第三十四話 圧倒
林から唐突に出現した魔物は、幸いなことにゴブリンやコボルトいった小型のそれほど手強くはない相手だった。
ただし、その数が尋常ではない。
一目見ただけで百は超えていると分かる魔物たちが、小型とは言え殺傷能力のある武器を持ってこちらへ波のように迫ってくるのだ。
常人であればそれだけで恐怖と絶望のあまり気を失っていたかもしれない。
「……なんだ、ただの木っ端どもか」
「数は多いが――まぁ、なんとかなりそうだな」
しかしここに居並ぶのは、戦いに戦いを重ねてきた傭兵たちである。
それも少数精鋭であるがゆえに、常に多勢を相手にしてきた一騎当千の猛者たちだ。今さらこの程度の数の差に臆するはずもない。目の前の魔物たちが頭数だけの取るに足らない相手であればなおさらのこと。
「さて――お前たち。最近は帝国の兵士とばかりやり合っていて、魔物相手は久しぶりだろう? 遠慮はいらない。好きなだけ貪ってやれっ!」
「人間相手が多かったからって、魔物との戦い方を忘れちゃあいねぇだろうな? この程度の雑魚に、いちいち団長に細かい指示なんて出させんじゃねーぞ?」
「おうっ!」
バルムとグラッツの発破をかけるような声に、団員たちが大声で威勢のよい返事を返す。その様子を見れば、彼らは何をすればいいのか理解しているようだ。
「なぁ、グラッツ。オレはどうしたらいい?」
「うん?」
しかし新入りであるクロは、こういった場面での『月喰い傭兵団』の戦い方を当然知らない。グラッツの方へ近寄ると、首を傾げて問いかけた。
「突っ込んで斬っていけばいいか?」
「あー……多分お前ならそれでも問題ないんだろうが、とりあえずは俺と団長の傍にいろ。そんで近づく魔物を倒せ」
「了解」
クロが前方を見据えたままグラッツに頷きを返せば、その視線の先にいた魔物たちはいよいよ歩くのをやめてこちらへ向かって駆け出してきた。
小柄な魔物ゆえ、足が短くそれほど走るのも早くはない。だがそれでも地響きを伴い殺到してくる数の暴力は、すぐにでも逃げ出したくなるものがある。
「まだだ。まだ待てよ」
突進してくる魔物たちを前に、『月喰い傭兵団』の団員たちはバルムとグラッツを中心に置いて動かない。固まっているとはいえこの場にいるのはわずか二十名ほどだ。百体以上の魔物に突っ込まれれば、一瞬で呑み込まれて瓦解するだろう。
だがそれでも、傭兵団員の中に怯んだ表情を見せる者は一人もいない。皆一様に顔を引き締め、魔物の到来を待ち受けている。
恐怖心のない者などいない。ただ単に、目の前の魔物たちが彼らに恐怖を与えるに値しないだけなのだ。
「――今だ」
魔物がすぐそこまで迫った時、バルムが一つ頷いた。
その瞬間、バルムとグラッツ、そしてクロだけを残して固まっていた傭兵たちが一斉に左右へ大きく広がった。
まるで魔物たちを覆うような格好だ。
『グゥ?』
傭兵たちが左右に展開したことで、走っていた魔物たちは困惑したように足を緩める。このまま真っ直ぐに突っ込むべきか、広がった傭兵たちを追うべきか迷ったようだ。そしてその時点で、ほとんど勝負あったようなものだ。
「ふん」
『グィっ』
戸惑ったような動きで傭兵に不用意に近づいた魔物が、即座に首を刎ねられ屍となる。そしてそれを皮切り、傭兵たちは次々と近くにいた魔物たちを一方的に倒していく。魔物たちも抗戦を試みるが傭兵たちの巧みな戦い方によって群れは散り散りとなり、数の強みを生かすこともできない。
「……圧倒的だな」
クロは駆け寄ってきたゴブリンを袈裟斬りにしながら呟いた。
「おらぁっ! まぁ、こんなもんだろう」
そんなクロに対し、コボルトを上段からの振り下ろしで真っ二つにしてしまったグラッツがニヤリと笑う。
「小型な魔物の強みは数だ。一固まりのあいつらを倒すのは骨が折れるが、分散させちまえば怖くねぇ。一対五でも俺たちは勝てる。おまけにあいつらは足が遅いからな。危なくなれば一旦退いて、態勢を整えてから追いかけてきた魔物を一匹ずつ倒せばいい」
「理屈はそうだけど……それを団員の一人一人ができるなんて」
「言ったろう? 俺たちは精鋭なのさ」
感心したように言うクロに、グラッツは得意気に笑みを浮かべる。そして背後から近づいてきていたゴブリンを、振り向きざまに斬り倒した。
「へぇ、グラッツ。なかなか調子は良さそうだな。クロも話に聞いていた通り、問題なく戦えるようだね。そんじゃあ俺もちょっとやる気を出そうか」
グラッツとクロの戦いっぷりを見ていたバルムが、徐に剣を頭上へと掲げた。そして地面を大きく蹴ると、五歩以上離れた場所にいた魔物へ向かって一っ飛びする。
『あ……』
そして着地する以前にバルムの剣は振り下ろされており、傍の魔物は空気の漏れるような声だけを残して地面に倒れ伏す。
そのあまりの早業は、よほど目が良いものにしか理解できなかっただろう。
「おい団長っ! その技は危ないし、あんまり意味もないからやめろって言ってるだろうが」
しかしもちろん目で追えていたであろうグラッツが、魔物の首を刎ね上げながら苦言を呈した。
「だって……恰好いいだろう?」
「それで怪我したら恰好悪いって分からねぇーのか?」
「こんくらいで怪我してたら、お前らの団長なんてやれないよ。心配するなって」
「……まったく」
圧倒的な多勢を前に、それでもバルムとグラッツはいつも通りの会話をしながら敵を流れ作業のように屠っていく。
その眼は常に鋭く、言い合いしながらも魔物たちの動きを先読みして効率よく倒しているのが窺える。
それも規模は違えど、バルムやグラッツと言った明らかな主力以外の傭兵たちでさえそうなのだ。『少数精鋭』――たしかにその言葉通りなのだろう。
「……よくもまぁ、これほどの人材を一纏まりにできたものだ。戦場で敵対する機会がなくて幸いだったな」
「うん? クロ、今なにか言ったか?」
「いや、別に。それよりも、気付いたことを言ってもいいかな?」
クロは小さな声で呟いた後、それを聞き返してきたグラッツへ向けて林の方を指さした。
「なんか、魔物が全然減らないんだけど」
「へ?」
クロの指差す先へグラッツが視線を向ければ、今まさに、新たな魔物の群れが林から姿を見せるところであった。




