第三十五話 林に潜む者
最初に林から現れた魔物たちは、『月喰い傭兵団』の巧みな戦術と一人一人の圧倒的な実力によってなす術もなく蹂躙され、あっという間にほとんどが屍となった。
だが、息つく暇もなく、林から再び魔物の群れが姿を現した。それも先ほどと同じ規模――あるいはそれよりもさらに多いかもしれない。
「おいおい、どうなってんだこれは?」
「もしかして、キリがないとか?」
魔物たちを尽く倒した傭兵たちにも、さすがに少なからず動揺が見て取れた。
どれだけ傭兵たちが強いと言っても、人間である以上は体力には限界があるのだ。このまま消耗が続けば当然だが犠牲者も出るだろう。
「団長? どうする。一旦退くか?」
険しい顔をするグラッツの問い掛けに、バルムは少し考えるような表情をして首を横に振った。
「……いや。魔物たちが際限なく出現するとしたら、放っておけばさらに数が増えていよいよ対処困難になるだろう。どうにか対処できる数の内に倒しきりたい」
「けどよ。多分、倒してもまたすぐに湧いてくるぜ?」
「ああ。だが、これほどの規模の魔物が自然発生するなんてことはありえない。林の中に何らかの原因があるんだろう。あの魔物の群れを片付けている間、二、三人にそれを調べてもらうとしよう」
そう言うとバルムは、クロの方へと視線を向けた。
「クロ」
「うん?」
「お前は林の中で変な感じがするとグラッツに言ってたな? もしかしたら、それも関係しているかもしれない……行ってくれるか?」
「了解」
「グラッツ。新入りのクロだけじゃやっぱり心配だからな。お前もついて行ってくれ」
「……」
あっさりと了承したクロとは違い、バルムの指示にグラッツは渋い顔をした。
「どうした?」
「いや……無茶すんなよ、団長。あんたが怪我したら、俺が副団長に文句言われんだから」
「はっは。俺を誰だと思ってるんだ? 言っただろう? 心配するな」
「ったく。了解――クロ、行くぞ」
「ああ」
周囲にいた魔物たちを一掃した傭兵たちは、再びバルムを中心として陣を形成する。先ほどと同じ戦法で新たに現れた魔物を倒すようだ。
そんな彼らを余所に、クロとグラッツは林の方へと足早に突き進む。
『グオ?』
当然、林から出てきた魔物たちがそんな二人を素通りさせるわけもない。
人間で言う訝し気な顔をしながらも、それぞれ武器を構えて迎え撃つ形となった。
「うおおぉぉぉっ!」
しかしクロたちの背後で上がった鬨の声に、魔物たちは驚いたようにそちらへと視線を向けた。一纏まりとなった傭兵たちも二人の後から声を上げて、今度は自分たちから魔物へ迫っているのだ。
二人と二十人の集まり。
両者とも魔物たちの方が数では圧倒的に有利ではあるが、どちらを注意を払うかと言えば二十人の傭兵たちの方だろう。
魔物たちの警戒がクロたちから背後の傭兵たちに移り、もちろんそれを見逃す二人ではない。
「おらっ! 道を空けろっ!」
「しっ!」
注意が散漫となった魔物たちを斬り倒しながら、グラッツとクロが突き進む。これには魔物たちも慌てたように迎撃するが、動揺も手伝ってあまりにもおざなりだ。とてもではないが腕のいい戦士たちの相手になるような代物ではなかった。
林への行き掛けの駄賃とばかりに次々と魔物を倒し、そして二人はとうとう魔物の群れを突き抜けてしまった。
『ガァ!』
林へと向かう二人を追おうと興味を示した魔物もいたが、目の前に迫った傭兵たちの追撃を前にそれもできない。
元々二人の突撃によって混乱状態だった魔物たちは、近づくや否や左右に素早く広がった傭兵たちに翻弄されまくりだ。
先ほどの魔物の群れのように、ほとんどなす術もなく散り散りとなって無残にも斬り倒されていく。
「よしっ! あっちは上手く行ったみたいだな」
その戦況を尻目に、グラッツは小さく頷き安堵した声を出した。
「うん。けど、気を引き締めないとな。あの林、何だかさっきよりも嫌な感じだ」
