第四十一話 脇道の兵
「おいおい……こりゃあどういうことだ?」
その事態に気付いた時、ほとんどの傭兵たちが口を揃えてそんな風に言った。
子爵の屋敷を出発して数時間、『月喰い傭兵団』一行はほとんど予定通りに往路で通った川へと差し掛かっていた。後はこの川を超えて一時も歩けば砦へと戻れる――はずだった。
「橋がない、だと?」
穏やかに流れる大きな川を前に、バルムが唖然とした声を出す。昨日渡って来たはずの川に架かる橋が跡形もなく消えていたのだ。
いや、跡形もなくというには語弊がある。
川岸には木の杭が残っており、そこにはたしかに橋が架かっていた形跡はあるのだ。ただし、やはりそこに本来あるべきの橋そのものが無くなっている。
「流されちまったのか?」
「馬鹿、こんな緩流の川で橋が流されるかよ。昨日、大雨が降ったわけでもねぇってのに」
「……ちっ。やられた、子爵の仕業だな?」
傭兵たちの会話を背後に、バルムは拳を強く握りしめながら忌々しげに呟いた。まさかここまでするとは思っていなかったのだ。
だがそれは、バルムたちの考えが浅かったと言わざるを得ないだろう。
バルムとて、仮にロヴィーム子爵の立場であれば同じことをしたはずだ。時間が稼ぐことが目的であれば、砦へ続く近道であるこの川に架かる橋は当然渡れなくするに決まっている。橋を落とすだけで、数時の回り道を余儀なくされるのだから。
「――泳ぐか?」
「へ? じょ、冗談はやめて下さいよ、団長」
川を鋭い目で睨み付けながら言ったバルムに、傍にいた傭兵たちから悲鳴に近い声が上がった。どうやら団の中には泳げない者も多数いるようだ。
「金槌連中は別にして、そいつはやめておいた方がいいぜ、団長。この川は流れこそ穏やかだが底が深い。武器や皮とはいえ鎧を装備した俺たちが渡るには幅もありすぎる」
「ああ、分かってるさグラッツ。ただ言ってみただけだ」
呆れるようなそのグラッツの声を受け、バルムは肩を竦めてすぐに言葉を引っ込めた。無論、その方法が現実的でないことくらいバルムにも分かり切っていたのだ。ただ、言って茶化しでもしなければやってられなかった。
「はぁ、この川を迂回するとして――南の山を通るしかないかな? 誰か、この辺に土地勘のあるやつはいるか?」
「……はい。この場所は何度か訪れているので、それなりに地理を知っております」
傭兵たちを振り返って尋ねたバルムに、団の中の一人が手を上げて返事をした。
「よし、じゃあ案内は任せるぞ」
「はい」
「ちなみにその道順通りに行って、砦にはいつくらいに着けるんだ?」
「そうですね。おそらくどんなに急いでも三時ほどはかかるかと」
「三時……ええい、あのロヴィームめっ! 絶対に許さんからなっ」
らしくもなく声を荒らげるとバルムは南側にある山へと歩を進め、団員たちも慌ててそれに倣うように追従する。
「団長。たしかに砦への帰還が大幅に遅れるのは面倒ですが、とはいえそれでも子爵が想定していた時間よりもずっと早いはず……それに、基本的に砦は伯爵の兵しか常駐できません。子爵とて真っ向から砦を攻め落とすしかないはず」
「……ああ」
「それならば、まさに砦に攻め入っている最中である子爵の兵を、砦のディルテード伯爵と我々で挟撃できるやもしれません」
「……まぁ、子爵の二百の兵にわざわざそこまでする必要があるとは思えないが、そうなったら楽ではあるね。そうなれば奴らもさすがに降伏するだろう」
取りなす様なベノの言葉に苦々しく顔を顰めながら、それでもバルムはすでに落ち着いた声音で返事をする。こういう時に焦ったところでどうにもならないことくらい、経験から理解しているのだ。理解しているから感情をコントロールできるかと言えば必ずしもそうではないが、ただ焦りから感情を暴走させて下手を打つような真似をするつもりはなかった。
