第三十七話 魔力林
「どうやら、無事に一件落着と言うことで良さそうだな」
居並ぶ仲間たちを前に、燭台の明かりに照らされたバルムは満足げな笑みを浮かべて頷いた。
魔物たちを尽く打ち倒した『月喰い傭兵団』は魔物の死骸を処理すると、ロヴィーム子爵が残していた屋敷へ戻ってきた。
子爵が「好きに使っていい」と言っていたので、遠慮なく使わせてもらうことにしたのだ。
「屋敷付近で警戒に当たっていた奴らには出番がなくて申し訳なかったが、一先ずステレッド領の危機は去ったと言うことでいいだろう。たった一日で解決したんだ。子爵たちの悔しがる顔が目に浮かぶな」
意地の悪い笑みを浮かべて調子よく言ったバルムに、周囲の傭兵たちからも歓声が上がる。
やはり皆、ロヴィーム子爵に対していい気持ちは抱いておらず、緊張状態から解放されたことでそれが発露された結果なのだろう。
「それで? 魔物を呼び寄せていたと思しき魔法使い、あの悪名高きエザールを見事討ち果たした功労者の姿が見えんが――おい、グラッツ。クロはどこに行った?」
「いや。なんでも確かめたいことがあるって言って、林へ出かけて行ったぜ。魔術師殿もつれて」
「なに? もう外は暗いんだぞ? それにヌウロ術師を連れて行ったのか……」
グラッツの返答に、笑みを浮かべていたバルムが渋い顔を作った。そんな表情がコロコロ変わる団長に、副団長であるベノが首を傾げる。
「私が許可を出したのですが、不味かったですか? 報告が遅くなったのは申し訳ありませんが、取り立ててお伝えするほどのことでもないと思いましたので。周囲にもはや魔物がいない事は確認できましたし、たとえいたとしても高が知れています。団長もヌウロ様とクロの実力はご存知でしょう?」
「ああ、別にクロたちの心配をしているわけではないさ。ただ、俺も気になっていることがあってね。ヌウロ術師かクロにでも尋ねようと思ったのだけど……まぁいいか」
バルムは一度肩を竦めて仕方なさそうに頷くと、傍のテーブルに所狭しと並べられた料理へと視線を移した。
「さて、それでは戦勝記念にラゼス殿が用意してくれたご馳走でもいただくとしよう」
その言葉を受けて、こちらの話が終わるのを待ちきれないと言わんばかりに料理を見ていた傭兵たちは、期待するような顔つきとなった。
これではいつも通り熾烈な料理の奪い合いが展開され、クロたちが帰って来たところで、料理など一口も残されていないだろう。
そんな容易く想像できる未来を思い浮かべ、バルムはベノと顔を合わせて苦笑する。
「まぁ、待て待て。一応、他人様が提供してくれた料理だからな。念のためにいつものやつをするとしよう。誰か、立候補者はいるか?」
バルムの言葉を受けて、一斉に傭兵たちの腕が挙がったのだった。
「ふむ……お主が言うように、たしかにこの林はおかしいのう」
「ああ、やっぱりお爺さんには分かるんだ?」
「もちろんじゃ。お主のことだから儂の過去を探るための口実かと思うたが、違ったようじゃな」
「はは。まぁ、それは後で聞くからいいよ。今はこっちの方が大事だからね」
屋敷を遠く離れた海側の林で、クロとヌウロは二人きりで話し合っていた。
灯りはヌウロが燭台の蝋燭に灯した小さな火だけであるが、クロはまるで遠くまで見渡しているかのように首を巡らしている。
それが気になったのか、ヌウロが首を傾げた。
「お主は随分と夜目が利くようじゃな」
「うん、生まれつきね。それよりも、この林に漂っている妙な感じ――やっぱり魔力なのかな?」
「ほう? 気付いておったか」
クロの言葉を受け意外そうに目を細めたヌウロは、周囲の暗闇を切り裂くように右手を軽く正面へと翳した。
「坊主、見ておれ」
ヌウロが上へと向けた掌から、突然赤に近い色の光が生まれ、パチパチと音を立てる。紛れもない火であった。
そのあまりに自然な様子で生み出された火に、傍観していたクロは感心したように目を丸くする。
「すごい……何の準備もなしに火を熾すなんて――これ、魔術じゃないよね? 魔法?」
「はっはっは。馬鹿を言え。魔術に決まっておる。ただし、この場所でのみ行える限定的なものじゃがな」
「……この場所で? つまり、林に漂っている魔力を使っているってこと?」
やたら「限定的」と言う言葉を強調して言ったヌウロに、クロが核心を突いたような目で問いかける。するとやはり目の前の魔術師は、掌の火を消して面白そうに笑みをこぼした。