そんなグラッツとは対照的に、険しい顔でクロが窘めるように細めた目で林を睨んだ。グラッツもその言葉を受けて、探るように辺りを見渡す。
「……いかんな。俺にはやはりよく分からん。だが、唐突に魔物が現れた時点で林になにか起こっているのは間違いない。慎重に行くとしよう」
林を目前に二人は足を緩めると、言葉通り周囲を警戒しながら探索する。するとすぐに、林の中でフードを被り、黒い外套を纏った何者かがこちらへ背を向けて立っているのを見つけた。
その背の高いフードの男が翳す掌の先、まるで空間がひび割れたかのように黒い線が入っている。いや、まさにひび割れているのだ。少しずつ黒い裂け目が大きくなってきている。
「おいっ! そこでなにしてやがるっ!」
そんな男へ向けて、グラッツが大声で問いかけた。
よほど集中していて二人に気付いていなかったのか、グラッツの声に肩をピクリと震わせると、外套の人物はゆっくり振り向く。
「……くそっ。せっかく込めた魔力が霧散してしまった。これだから野蛮な傭兵は……」
毒づくように呟いた男はフードをまくって青白い顔を晒し、忌々し気にグラッツの方を睨んだ。
「ああ――『剛腕』のグラッツか。通りで、お早いお着きなわけだ」
「あん? 俺の名前を知ってんのか? お前は誰だ? ここでなにしてやがる?」
「私が何をしているかだって? ふへっへ。もちろん――帝国の利になることさっ!」
突然フードの男がふわりと浮き上がり、瞬く間にグラッツの方へと迫り来る。
「なっ?」
男が右手に持ったナイフをグラッツへと振り下ろすが、グラッツも素早く剣でその攻撃を受けて弾いた。
「増援が来る前に貴様には死んでもらうぞ、『剛腕』っ!」
「ふざけんなっ! 死ぬのは、お前だっ!」
再び迫り来る男のナイフを掻い潜ると、グラッツは一気に大剣を振り抜いて男を真一文字に斬り倒す。
胴と下半身が断割れた男は地面に倒れ伏――さない。
即座に上下に断たれた身体がくっつき浮かび上がると、驚くグラッツへ素早くナイフを振り下ろす。
「死ねっ!」
「あぁ?」
そのあまりにも非現実的な光景を前に身動き一つできなかったグラッツへ迫った凶刃。だがそれは、横合いから突き入れられた剣によって防がれる。
「なんだとっ?」
「グラッツ、下がって。たぶんこういう相手は、オレの方が適してる」
防がれたナイフに驚きの声を上げた男を見つめたまま、クロがグラッツを庇うように前へ出た。
「小僧……よくも私の邪魔をしてくれたな」
「ねぇ、あの魔物はおじさんが出したの?」
「――口の利き方を知らん小僧だな。一度私のナイフを受けたからと言って、調子に乗るなよ?」
「別に乗ってない。それよりも質問に答えて欲しい。あの魔物は、おじさんが出したのか?」
「……ふん、死ねっ!」
両手を広げて首を傾げたクロに隙を見出したのか、男は地面から体を浮かせたまま突っ込んだ。だがもちろん、それはクロの誘いだ。
突き入れられたナイフを身体を捻って軽く躱し、返す剣で男の右腕を斬り飛ばした。
「ふへっへ。無駄だ」
だが斬り飛ばされた肘の先が空中で霧状になると、男へ吸い込まれるように吸収され、再び元通りの腕となった。その間、男の腕から一滴も血が飛び出すことはなかった。
「――こいつ、不死身か?」
クロの背後でグラッツが驚くような声を上げた。そのグラッツの反応に、男は喜色満面な笑みを浮かべる。
「ふへっへ。分かったか? 貴様らには私は倒せん。足掻くだけ無駄だ」
「……うん、なるほど。大体、解った」
「ほう? 随分と物分かりがいいな。そのまま絶望して死ぬがいい」
クロの感心するような頷きを言葉通りに捕らえたのか、男が余裕のある表情でナイフを再び構えた。
しかしそんな男に対しクロは構えることなく、確信を持った声で問いかける。
「おじさん、ガルザー帝国のエザールとか言う魔法使いだな?」




