第三十九話 誤算
「グラッツ、これは何ごと?」
一様に険しい顔つきをした傭兵たちの隙間を縫ってやはりしかめっ面のグラッツの元へクロが行くと、巨漢は盛大に肩を竦めて見せた。
「何ごとも何も――毒だよ」
「え?」
「こいつらが出した料理に毒が入っていやがったんだ。何のつもりかしらねぇーが、到底許せることじゃねぇ」
傭兵たちが拘束されて座り込む使用人たちを、鋭い目で睨みつけているのも納得できる理由だ。ただ、服毒したにしてはあまりにも威勢が良すぎるだろう。クロは首を傾げた。
「毒? その割にはみんなぴんぴんしてるようだけど?」
「ああ。俺たちは団全員で食べるとき、自分たちで用意した食事以外は毒見役を立てるのさ――ギルが当たった」
「え?」
渋面を作り、忌々し気に言ったグラッツが顔を横に背ける。クロが眉を跳ね上げながらその先を見れば、大広間の一角に寝そべるギルデークと傍にしゃがみ込むサムの姿があった。
「安心しろ、命に別状はねぇーみたいだ。口に含んだのは少量ですぐに吐き出した。傍にサムもいてずっと治療してくれてるしな」
「そう……でも、毒見までちゃんとやってるんだ。『月喰い傭兵団』って……」
「団長がけっこうそういうの気にするんだよ。まぁ、俺も毒なんてつまんねぇもので死にたくないしな」
「ふーん、団長がねぇ」
グラッツの言葉を受け、クロは屋敷の使用人であるラゼスをねめつけているバルムへと視線を移した。
「……ラゼス殿。いったい、何が目的で我らを毒殺しようとしたのか? そろそろお話しいただけないか?」
目を鋭くしたまま口元だけに笑みを浮かべるという器用な表情を作って尋問するバルムに、縄で縛られたラゼスは冷や汗を流しながら首を横に振る。
「ち、ちが……あ、あれは毒ではなくて――そう、睡眠薬ですっ! お疲れの皆様にゆっくり休んでいただこうと……」
「ほう? では、あの食事を食べても人体に何ら影響はないと?」
「は、はい」
「なら、ここで今すぐ食べてみろ」
バルムが食事の入った皿を持ってこさせると、途端にラゼスは狼狽して首を横に振った。
「ひぃっ! お、お許しを……だ、騙されたのですっ! 私は、騙されたのですっ!」
「……」
「り、料理をおいしくする調味料だと言われて入れただけですっ! ま、まさか毒だったなんて……」
「誰に調味料だと言われたんだ?」
「……そ、それは……」
再び口籠ったラゼスにバルムが舌打ちをして剣をちらつかせる。するとラゼスは慌てたように喋りだした。
「そ、その者はステレッド領の領民でございます。ここから南へ一日程度歩いた場所に小さな村があって、村人たちはよくこの屋敷へ収穫物や狩猟物を届けてくれるのです。その村の者が先日、「特別なお客様にお出しする料理に、これを入れたらいい」と譲ってくれたのです。「料理の隠し味にもってこいだ」と。ま、まさか毒だったなんて……」
「その者の名前は?」
「ご、ゴーウィと言う青年です。お調べになって頂いても構いませんっ」
「ふーむ……」
ラゼスからある程度の情報を聞き出すと、バルムは首を捻って腕を組んだ。
「おい、ベノ。どう思う?」
「そうですね。供述が二転三転しているのは疑わしいですが、突然の事態に頭が混乱しているだけの可能性もあります。人は錯乱すると整合性のない話をしてしまいがちですから」
「まぁな。ただ、俺たちは前々から子爵に快く思われていないからな。故意に一服盛られてもおかしくはない――」
「ええ」
バルムの言葉にベノは頷くと、冷ややかな目をラゼスへと向ける。
