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出奔令嬢物語  作者: 津野瀬 文
第一章
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第四十四話 接敵


 砦に迫る帝国の兵五十に対し、ディルテード伯爵は籠城を良しとせず二百を繰り出し迎え撃つ指示を出した。

 

 本来であればその必要もないのだろうが、ディルテード伯爵が子爵であるロヴィームの顔を立てて進言を聞き入れる形となった。ディルテードとしても無勢での特攻を仕掛けてきた帝国兵に不穏なものを感じており、できる限り砦には近づけたくないという気持ちが少なからずあったためである。

 仮にロヴィームの言うように帝国兵が砦へ近づくことを目的としているならば、砦を守る形で布陣した伯爵の兵を前に尻尾を巻いて逃げ出す可能性もあるだろう。自棄を起こして突っ込んできたとしても、やはり五十と二百の戦力差である。相手にもなるまい。


「――迫り来る帝国の兵が『月喰い』であったとしたなら、二百であっても万全とは言い難いが、な」

「え? ディルテード様、なにか仰いましたか?」


 砦前に集まった兵を見やりながら何気なく呟いたディルテードに、副官であるギレロが疑問を抱いたように首を傾げる。しかしディルテードは大雑把に右手を振るうだけで答えた。


「いや……それよりも兵の準備は整ったか?」

「はっ! いずれも我らの兵の中で武勇に勝る者たちが集まりましてございます。たかだか帝国の兵五十、見事に蹴散らして御覧に入れましょう」

「ふむ。では、前言通り指揮は貴様に任せるぞ、ギレロ。確認だが接敵予想付近に、罠などのたぐいはなかったのだな?」

「はっ! 元よりこの場所は我らの庭のようなものです。不審があればすぐに見張りや偵察が報告するでしょう。もちろん改めて確認させましたが、罠にるいするものはなにもございませんでした」


 ギレロの回答に一通り満足すると、ディルテードは大きく頷いた。


「うむ、よろしい。私は砦に戻り子爵と共に有事に備える。伝令の話では、奴らは馬に乗っているらしい。分かっているとは思うが無理な深追いはするな。貴様の言う「たかが五十の兵」を相手に、我が兵に必要以上の犠牲を出さすなよ?」

「はっ! 肝に銘じておきます」


 そしてディルテードはギレロに兵を任せると、砦へと戻り戦況を見守ることとなった。





「……来たか」


 背後に歩兵の百と騎兵の百――合計二百の兵を置き、先頭にて率いる馬上のギレロは前方をにらみ付けながら呟いた。

 

 地面を揺るがす馬蹄の音と、彼方にありながら近づいてきていることが理解できる砂ぼこり。間違いなく帝国の兵が目前に迫っていた。

 

 そして伝令のしらせ通り、帝国の兵たちは馬に騎乗しているようだ。その時点で単なる雑兵よりも手強そうではあるが、それでもギレロが率いる兵が優位なのは明白であった。


「歩兵、前に!」


 ギレロの声と右手を挙げる動作による指示で、盾と長槍を手にした鎧姿の歩兵が前面に出る。そして片手で槍を突き出し片手で盾を持つ構えとなって密集した。まさに針のむしろとも言うべき槍の壁である。


 相手が勢いよく突撃してきたとしたら、倍以上からなる歩兵の槍によってその動きは完全に殺されるだろう。そして相手の気勢が削がれたところで、歩兵の背後に展開している騎兵が帝国兵の後ろに回り込み挟撃する手筈となっていた。これによりたとえ相手が歩兵を突破したとしても、今度は騎兵と砦の兵で挟み撃ちができる寸法なのである。

 仮に帝国兵が歩兵の壁を避けるために迂回して広がった時は、それこそ思う壺である。騎兵による側面からの攻撃で、相手は完膚なきまでに散り散りとなるはずだ。

 

 単純な作戦ではあるが、この戦力差であれば問題なく機能し成功するだろう。ギレロはほくそ笑みながら歩兵の背後に馬を回す。

 

 ちなみに、今回は弓矢を用いる気はなかった。

 それと言うのも子爵であるロヴィームから助言があり、「せっかく砦から矢を射かけずに済むのだから、使わずに残しておくべきではないか」と提案されたからである。


 ギレロとしても、たかだか五十相手に最初から消耗品である矢を使う気はさらさらなかった。そもそも矢を使ってしまえばそれこそ相手には逃げの一手しかなくなり、一網打尽にする好機も失われてしまう。彼の中には自分の指揮する兵で帝国の小隊を潰し、何とか手柄を挙げたいという功名心が持ち上がっていた。

 

