を使う時点で違和感はあるけど……まぁいいや――ねぇ、クロ。君は砦に乗り込むつもり?」
「……軍議の途中、家の傍で聞き耳を立ててたろう? サムって、意外と好奇心が旺盛なんだな」
「なっ! それは君が――」
「うん?」
クロが揶揄う声音でサムに言えば、サムは思いのほか強い口調で何かを言いかけ、しかしすぐに口を閉じた。どうやらクロに言いたくないことがあるらしい。
「どうした? はっきり言えよ、サム。別にお前が子爵のスパイでオレたちの作戦を聞き出そうとしたなんて思わない。けど、聞いてたからには何か理由があるんだろう?」
「……別に理由なんて。強いて言うなら、君一人だけ特別扱いが許せなかったんだ」
「あぁ、そういうことか。オレには理解できないが、分からなくもない理由だな」
サムの言葉にクロも頷き、そして小さく笑みを作った。
「お前の言う通り、オレはこれから砦に乗り込む」
「……それは本気で言ってる? 団長たちはもちろん、ディルテード伯爵だって止めていたのに」
「だから黙っていくのさ。団長や副団長にバレたら止められるからな。頑強な砦を迅速に落とすには、現状ではこの方法しかないだろう?」
「けど……危険だと思う。だいたい、君一人で本当にあの門を突破するつもり? 絶対に無理だ。乗り越えられっこないっ! 単なる無駄死にだっ!」
「しっ! あまり大声出すなよ」
クロの翻意を促そうとするあまり、しだいにサムは興奮したのか声を荒らげ言葉を投げかけてくる。そんな彼を諫めてから、クロは肩を竦めて見せた。
「サム、何日か前に言っただろう? オレは割と他人よりも丈夫なんだよ。だからこそ、いろんな奴らの最期を看取って来たし、オレだけ生き残ってしまったことも何度かある。だからさ、決めてるんだよ。オレが頑張ればなんとかなることは、頑張ろうって……決めてるんだ」
「クロ……だけど君はまだ十二じゃないか。君一人が無理する必要なんてない」
毅然として言い切ったサムにクロは柔らかな笑みを浮かべ、そして間を空けてから一つ頷いた。
「……サムはさぁ。多分、オレと似てるところがあるんだと思う。山で足の捻挫を隠して歩き続けたり、治癒魔法なんて便利なものが使えるのに自分を足手纏いだと思ったり――そういう、ある意味自己犠牲的なところ? うん、何か似てるよ」
「自己犠牲? なっ! 僕はただ――」
「いいじゃないか、自己犠牲。それだけ他者を思い遣れるってことだろう?」
「――っ」
不本意なクロの発言に、再び声が大きくなりそうだったサムの言葉はしかし、クロのそんな静かな問いかけで黙らされた。
「サムだってきっと、自分が仲間のためにできることがあるんならやらずにはいられないだろう? それが傍目から見て危険なことだったとしてもやり遂げたいはずだ。違うか?」
「それは……」
「オレと似ているサムだからこそ、頼みがあるんだ」
必死にクロの言葉に何かを言い返そうと表情を曇らせるサムだが、しかし適切な文言が浮かばないのか二の句が継げない。そんなサムに畳みかけるかのように、クロが真剣な眼をして近寄ってくる。
「く、クロ?」
「オレが塀を越えて門を開けたら火で合図をする。それを見たら砦を攻めて欲しいんだ。門はすぐには閉まらないようにするから――そう、団長に伝えて欲しい」
「そ、そんなの無茶だっ!」
「頼むっ」
真っ直ぐに見据えてくるクロの視線から目を逸らしながら言えば、クロはサムの右手を燭台を持たない手で握りながら頼み込んでくる。
「う……」
「オレが直接団長たちに言えば絶対に止められる。お前にしか頼めないんだ」
「君は……君はズルい奴だ」
サムは自身の手を握るクロの左手を見ながら絞り出すように呟いた。
「君はこのために、このために僕をここまでおびき寄せたんだな? 軍議の時に気付いた僕のことを報告せず、分かりやすく蝋燭まで持って誘導してこの頼みを聞かせるために――」
「ああ。サムならきっと、オレを止めるために天幕を出た後をついてくると思ったよ。オレが一人でも砦へ乗り込むことを予想してくれると予想して」
「どうせ君の頼みを僕が断れないと思ったんだろう? ハハ……結局僕は、君の掌の上か」
乾いた笑みを浮かべるサムに、クロは握っていた手を離すと彼の肩を軽く叩いた。そして上の歯が見えるように口の端を吊り上げ笑う。
「だから言ったろう? オレとお前はよく似ているんだよ。その分、行動が読みやすいのさ――というわけで、頼めるか?」
「……はぁ。僕がたとえ断っても、君は一人で行くんだろう? 援護がないと分かっても、僕たちが来ないと分かっても」
「さぁ、それはどうかな?」
「……」
「……」
しばし見つめ合う形となった後、根負けしたようにサムは小さく頷いた。それを確認するとクロは笑みを深め、サムから素早く距離を取って蝋燭の火を二本の指で挟んで消した。
「ありがとう。もし朝まで待ってオレの合図がなければ死んだと思ってくれていい。合図があっても無理だと判断すればくる必要はないと団長に伝えてくれ」
「クロっ!」
遠くなっていくクロの気配にサムが声を掛けるが、蝋燭の明かりすらない周囲は夜の闇が満ちている。常人の眼しかもたないサムには、クロがどの方向に駆けて行ったのかも定かではなかった。
「……僕と君が似ている、か」
去って行ったクロの耳がどれだけよかろうが、きっともはやサムの言葉は届かない。しかしそれでも、愚痴の一つでも溢さずにはいられなかった。
「なら僕がどれだけ君を止めたかったのかも――分かってもらえると思うんだけどなぁ」