「ただ、相手は子爵でこの男は子爵の従者です。もちろん、私が拷問――失礼、尋問することはできませんし、この男の言い分を確かめてから処断しなければいけないでしょう。この男がその小さな村にゴーウィと言う若者がいると言うのであれば確認せねばなりません。なんの裏どりもせずに処してしまえば、子爵が無関係であった時に我々が非難の側に立たせられるでしょう」
「まぁ、な。逆に村を調べてそんな若者がいなければ、子爵の関与はほとんど決定的。俺たちが堂々と子爵を追求できる立場になるってわけだ」
ベノと話をして自分なりに納得いく答えが見つかったのか、バルムはひとつ大きく頷いた。
そして、周囲に居並ぶ傭兵たちへ視線を巡らせる。
「みんな、よく聞け。子爵の従者であるラゼスに俺たちは毒を盛られたが、この件に子爵の関与があったかどうかは不明だ。また、ラゼスが意図的にやったかどうかも今は分からない。なにせ、あまりにもリスクが大きすぎるからな。たとえ俺を殺すことができても、子爵の聖国での立場は危うくなるはずだ」
そこで一旦言葉を切ると、バルムは全員がしっかりと自分の言葉に耳を傾けているのを確認するように一拍の間を空けた。
「――そこで明日の朝、何人かを南の村へ向けて送り出す。その村でラゼスへ毒を混入するように唆したゴーウィと言う男を捜索させるつもりだ。幸い、到着した今日だけで魔物たちを対処し終えたんだ。時間ならいくらでもあるしな――お前らいいか?」
「おうっ!」
バルムの問い掛けに、団員たちの声が威勢よく上がる。
「よし。それじゃあ、さっそく送り出す人員についてだが――どうした? クロ?」
しかし、すぐに団員たちの中で真っ直ぐに挙がった手を見つけ、その手の持ち主であるクロに視線を向けて首を傾げる。
「団長、少しいいか?」
「――なんだ?」
「今日は遅いし、明日の朝出発するのは賛成だ。けど、行く先は南じゃない。砦のある国境――西だよ」
「なに? それは……砦に戻れと言うことか?」
クロの言葉が理解できないとばかりにバルムが探るような声を出す。周囲からも訝し気な空気が立ち込める。
「おい、またなにかあいつ言い出したぞ?」
「単なる目立ちたがり屋なんじゃねぇーか?」
「やっぱ可愛いんだよなぁ」
「砦に戻って何しろってんだ?」
「――お前ら、一旦静かにしろ」
挙がったざわめきを一声で沈めると、バルムがクロへと話を促すように視線を送ってきた。
「さっきお爺さんとも話したんだけど、多分、子爵と帝国はグルだよ。このままだと、砦が危ない」
「……はぁ? なんだって?」
クロの言葉に一瞬の間が空き、そしてようやくその言葉を飲み込めた傭兵たちの顔に驚きの表情が浮かび上がる。
クロはそれらを確認することなく、さりげない目の動きで縄に縛られ動けないラゼスの顔を観察した。が、ラゼスは能面のような無表情を顔に張り付いているだけだった。
「クロ……わけが分からんぞ? 子爵と帝国が繋がっている? なぜ、そんな話になるんだ?」
「団長が言ったんじゃないか。「子爵が魔物たちと戦った痕跡が見当たらない」って。その通りなんだよ。子爵は魔物と戦ってないんだ。オレたちをおびき寄せるためだけに魔物が出たことにして、砦へ遣いを送った。そしてオレたちをまんまとステレッド領に来させたところで、帝国のエザールに魔物をけしかけさせたんだ」
「……なんだと? あっ!」
「馬鹿な――いや、そうか……そう言うことですか、なるほど。奴ら、考えましたね」
目を見開くバルムと、クロの言葉が理解出来たように頷くベノ。どうやら首を捻る団員たちとは違い、団長と副団長の方は合点がいったようだ。
「奴らの目的は、オレたちの排除――あるいは足止めってわけだ。魔物や毒で俺たちが死ねば良し、そうならずとも、子爵の兵が砦を取り込むまで足止めできれば良し――そう言うことかね? そうか、奴らにはもう、聖国での立場などどうでもいいということか」