「しかし、三時か。どうやら昼までに辿り着くのは無理そうだな。なぁ、砦に戻る途中、どこか一息つける場所はあるか?」
「はい。山を登って向こう側の麓近くに村があります。そこで一息つけるかと」
傭兵たちを先導するように前を歩く案内役に問いかければ、淀みなくそんな返事があった。どうやらこの傭兵がこの周囲に詳しいのは間違いないようだ。
「むぅ、山越えしなければ休めないか……だが、砦へ戻る前に休息をとらなければ戦闘になった時に不味からな。なにせ、昨日の晩から碌なものを喰っていない……お前ら、少ししんどいがその村まで急ぐぞっ!」
「おうっ!」
振り向いて発破をかけるバルムの言葉にカラ元気のような威勢のいい声を返し、傭兵たちはずんずんと山を登っていく。
連日の長距離移動に、音を上げる者など誰もいなかった。
――ただ一人を除いて。
「……はぁ、はぁ。か、完全に僕らのことなんて考えてくれてませんね」
その登山ペースについていけなくなったのか、比較的前の方にいたサムが最後尾のクロの近くへとやって来た。というよりは、後続に追い抜かれてこの位置になってしまったのだろう。
「サム。昨日はギルの解毒をしていて疲れが残ってるんじゃないか? 前みたいに担いでやろうか?」
息を切らすサムにクロが心配げな声を掛ければ、サムはぶんぶんと首を横に振った。
「じょ、冗談じゃありません。ま、まだ大丈夫です」
そして手の甲で額の汗を拭い、前列に追いつこうと無理に速度を上げる。だが、山の傾斜ですぐについていけなくなり、しかしクロのいる最後尾が迫ると再びペースを上げて距離を取ろうとする。これにはクロも苦笑するしかない。
「サム。もう担いでやるなんて言わないから、無理するな。一緒に歩こう」
「う、うぅ……」
優しくそんな風に声をかけてやれば、サムは少し悩んだような顔をした。しばしの逡巡をみせ、結局は限界が来ていたのだろう。擦れるような声で小さく頷いた。
「……はい」
「なーに、山の頂上も近づいてきてんだ。あとちょっとの辛抱ってもんでぇ。それに、クロが嫌なら俺が担いでやらぁ」
サムが最後尾に並ぶと、昨晩服毒したとは思えない程の笑みでギルデークが彼の肩を調子よく叩く。
「あいたっ?」
周囲には軽く叩いたように見えたがサムには強すぎたようで、小柄な身体が前に押し出されて蹈鞴を踏む。そうしてなんとか踏ん張って転ぶのを耐えると、振り向いて肩を叩いたギルデークへ抗議するような表情を向けた。
「ぎ、ギルさんっ! 痛いじゃないですかっ」
「お、悪い。まさかそんなに吹っ飛ぶなんてよぉ……やっぱり足腰にきてんじゃねぇーかい?」
「そんなことは……少ししかありません」
「相変わらず強がりな奴だ。まぁ、無理は禁物ってもんでぇ。本当にきつくなったら、昨日の礼に負ぶってやるから言うんだぜ?」
「……はい」
顔中に汗を浮かべながらも、どんどんと歩くペースを落としながらも、サムはクロやギルデークらに喰らい付くようについて行った。
そして一行は山を越え、先導する傭兵の案内でほとんど止まることなくさらに歩き続けた。
空高くに上っていた陽は既に落ちかけ、周囲は徐々にではあるが確実に薄暗さを増している。あと一時もすれば、完全な闇となるだろう。
「あ、もうすぐですよ」
団の中に少なからず焦りが見えてきたころ、先頭に立っていた案内役の傭兵がさすがに少し息を切らしながらバルムへと声を掛けた。
「ふぅ、ようやくか。さすがに少ししんどいなぁ」
団長だけあって、言葉とは裏腹に息を乱すことなくバルムは呟いてから、背後の団員たちを振り向いた。
「おーい、みんな。もうすぐ着くぞ」
「おうっ!」
安堵するような声を上げ、一行は更に歩みを早めて山を下る。そして木々の間から開けた場所が見えたとき、先導していた傭兵とバルムは足を止めた。