 そう言った理由から今回の戦闘は、歩兵と騎兵の立ち回りのみで相手を圧倒するつもりであったのだ。



「さぁ、来い。帝国の雑魚ども。どんな策があるか知らんが、正面から叩き潰してやる」


 そして立ち込める砂埃からまるで逃げだしているような速度で、帝国兵の騎乗する馬群が大きく鮮明に見えてくる。

 それぞれ片手で武器を構え、どうやらこちらへと突っ込んでくる気満々のように思えた。確実にこちらを視界に納めているにも関わらず、逃げ出さずに減速していないのがその証明である。

 帝国兵の狙いは砦に近づくことにあり、伯爵の兵がここに待機しているのを読んではいないものと考えられていたが、この迷いない動きを見ればしっかりと読んでいたのかもしれない。


「ふんっ! 読んでいたところで我が兵に勝てるものか。戦力差を考えろ、馬鹿めっ!」


 飛んで火にいる夏の虫がごとく、歩兵の突き出す槍に吸い込まれるように近づいてくる帝国兵。だが――。

 両軍の距離がいよいよ百歩ほどの距離になった時、唐突に突っ込んでくるはずの帝国の兵が馬に制動を掛けて緩やかに減速――そして、五十歩近く距離を残して完全に止まってしまった。


「……はぁ?」


 まるで最初から策を立てていたかのように、帝国の兵が一斉に揃えてほぼ同時に減速し止まってしまったのだ。そんな奇妙な動きにさしものギレロも面食らう。


「ぎ、ギレロ様。いかがいたしましょう?」

「いや、いかがって……」


 まさかこんな風に対峙することになるとは思わなかったため、ギレロも指示を仰がれ困惑する。


 帝国兵が馬を止めるのであれば、もっと早い段階だと思っていたのだ。伯爵の兵に気付き、思惑が外れたことを察してすぐに止める。あるいは逃げ出すものだと考えていた。

 それがこのように、わざわざこちらの兵とほとんど顔すら判別できる位置で止まるとは――全くの想定外である。


 そして、ギレロもギレロの率いる兵も虚を突かれてまごまごしてしまった。それが、帝国の狙いだったのかもしれない。


「な、あ、あいつら――」

『放てっ!』


 帝国兵は馬を止めると同時に構えていた武器を即座にしまうと、背負っていた弓に矢をつがえて斜め上に向け射出した。

 当然、五十本の矢が伯爵の兵周囲に降り注ぐ。


「矢だっ! ふ、防げっ!」


 迅速さに重きを置きろくに狙いをつけずに放たれた帝国兵の矢は、そのほとんどが誰も傷つけることなく地面に突き刺さり、あるいは歩兵の盾に当たり跳ね返される。

 

 しかし放たれた矢の数本は、たしかに数人の騎兵の生身の箇所に突き刺さり傷をつけた。


「ぐぅっ!」

「やられた……」


 兵士たちから被害を訴える声が上がる。

 その数はとても少なく、落馬した者や死者が出た様子もない。不意を打たれたにしては大した損害ではないと言えるだろう。


「あいつら……よくも……」


 だが、ギレロにはそんな風に考えられなかった。


 矢の射程圏内まで近づくために、突撃する振りをして馬を走らせてきたこと。

 さらに伯爵の兵に弓矢での攻撃を意識させないために、わざわざ武器を構えて走ってきたこと。そして止まるや否や、即座に持ち替えて矢を放ってきたこと……。

 ギレロにとって、それらすべてが狡賢ずるがしこい卑怯者の策に思えて気に障った。そして何よりも、その策にまんまと乗せられてしまった自分自身に激しい怒りを覚えてしまった。


「ギレロ様っ! 奴らが逃げますっ!」


 怒りに目を血走らせていたギレロの前で、矢を放つや否や馬首を巡らせた帝国兵がこちらに背を向け遁走とんそうを始めていた。まるで文字通り、「一矢報いたからもういいや」と言わんばかりの潔さである。


「……追うぞ」

「……え? あ、いや、しかし。兵の損害は軽微ですし、伯爵さまから――」

「構わん。敵はたかが五十だ。ディルテード様は「いたずらに犠牲を出すな」と仰った。つまり、こちらに被害を出さずに奴らを血祭りに上げればすむ話だ。これは断じて「無理な深追い」などではないっ!」

「そ、それは――」

「歩兵と矢を受けた者はこの場に待機せよっ! 騎兵は私に続けっ! ディルテード様の名誉のためにも、奴らはここで完全に潰すぞっ! ついてこいっ!」

「お――おおっ!」


 戸惑いながら、それでも指揮権を持つギレロに従う形で、騎兵およそ百にて背を向ける帝国兵を追いかける。

 最初から少し距離があり相手側の方が素早く移動を始めたが、帝国兵の乗る馬はここへ来るまでにいくらか疲労しているはずだ。体力が十分残っているこちら側が優位なのは間違いない。ギレロはそれを信じて馬を走らせた。

 

 この時――彼の頭の中には背後におく守るべき砦のことなど、微塵も浮かんではいなかった。



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