「うん」
「おいおい、団長。一体何の話をしてんだ?」
「おい、糞餓鬼。俺たちにも分かるように説明しやがれ」
分かり合うバルムとクロへ面白くなさそうに、グラッツとヴルドが首を傾げて聞いてくる。ヴルドの方は組んだ腕を人差し指で忙しなく叩いている辺り、理解が追い付かない事への苛々もあるようだ。
「お前らいいか? つまり、だ。配置交換からすでに子爵に仕組まれたことだったんだよ」
「なに?」
「子爵の狙いは戦力を減らした砦へ奇襲をかけることなんだ。俺たちをステレッド領に誘導し足止め。そしてその間に砦を取るのが奴らの目的だ」
「子爵はなんだってそんな事を? なんだって聖国を裏切って帝国なんぞに」
「さぁ、そこまでは知らない。ただ、単なる足止めではなく魔物や毒を使って念入りに殺そうとしてくるあたり、『月喰い傭兵団』にも一因はあるだろうな。まぁ、どうでもいいけど」
バルムは肩を竦めると、背後にいたラゼスの方を振り返る。
「答えろ。子爵と帝国はグルなのか?」
「な、何のことですか? わ、私は何もっ! そ、それよりも南村をお調べくださいっ! 間違いなくゴーウィと言う者がっ!」
唾を飛ばしながら必死な様子で無様にバルムへとすり寄ってくるラゼスを、バルムは一歩下がって避けた。
「もうその話はいい。まったく大した奴だな、あんた。単なる腰抜けが命惜しさに白状したかと思っていたが、その逆だったか。あんた、命をかけて時間を稼ぐつもりだったな?」
「まぁ、子爵が『月喰い傭兵団』を対処させるために残していった従者だからね。それなりに頭は切れるんじゃないかな?」
感心してラゼスを見下ろすバルムに、近づいたクロが訳知り顔で頷いた。そしてバルムと同じようにラゼスを見下ろし小さく笑みを浮かべる。
「誤算だったね。まさかいくらでも生み出されるはずの魔物たちが一日で撃退されてしまうなんて。まさか一介の傭兵たちに毒見役がいるなんて。まさかこれだけ頑張ったのに、一日しか時間を稼げないなんて――ご愁傷様」
「ぐっ……な、なんだ貴様はっ! バルム殿! あなたはこんな小僧の言い分を信じて、我が主を逆賊扱いされるのですか? 主が帝国と繋がっている? 何を馬鹿なっ!」
「たとえロヴィーム子爵が帝国とグルでなくとも、俺たちが毒殺されかけた事実は消えない。あんたたちには一緒に砦に来てもらうぞ」
「そうですね。もしやすると、子爵たちへの人質に使えるかもしれませんし、ね」
バルムの言葉に同意するように、ベノは鋭い眼差しをラゼスや使用人たちに向けニヤリと笑う。
そんなベノの姿に、使用人たちは演技でもなさそうな本心からの恐怖を覚えたように顔を引き攣らせた。
「よし、予定は変更だ。明日の朝、全員で砦へと帰還する。仮に子爵が無罪であったところで、俺たちは魔物をすでに討伐済みだ。なんら問題はあるまいよ」
「では、各自明日に備えて英気を養いなさい。ああ、子爵の使用人たちは一つの部屋に放り込んで見張りを立てるのを忘れずに。では、一先ず解散」
本来であれば危険を顧みず、たとえ周囲が暗闇に包まれていようとも大急ぎで砦へ引き返すべきだったのかもしれない。
だが、砦にいるディルテード伯爵の兵は五百。対してロヴィーム子爵が率いて行ったのは二百――実に倍以上の戦力差があるのだ。おまけに伯爵は砦を使い戦うことができる。普通に考えれば、ロヴィーム子爵の兵に勝ち目はなかった。
仮に伯爵を出し抜く妙案があったとしても、即座に砦を手に入れることなど不可能――誰もがそう思っていた。
そう考えていたからこそ、『月喰い傭兵団』のメンバーは油断はせずとも焦ってはいなかった。
この時は、まだ。