「おい、止まれっ」
その後、即座に警戒するような声を出して背後の傭兵たちを振り向きもせずに制止する。
「だ、団長?」
団員たちの幾人かが戸惑ったような声を上げるが、しかし前列にいた何人かはすぐに気付いたのだろう。武器に手を掛け一斉に戦闘態勢を整えた。
「念のため聞くが……この村はいつも武装集団が屯しているのか?」
「と、とんでもない。人の少ない、ひなびた村ですよ……」
バルムの囁くような声に、ここまで団員たちを連れてきた傭兵は慌てて首を横に振った。
その会話通り、たしかに村と思しきいくつかの田畑や民家が並ぶ土地に、場違いな鎧や武器を身に着けた集団が警戒するようにうろついているのだ。それも十や二十ではない。三百、控えめに見積もっても二百は下らないだろう。その人数や整えられた装備からして単なる山賊の類でないことは明白であった。
彼らが困惑し、警戒するのも無理はない。
「――どうしたの?」
突然立ち止まった前列が気になったのか、身軽な動きで最後尾にいたクロがバルムの横に並ぶ。それをベノが眉を顰めて窘めた。
「クロ、下がっていなさい。前も言いましたが無暗に列を乱すものではありません」
「ごめん。でも気になって……うーん? あれ? なんで伯爵の兵がここに……」
「おい、あまり前に――伯爵っ?」
危険を恐れないかのように木々の隙間から様子を窺うクロにバルムが声を掛け、だがその言葉に慌てて武装した集団を観察する。
「ほら、あの一番右端にある家の扉付近にいる人――あの人、たしかディルテード伯爵の傍にいたギレロって騎士でしょ?」
「なにっ? 右端の家――うーん? たしかに鎧の色は似ているようだが、遠すぎて顔なんて分からんなぁ……もう少し明るければいいんだが」
「クロ、間違いありませんか?」
「ああ、断言する、間違いないよ」
クロの頷きにベノは真剣な顔で一度頷いた。そして目を細めて遠方にいる騎士を睨み付けているバルムに進言する。
「団長、クロは夜目が利きます。おそらく間違いはないと思われます。私の見える範囲にも、見覚えのある兵がちらほらと……伯爵の兵であれば何故この場所にいるのか早急に確認する必要があるでしょう」
「……うーん、そうだな。砦にいるはずの彼らがここにいるのは妙だ――おい、その旗を貸せ」
「え? あ、はい」
バルムはベノの言葉に同意すると、近くにいた旗持ちから団旗を預かり大きく掲げた。
「いいか? 俺とグラッツ、ヴラドでこの旗を持って姿を晒す。お前らはここで待機していてくれ」
「なんだってそんな回りくどい真似を?」
首を傾げるグラッツに、バルムは鋭く伯爵の兵に目を向けた。
「砦にいた筈の伯爵たちがここにいるのは明らかに不自然だ。何かが起こっているのは間違いない。考えたくはないが、ロヴィーム子爵どうよう、伯爵も帝国に寝返ったのかもしれない」
「え? 嘘だろうっ?」
「ああ、俺も嘘だと信じてるよ。だが、何があるか分からないからな。仮に攻撃されてもいいように、俺とお前たちで行くんだ。全員で行って囲まれるのだけは避けたい」
「でしたら団長の代わりに私が行きましょう。わざわざあなたが危険を冒す必要はありません」
旗を受け取ろうと手を伸ばしたベノに、バルムはゆっくりと首を横に振った。
「いや、団で一番顔が知られている俺が行く方が確実だ。あいつらやたら警戒してるからな。敵だと思われて攻撃されるのは馬鹿らしい」
「……そういうことでしたら。ただ、危険を感じたらすぐに逃げて下さい。我々が即座に援護します」
「はは、心強いねぇ」
バルムは一度苦笑を浮かべると、直ぐに表情を引き締めた。そしてグラッツとヴラドを伴い、旗を掲げ振りながら、木の影から姿を現し進み出る。
団員たちはそれを、臨戦態勢を整えながら固唾を飲んで見送った。




