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出奔令嬢物語  作者: 津野瀬 文
第一章
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第四十五話 後方の伏兵


「……なんだ、あの奇妙な攻撃は?」


 砦から少し距離のある場所で行われていた戦闘を鋸壁きょへきから見守っていたディルテード伯爵は、帝国兵の奇妙な動きに戸惑いを隠せず声を漏らした。


 当初、無鉄砲とも思えるような突撃姿勢を見せた帝国兵が狙っていたかのように停止し、素早い動きで矢を放ってきたのは分かった。だが早さを意識しすぎたその斉射はあまりにもお粗末で、伯爵の眼から見てこちらの兵に大した被害はないように思える。これが帝国兵の渾身の策であったなら、ディルテードも拍子抜けし鼻で笑って見せただろう。

 だが、おそらくはそうではない。きっと帝国兵の策はこれで終わりではないはずだ。


 事実、矢を放って退却を始めた帝国兵に釣りだされるように、ギレロが騎兵だけを率いて追撃を掛けている。

 仮に相手が敗戦を確信した士気の低い兵であるならば追撃も当然だ。いつ再び攻め入ってくるのか分からないので、叩けるときに叩いておくべきなのである。


「まずいな。何か……何か嫌な予感がするぞ」


 しかしディルテードは、砦からどんどんと距離が離れていく騎兵を目で追いながら不吉なものを感じていた。圧倒的な優位にもかかわらず、どうも素直にそれが受け入れられない。


「おい、この周辺に帝国兵の伏兵などはいないだろうな?」

「え? あ……はっ! 先ほど報告しました通り、帝国側からの兵の侵入を監視していましたが、奴らが『殲滅期』で退いて以来それらしい動きはありません」


 ディルテードの傍に控えていた伝令兵が、唐突な確認に困惑したように首肯する。


「ふむ……伏兵の可能性はないわけか」


 ディルテードが考える中で一番危惧していたのは、五十の帝国兵に釣りだされたギレロの兵が隠れていた帝国の兵に挟撃されて壊滅することだ。いい気になって深追いした結果、敵の罠にまんまとはまっていることも史実ではよくあることだ。

 とはいえ、この砦から帝国側はほとんど遮蔽物のない砂漠地帯である。伏兵を潜ますにも隠れられる場所はこの付近には見当たらなかった。


「伏兵でもないとすれば、奴ら一体何を……」


 顎をさすりながら帝国兵を闇雲に追いかける自軍を見やり、ディルテードは必死で頭を廻らせる。もしかしたら帝国兵にはなんの策もなく、ただ単純に矢の不意打ちでこちらの兵に大打撃を与えられると楽観していただけなのかもしれない。もしかしたら考えすぎなのかもしれない。

 だが砦を預かる指揮官として、どうにも現状は思わしくないように感じられた。


「……おい、ギレロの兵を呼び戻せ」

「へっ?」


 考え抜いて傍にいた伝令に重々しい声で告げれば、あまりにも予想外だったのか伝令兵は目を丸くして聞き返してきた。


「聞こえなかったか? ギレロを呼び戻せといったのだ」

「お、お言葉ですが、ギレロ様の兵はもう少しで帝国兵に追いつきそうですが……」

「いや、先ほどから距離はそれほど変わっていない。たしかに縮まっていはいるが、この分ではまだ追い着けはせんだろう。これ以上、この砦から離れられたら困る」

「……はっ! では、退却の銅鑼を鳴らしてきます」

「ああ、頼む」


 もちろん、今さら伝令兵が馬を飛ばしてギレロたちを追いかけたところで追いつけはしないだろう。砦から馬で離れた場所に向かっている兵たちを呼び戻すために、予め決められた銅鑼の鳴らし方があるのだ。伝令兵はそれを打ち鳴らしに行こうと踵を返した――その瞬間だった。


