第四十二話 早すぎた陥落
「止まれっ! 何者だっ!」
団旗を掲げ村へとゆっくり近づいたバルムたちを、ディルテード伯爵の兵と思しき武装した者たちが取り囲んだ。
「おいおい。この旗が見えねぇーのか?」
こちらを円の形で取り囲む十数人の兵を眺め回し、グラッツがバルムの掲げる旗を親指で示す。そこには夕暮れ時の空に、食い散らかされた満月がはためいていた。
「……両欠けの満月――『月喰い傭兵団』か?」
「馬鹿な。傭兵たちはステレッド領に昨日立ったばかりだぞ? こんなところにいるはずが……」
「いや、しかしこの旗を持つ男っ! 間違いない、団長のバルムだっ!」
「誰かっ! 伯爵をお連れしろっ!」
旗を、そしてそれを掲げるバルムを改めて見やり、武装した者たちは途端に騒ぎ始め慌てて数人が村の端へと駆けこんでいく。
「ほ、本当にお前たちは月喰いの傭兵なのか?」
「それ以外になんだっつうんだよ、馬鹿どもが。それよりもこの状況はどうなってやがる? なんで砦にいるはずのテメェーらがこんなところで油売ってやがんだ? あぁ?」
「よせ、ヴルド」
この人数差を前に、ヴルドが構うことなく近くにいた男を見下ろし凄んでみせたが、バルムが冷静にそれを咎めた。
「団員が失礼した。諸兄らはディルテード伯爵の兵とお見受けするが、なぜこのような場所におられるのだろうか? 砦はどうしたのか?」
そしてすぐにそう問いかけるも、兵たちから帰って来たのは困惑するような無言の返事。皆一様に、なんと言葉にすればいいか答えに窮しているようであった。
「……バルム亜聖爵。あなたは『月喰い傭兵団』のバルム亜聖爵でお間違いないのだな?」
「ああ、いかにも」
兵の一人が、質問に答えず逆に問いかけてきた。一応、肩書的には階級が上であるバルムに対し失礼な行いであるが、現状を考えれば取るに足らない些事である。バルムは鷹揚に頷き答えた。
「そう、か……卿の質問にお答えする前に、伺いたい。なぜ、『月喰い傭兵団』がこの地におられるのか。ステレッド領はいかがした?」
「ステレッド領を襲う魔物は我が団が処理した。役目を果たし帰還しようとしたのだが、川に架かる橋が無くなっていたためこの山を迂回路に選んだまで」
「なに? たった一日で魔物を……やはり、あなた方はただ者では――」
「おおっ! バルム殿っ!」
バルムの答えに目を見張って称賛しようとした兵の言葉は、しかし背後から響く声で掻き消されてしまった。
その場にいた全員が一斉に声のした方へ顔を向ければ、何人かの騎士を連れ立ってディルテード伯爵が小走りでこちらへと駆け寄ってくるのが見える。いつも温厚な伯爵の人柄に見合わない必死な形相。そんな伯爵の顔を見れば、やはり何かが起こっているのは間違いなかった。
「ディルテード伯爵……」
「バルム殿っ! ご無事だったのだな……はぁ……はぁ。良かった、本当に、良かった」
ディルテードは自分よりも少しだけ背の高いバルムの両肩を強く握りしめ、息を切らしながら安堵の息を吐き出した。そして何度もバルムの顔を確認し、仕切りに頷き無事を確かめているようだ。
「ど、どうされたのですか、伯爵。たった一日で大袈裟な……」
「あ、いや、すまん。私が不用意に貴殿らをステレッド領へ送り込んだせいであ奴に――あのロヴィームめの手に掛かったのではないかと思っておったのじゃ」
「……ロヴィーム子爵がなにか?」
「うむ……」
ディルテードの反応を訝しんでいたバルムは、彼の口から飛び出した子爵の名前に目を険しくさせる。
バルムのそんな反応がディルテードにも伝わったのか、老練の伯爵はらしくもなく一度口籠り、しかし表情を険しくして頷いた。
「……端的に言おう。砦は落ちた――ロヴィームの策略だ」
「――なんですって?」
硬い、震える声で紡がれたその言葉に、バルムは目を見開き耳を疑った。ロヴィーム子爵が裏切ったことにはほとんど確信に近いものを持っていた。しかし砦が落ちるとは――それもたった一日の間で陥落してしまうなど想定外だ。とんでもない異常事態である。
「おい、冗談だろう? 俺たちを馬鹿にしてんじゃねーぞ?」
「やめろよ、ヴルド。けど、俺も納得がいかない。伯爵、あんたたちが砦を守っていながらなんだってそんなことになる? 子爵が裏切ったからって、そんなにやすやすと国境の砦が落ちるはずがないだろう。あそこは国境に建つだけあって、堅城で知られているはずだ」
憤るヴルドと、それを諫めながらも解せないといった面持ちのグラッツ。二人の視線からディルテードを庇うように、傍に控えていたギレロが間に立ちはだかった。
「国境の砦が堅城であったからこそ、我々は奴らに出し抜かれたのだ。ディルテード様を責めるのはよせ」
「おいおい騎士様よぉ、ふざけてんのか? 相手がどんな手を使ったにせよ、城を落とされたんなら司令官の責任問題だろうがっ! 伯爵に責がない分けねぇーだろうがっ!」
「なにをっ! 下郎の分際でっ!」
「よせっ、ヴルドっ!」
「やめんか、ギレロ! 今は仲間内で争っている場合ではないっ!」
いよいよお互いの武器すら抜きかけない二人に対し、バルムもディルテードも強い口調で制止の言葉を掛けた。そして念を押すように、グラッツがヴルドを離れた所へ追いやった。
「ギレロ。庇ってくれるのは嬉しいが、そこの大槌を背負った傭兵の言う通りだ。砦を守る司令官として、いかなる事情であろうと私に責がないということはありえん。然るべき罰は受ける所存だ」
「でぃ、ディルテード様……」
「だがその前に、なんとしてでも砦は取り戻さなくてはならん……協力してはくれまいか、バルム殿」
覚悟を決めた眼で真っ直ぐにバルムを見つめるディルテード。そこには並々ならぬ決意が見て取れた。
もちろん、元よりバルムとてディルテードに力を貸すつもりであったのだ。バルムは深く首肯する。
「無論です、伯爵。ただその前に控えさせている団の者を呼び出します。なので、我々が国境を離れて何があったのかを……一体如何にして堅城とされる砦が落ちたのかをお聞かせ願えませんか?」
「……ああ、よかろう」
そうして集まった傭兵たちを前に、ディルテード伯爵はことの経緯を重々しく語りだしたのだった。




