第四十三話 無勢の強襲
それは、『月喰い傭兵団』が砦を発ったその日の晩のことだった。
「ディルテード様っ! ロヴィーム子爵の兵が到着されました!」
「おお、来たか」
砦の執務室で書類に目を通していたディルテードは兵からの報せを受け、作業を一時中断。そして話を聞こうとロヴィーム子爵を部屋へと呼び出すことにした。
休まずにステレッド領からここまで来たのだろう。姿を見せたロヴィーム子爵の顔には疲労の色が見え、それでも気丈に振る舞うように溌溂とした笑顔を見せた。
「お久しぶりです、閣下。再びお会いできて光栄にございます」
「ふむ、久しいな。子爵殿も息災か? 貴殿の兵は随分と負傷していると聞いておるが」
「……ええ。ステレッド領にて魔物と激しく戦いましたので。私を含め、手傷のない者などおりませぬ」
「そうか……この砦には如何ほどの数が?」
「およそ百五十にございます」
「百五十? それは――」
――それはあまりにも少ない。
ディルテードはその言葉を何とか呑み込み思案する。
子爵の遣いの話であれば、彼の兵は二百から三百。少なくても二百はいると聞いていた。それなのに百五十という数には正直な話拍子抜けもいいところではある。が、魔物との戦闘で多くの命が失われたのだろう。
それを口に出して、長距離の移動で疲弊している子爵の精神を傷つけるのはあまりにもむごい。
内心で首を横に振ると、ディルテードは柔和な笑みを浮かべた。
「……ふむ。とにかく今は休まれることだな。負傷の身でステレッド領から国境まで歩き通しだったのだ。治療が必要な者もいよう」
「はっ! ありがとうございます。実は移動中に傷口が化膿し悪化してしまった者もおりまして、すぐに治療しなければならないのです」
「なんと? それを早く言いたまえ。早急に衛生兵を寄越そう」
「いえ、それには及びません。我が隊にも衛生兵はおりますので。ただ、「できるだけ清潔な場所で治療を」とのことで砦まで強行してきた次第です。さっそく割り当てられた砦外の天幕を使わせていただき、治療させるとしましょう」
「そうか……いや、待ちたまえ」
「……はい?」
ゆっくりと踵を返そうとしたロヴィーム子爵を、ディルテードは顎鬚を摩りながら呼び止めた。
「清潔な場所がよいとのことであれば、天幕よりも砦内の方がいいはずだ。貴殿の兵が負傷者しかいないというのであれば、砦に兵を置きたまえ。あと百五十名ほどであれば、容易に収容できるだろう」
「よろしいのですかっ? ありがとうございます! さっそく、兵に伝えて参ります」
「うむ」
いくら自国の者とは言え、それほど広くはない砦に他者の兵を置くのは気が進まない。が、治療が必要な怪我人がいるのであればそうも言っておられまい。どのみち子爵の兵は負傷者ばかりということもあり、砦の周囲に展開させていても満足には戦えないだろう。それならば邪魔にならない砦内で大人しくしてもらっていた方がいい。
ディルテードはそう結論付けてロヴィーム子爵の兵を砦内に招き入れた。この時はまだ、彼は自分の判断に疑問すら抱いてはいなかった。
予想外な事が起こったのは、その翌日のことであった。
「お、お待ち下さいっ!」
その日、いつものように六の刻には目を覚まし、側近の騎士と鍛錬のために砦の外へと向かっていたディルテードは、慌てた様子で駆けこんできた伝令に捕まった。
「そんなに慌てて一体どうしたというのだ?」
ディルテードの前に息を切らしながら跪いて見上げる伝令に面食らって聞けば、彼は大きく唾を飲み込んだ。
「ほ、報告いたしますっ! 帝国の旗を掲げ騎乗した一団がこちらへと接近しております。あ、あと、一時もすれば砦へと到達するものと思われます」
「なっ……」
あまりに突然なその一報に、さしものディルテードも一瞬だけ呆気に取られてしまった。しかしすぐに意識を立て直すと、首を傾げて問いかけた。
「……何かの間違いではないか? 偵察に出しているノワールからは何の連絡もないのだろう?」
「はっ! ご子息様からの連絡はございません。ただ……」
「なんだ?」
「こちらへと接近している帝国兵の数は五十ほど――おそらくは、元より周辺にいた集団かと」
「五十? ふん、それを最初に言え」
ディルテードはその言葉を聞き、一気に落ち着きを取り戻すことができた。
おかしいと思ったのだ。
国境の向こう側、帝国の砂漠地帯には伯爵の息子であるノワール・ディルテードが、自ら志願して偵察として赴いている。帝国に不審な動きがあればいち早く知らせてくるはずであるため、敵兵が砦に一時の距離に迫っているなどありえないのだ。