「ほほ、ご名答。お主、なかなか魔力に関する才覚があるのう。鍛えれば、一端の魔術師になれるやもしれんぞ?」
「冗談、オレにはむいてないよ。それよりもどういうことか、戦士のオレにも分かるように説明して欲しいな」
「ふむ、つれない坊主じゃのう。まぁいい――この林には、膨大な魔力が集まっておるということじゃ。単なる魔術師が、仕掛けなしでも火を熾せる程の魔力が。あまりにも濃い密度じゃて、少しでも魔力の才能がある者ならば違和感を持つじゃろう……お主のようにな」
「……それは、エザールの仕業?」
「いや。いくら奴でもこの規模の魔力を人為的に一つの場所に留まらせるのは不可能じゃろう。この林に魔力が集まっておるのは単なる偶然なはずじゃ。大陸の各地にもこの場所と似たようなところは稀にある。原因は良く分かっておらんが、魔力が集まりやすい地形や立地というものがあるんじゃ。もしやすると海に近い林と言うのがこの場所に魔力の集まっている理由の一つやもしれんな」
考察するように視線を落として顎に手を当て始めたヌウロ。どうやらこの場所に魔力が集まっている原因について考え始めてしまったようだ。
研究熱心なのは魔術師にとっていいことなのだろうが、クロにとってはもっと気になることがあるのだ。慌てて再度質問をする。
「あのさ? エザールの仕業じゃないとしたら、なんであいつはここにいたんだ?」
「ふむ。おそらく奴はこの林の魔力を用いて魔物を呼び寄せておったのだろう。屋敷でエザールが百体もの魔物を召喚したと聞いた時は耳を疑ったが、この林の魔力を使えばなるほど、可能じゃろうな」
「魔力があるからって魔物を呼び寄せたりできるの?」
「もちろん、儂や魔術師と呼ばれる連中には無理じゃな。魔法使いであるエザールだからこそ可能なのじゃ。しかし、それでも一度に百体程度が限度なはず。再度呼び出すにしても時間がかかるじゃろう」
「なるほど、ね」
ヌウロの解答に今度はクロの方が思考を巡らし、疑問を抱いたように首を傾げた。
「エザールは、なんのためにステレッド領を魔物に襲わせたんだろう。オレが知ってるエザールって魔法使いは、滅多に人前に姿を現さないことで有名だったはずだ。大した理由もなく、この場所へのこのこ出てくるとは思えないんだけど」
「それは儂も気になっておった。まぁ、お主が倒したのは奴の分身体じゃろうが、それでもエザールにとっては大きな痛手なはず。解せんな」
「うん……え? あれ、分身体なの?」
何気なく呟かれたとんでもない言葉に、クロは一瞬間を置いて反応する。そんなクロに、ヌウロの方こそ不思議そうな顔つきとなった。
「おや、気付いておらなんだか? いくら奴が魔法使いだったとしても、ナイフに貫かれて生身が粉々になることはないじゃろう。お主は分身体の核を破壊し、消滅させたに過ぎん……まぁ、それができる術師などほとんどおらんし、況や戦士があのエザールの分身体を討ち取るなど――ほっほ。長生きはするもんじゃな」
「笑いごとじゃないんだけどなぁ、まったく。まぁ、そんな気はしてたからいいけど……それよりも、なんでエザールの分身体がステレッド領を魔物に襲わせていたか、だよ」
クロの言葉に、ヌウロも深く頷いた。
「ふむ、たしかに気になるのう。今は『殲滅期』じゃて、この場所で陽動をしたところで国境付近の帝国兵は退いておるしのう」
「うん。けど、何か意味がある筈なんだ。あいつが言ってたんだ。「不完全ながら目的は達した」ってね」
「ほう……奴がそんなことを。いよいよもって裏がありそうじゃが……とんと見当がつかんのう。そもそも奴はあれほどの規模の魔物をどこから連れてきたんじゃ?」
「あ、それなら簡単だよ。お爺さんが言ったんじゃないか。今は『殲滅期』なんだよ」
「うん? あぁ、なるほどのう――」
首を傾げていたヌウロは要領の得ないクロの言葉を受けて、しかし即座に納得したようだ。
「なるほど。奴らは帝国のサファード鉱山の魔物か。ふむ、儂らはまんまと奴らの魔物討伐に協力をさせられてしまったというわけじゃな?」
「悔しいけど、こことサファード鉱山がエザールに繋げられているなら、また魔物を送り込まれるかもしれないね」
「分身体を壊されて、奴とて疲弊はしておるはずじゃ。すぐには無理じゃが、いずれは送り込んでくるじゃろうな。まぁ、そんなことはさせんが」
言うや否や、ヌウロは地面に向けて再び掌を翳した。