「ほ、報告いたしますっ!」


 伯爵たちの前に、新たな兵が慌てたように走り込んできた。


「なんだ? いや待て。貴様の顔は見覚えがない――所属は?」

「え? あ――はっ! ロヴィーム子爵の兵でございます。子爵の指示で伝令に参りました」

「子爵殿の? ほう……なにか?」


 多くの負傷者で身動きの取れないはずの子爵の兵が、一体何の報告かとディルテードは首を傾げる。そんな彼に、子爵の兵は切羽詰まったように早口でまくし立てた。


「ふ、伏兵ですっ! この砦の背後から、五十人ほどの兵が突然現れたとの情報です!」

「……な、なんだと? どういうことだ?」


 その思いもよらない報告に、ディルテードは面食らって首を傾げた。

 五十の伏兵? まるっきり話が違う。


「この周辺に帝国兵はいなかったのではないか? その五十の兵は一体どこから現れたんだ?」

「わ、分かりません。ですが、五十人ほどの武装した者どもが聖国側からこの砦へひそかに迫って来ているようです」

「聖国側からだと? 奴ら、いつの間に回り込んで……いや、そんなことはどうでもいい。なぜ、それを子爵殿の兵が報せに来る?」


 そう言ったことは、本来であればディルテードの兵が報せに来るはずだ。わざわざ子爵の兵に頼むとも思えない。


「はっ! 実は、ロヴィーム様は警戒の薄かった聖国側に念のため見張りを立てておりました。そしてその見張りが、近づいてくる一団を発見したのです」

「子爵殿が独自に見張りを? なぜ、断りもなくそんな――」

「ディルテード様っ!」


 自分の兵をどうしようと勝手ではあるが、せめて一言くらい声を掛けて欲しかったディルテードは少し不快感を覚えて眉をひそめる。すると再び兵士が現れた。今度は伯爵も見覚えのある自身の兵士であった。


「せ、聖国側から伏兵ですっ! 五十程の兵が――」

「よい。その話ならば今しがた子爵殿の伝令から聞いた。しかし……つまり私の兵も伏兵の存在を確認したわけか」

「はっ! 子爵様の兵の報告を聞き確認し、たしかに迫り来る伏兵を認めました」

「……ふむ」


 ロヴィーム子爵の兵が見ただけであれば見間違いや勘違いの可能性も考えられたが、ディルテードの兵も視認済み。ならば、信じ難いが伏兵はたしかに迫って来ているのだろう。迎え撃つほかあるまい。


「直ぐに迎撃準備をしろっ! おい、何をしている貴様っ! 早くギレロを呼び戻すため鐘を鳴らせっ!」

「は、はっ!」


 慌てたように砦内へと入っていく伝令兵と銅鑼を鳴らしに行った者を見やり、ディルテードも戦の準備に取り掛かる。

 ギレロに二百を与えたことで、この砦には子爵の手負いである兵を抜かせば三百ほどしかいない。しかしそれでも、相手が五十であるならば砦が落ちることはないだろう。今度はディルテード自身が出向いて迫り来る敵を鎮圧させるつもりであった。


「閣下っ!」

「おお、子爵殿か」


 すでに鎧は身に着けていたので兜だけを改めてつけ直すと、集まった兵のところへ足早に向かう。そんなディルテードの向こう側から、狼狽したような顔でロヴィーム子爵が現れた。


「なんでも新たに伏兵が現れたとか。隠れるようにこちらへ進軍中とお聞きしました」

「ああ。それもどうしたわけか聖国側からとのことだ。おそらくは前々から潜んでいたのだろう。でなければ、帝国側を見張っていた兵が気付かんわけがない」

「ええ、私もそのように思います」

「しかし子爵殿。貴殿が見張りの兵を聖国側に配置してくれていて助かった。なにしろ早期に発見できたのは貴殿のおかげだ」

「いえ。ステレッド領から通って来た際に、どうにも手薄に感じられたもので。報告が遅れてしまい、申し訳ございません」

「よい。結果的に貴殿は正しいことをした」


 深々と頭を下げたロヴィーム子爵に、ディルテードは小さく首を横に振った。


「お許しいただき光栄です。ですが閣下、その恰好は如何に……」

「決まっている、今度は私も出撃するのだ」

「なんですと?」


 ディルテードの言葉に、ロヴィームは驚いたように目を丸くした。


「その必要はございますまい。たかだか五十、閣下が出るまでもありません。他の方に率いてもらい、閣下はこの砦で戦況を見守られては――」

「そのたかだか五十に、ギレロの兵は釣りだされて砦から距離を取ってしまった。他の者を信用していないわけではないが、嫌な予感がする。ここは私自ら指揮を執るべきだと感じたのだ」