もしや自分の息子が下手を打って報せが届かなかったのではないかと不安も頭を過ったが、どうやら杞憂のようだった。
「たしかに一団の数が五十程度であれば、付近にいた集団に相違あるまい。単なる山賊か野盗の類だと思っていたが……旗を持っているのであれば帝国兵なのだろう。丁重に迎え撃ってやれ」
以前より、国境近辺に武装した一団がいるという報告は上がっていた。しかし、砦からそれなりに距離があったことと、その規模から脅威になり得ないという判断で捨て置いていたのだ。それがまさか、自ら攻めてくるとは思ってもみなかった。
砦に籠る五百を相手にたかだか五十――自殺行為と言って差し支えないだろう。無論、兵を砦から出す必要もなく、籠城して矢を射かけていればそのうち撤退するはずだ。まともに相手をする必要もあるまい。
「閣下、兵は出されないのですか?」
「おや、子爵殿。聞いておられたのか」
伝令に指示を出そうとしたディルテードに、ロヴィーム子爵が笑みを浮かべながら近づいてきた。そして深々と頭を下げてくる。
「おはようございます、閣下。歩いていたらたまたま話が聞こえまして――何やら帝国の兵が近づいているとか」
「ああ。だが物の数ではない。兵を出すまでもなく、矢を上から射かけていれば自ずと自分たちの愚かさに気付くだろう」
「……果たしてそうでしょうか?」
「なに?」
鼻息混じりに嘲笑すれば、意外にもロヴィームはこれに対し首を傾げて疑問を呈した。ディルテードは眉を顰めて小首を傾げた相手を見やる。
「あ……申し訳ございません。出過ぎたことを」
「構わん。貴殿の意見を聞こう」
「意見と言うほど大それたものではありませんが……ただ怖れながら申し上げますと、何かしらの罠の可能性があるように思うのです」
「……罠?」
「はい。普通に考えれば、五十の兵で砦の五百を攻めるなど愚の骨頂。無謀を通り越して荒唐無稽です。論外であるといってもいい」
「うむ、同感だ」
「仮にも帝国の兵である以上、彼らとてそれは分かっているはずです。なのに何故、このタイミングで無謀とも思える攻撃を仕掛けてきたのか……裏があるように思えてなりません」
「……ふむ」
なるほど。
ロヴィーム子爵の言うことにも一理はあった。
相手が予想外な動きを見せたとき、裏を探るのは当然である。無勢が多勢に勝利するには、いつだって奇策が必要なのだから。
逆に言えば、多勢が無勢に敗北を喫するのは、相手の作戦にまんまとはまってしまった時である。そしてそう言った場面は、往々にして多勢側の慢心から引き起こされるのだ。
「しかし、罠といっても如何にして奴らはこの砦を落とすつもりだ? 砦の周囲に掘られた深い溝に、堅固な城門。そして負傷している貴殿の兵を抜かしても我が兵だけで兵力差は十倍――どのような策を弄そうと、奴らに勝ち目はあるまい」
「閣下の仰る通りにございます。ただ、それだけの戦力差があるからこそ、こちらから討って出るのも一つの手ではないかと愚考いたいします」
「こちらから討って出る? たかが五十の兵を相手にか?」
「はい。帝国兵の策など判りませんが、もしやすると奴らは砦に近づくのが狙いなのやもしれません。我々が砦から出ないことを見越してこのような無謀な城攻めを行っているのではないでしょうか?」
ロヴィームの意外な提案は、しかしディルテードにも少なからず考えさせられるものがあった。
相手の思惑から外れることも、当然だが戦において重要な事だ。それはすなわち、相手の意に沿わない行動を起こすと言うことなのだから。
帝国の兵がこちらを砦から出ないものとみなし攻め入ってくるのであれば、意表を突く意味でロヴィームの言うように討って出るのも間違いではあるまい。
なにせ、相手はたかだか五十なのである。百……いや、万全を期して二百を投入すれば即座に壊滅させられるだろう。
「……本当に帝国兵は五十ほどなのだな?」
「はっ! 帝国との国境付近には常に監視を置いておりますが、報告では伏兵の類は見当たらないようです。最近では帝国側から兵が派遣された様子もありません」
ディルテードは伝令に確認し大きく頷くと、ロヴィームへ笑みを見せた。
「せっかくだ。貴殿の言うように、帝国兵が近づく前に蹴散らすとしよう」
「閣下。言い出したのは私にございます。我らもぜひお供させてください」
「ならん」
恐縮した顔つきで志願してきたロヴィームを見やり、ディルテードは険しい顔で言い放った。
「貴殿らには有事に備え砦で待機してもらうとしよう。まずはしっかり傷を癒したまえ」
「……はっ! お心遣い、感謝いたします」
ロヴィームは少し言葉を詰まらせると、ディルテードへ向けて深々と頭を下げたのであった。