「し、しかし御身に何かございましたら――」

「子爵殿、怪我を怖れていては戦場の指揮官など務まらん。それに先ほど貴殿が言ったのだ。なーにたかだか五十だ。負傷する道理もない」

「……かしこまりました」


 翻意させようとするロヴィームの言葉を頑なにね退け、ディルテードは集まっていた兵たちの元へ急ぐ。その際にロヴィームの顔が不愉快そうにしかめられたが、それも一瞬のことだった。少しだけ立ち止まったロヴィームの思案するような顔を見れば、あるいはディルテードの勘違いだったのかもしれない。


「――では、砦の指揮は私にお任せください。無論、何も問題はないかと思いますが、有事の際に派兵や砦を守る指揮を執ります」

「うむ?」


 再びディルテードに並んで進言してきたロヴィームの意外な言葉に首を傾げ、煩わしさを覚えながらも早足でその必要性を考える。


 たしかに伯爵であるディルテードを抜かせば、子爵であるロヴィームがこの砦内でもっとも位が高くはある。なおかつディルテードが伏兵の迎撃に二百を連れ出せば、この砦に残るディルテードの兵は残り百。負傷者ばかりとは言えロヴィームの兵数が上回ることになる。

 現状、ロヴィームが砦内の指揮を執るのは適任とも言えた。


「……しかし、貴殿は負傷の身だ。無理はさせられん」

「たしかに外を駆けまわる元気はございませんが、砦内であれば問題ありません。敵が伏兵を用いてきた以上、他方からの奇策も考えられます。その万が一の可能性も考慮して指揮系統を確立させておくことは必要かと愚考いたします」

「……ふむ。そこまで子爵殿が言うのであればよろしい。奴らにそこまでの戦力があるとは思えんが、砦の防衛指揮は貴殿に一任する」

「はっ! お任せください」

「ただし、今にギレロが戻ってくるはずだ。奴めが帰還次第、その権限はギレロに譲り貴殿は大人しくしておくように。怪我が悪化されてもかなわんからな」

「承知いたしました。それでは、ご武勇をお祈りいたします」

「ああ、貴殿も」


 ディルテードから砦内の指揮を任せられると、ロヴィームは踵を返し足早に去って行く。おそらく砦内の兵に周知しに行ったのだろう。ディルテードも僅かにその姿を見送ると、集合していた兵たちと合流する。


「状況は?」

「はっ! 帝国兵と思しき者どもが、徒歩かちでこちらへ進軍中です。あと四半刻以内にはこの砦へ辿り着くかと」

「……こちらの準備は?」

「仰せの通り、一個中隊……約二百名ほど集まっており、すぐに出撃可能です。ただ、直ぐに用意できた馬は五十ほどで、それ以上は厳しいかと」

「ふむ、構わん。相手が徒歩であれば必ずしも騎兵は必要あるまい。用意できた者だけ騎乗せよ。連中の狙いが五十の強襲で帝国側に我らの眼を釘付けにし、その隙に聖国側からの五十で砦に近づくことにあるのなら――ぜったいにここへ近づかせてはならん」

 

 報告した者やロヴィーム子爵の話を聞けば、帝国兵はどうやら隠密的な動きでこちらへと迫っているらしい。ならば必然的に考えられるのは、帝国側の陽動でそちらに目を向けさせ、その隙に裏から砦を襲撃する作戦である。

 運よく・・・・見張りがそのことに気付いた以上、もちろん帝国兵をそのまま接近させるつもりはディルテードには毛頭ない。


「では、出撃する」

「はっ!」


 そうしてディルテードは、約二百を引き連れ砦を後にした。

 


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