第三十三話 鬼出電入
「……妙だな?」
仄かに潮の香がする鬱蒼とした林の中で、『月喰い傭兵団』団長であるバルムは立ち止まって首を傾げた。
彼の周囲に居並ぶ団の面々も、皆一様に困惑顔である。
バルムの指示通り、団を二つの隊に分けて一方が林の探索。もう一方が屋敷周辺での警戒任務にあたって一時以上は確実に過ぎている。つまり、バルムが率いる探索隊が魔物の拠点捜索に乗り出してそれくらいは経っているということだ。
それにもかかわらずバルムたちは未だに魔物の拠点はおろか、魔物一匹見つけることができていなかった。意外な結果である。
林の中は人がほとんど立ち入らず、背の高い木が連なって群生するため陽の光も地上には届きにくい。たとえ昼間であってもあまり見通しが利かないため魔物たちが住処にするには打って付けの場所には間違いないが、しかし魔物らしき影は欠片も見つけられなかった。
「一体どうなってるんだ? ここまで探して見つからないということは、やはり子爵が確認した通りここにはいないということか?」
たしかに一時程度で全てを見て回ることなどできない広さの林ではあるが、実際に魔物が潜んでいるのであれば手掛かり一つ見つからないというのはおかしい。
納得はいかないが、これ以上むやみに探索を続けたところで魔物が見つかるとは思えなかった。
「いったんベノたちの隊に合流するか。作戦の練り直しだ」
「おい、団長。あんだけ威勢のいいこと言って、結局は空振りかよ」
帰還指示を出したバルムに向かって、グラッツが呆れた目を向けてきてそう言った。これにはたまらずバルムもそっぽを向いてやり過ごす。
「うん、まぁ……こういう時もあるさ。子爵もちゃんと仕事をしていたってことだな。偉い偉い」
「なーにを偉そうに……仕方ねぇ。それじゃあ引き揚げると――」
ますます目を細めてバルムの指示通り林の外へ身体を向けたグラッツの服の袖を、傍にいたクロが右手で掴んだ。
「――うん? どうした、クロ」
「なぁ、グラッツ。妙な気配がしないか? この林、なにかおかしい気がする」
「はぁ?」
なんとはなしに問いかけたグラッツに、クロはひどく真面目な顔つきで周囲を見渡している。さすがにただ事ならぬ気配を感じたグラッツも、注意して周囲に目を配った。
この十二にしかならない少年が、並み外れた感覚の持ち主であることはすでに理解している。きっとクロがそう言うのであれば、この林には何かがあるのだろう。
「……うん? 俺には何も感じられんな」
しかし神経を研ぎ澄まして周辺の気配を探ったグラッツだったが、やはり鬱蒼とし、潮の香りがするだけの林としか思えなかった。
「気のせい……かな? なんだか空気が絡みついてくるような、纏わりついてくるような……けど、グラッツだけじゃなく他の団員も感じてないならオレの勘違いかもしれない。変なこと言ってごめん」
「気にすんな。団長が適当なこと言ったから気を張っちまったんだろう。ここは潮の混じった風が吹いてくるしな。さっさと戻ろうぜ」
「ああ」
軽く謝罪してきたクロに掌をひらひらと振って、グラッツは林の出口へと移動を始めた団員たちを追う。そしてそれにクロが続いた。
「さて、どうしたものか。ラゼスの話が本当であれば、間違いなく林に魔物の拠点があると思ったんだが」
「他に奴らが潜めそうな場所もありやせんし。一体、魔物どもはどこにいるんでぇ……」
「――もしかして、魔物なんて本当はいないんじゃないか?」
他の団員たちが警戒に当たっている屋敷へ戻る途中、ギルデークとの会話中にバルムが突拍子もないことを言いだした。
「魔物が本当はいない? それはどういう意味だ、団長?」
聞き捨てならないその言葉に首を傾げたグラッツへ、バルムは顎に手を当て考え込むような表情をする。
「いや、どうも違和感があってな。ロヴィーム子爵の兵、多くの奴らが怪我してただろう?」
「え? ああ、ほとんどの奴が包帯をどこかしらには巻いていたな。まぁ、あの様子を見るに大したことは無さそうだったが」
「そこだよ」
子爵の兵の様子を思い出しながら同意したグラッツの言葉に、バルムは「我が意を得たり」と言わんばかりに大きく頷いた。
「あの数の兵士のほとんどが負傷している――にもかかわらず、そんな大規模な戦闘が最近この周辺で起きたような痕跡が見当たらないんだよ」
「……たしかに」
踏み荒らされることなく、すくすくと育った農作物。
魔物の死骸はおろか、地面に血だまり一つない長閑な風景。
死臭や血の匂いなど一切感じさせない潮の香――。
「おまけにお前が言ったように、子爵の兵は負傷している割に元気すぎる。あれは本当の怪我じゃない可能性すらあるな」
「はぁ? なんでわざわざそんな真似を? なんだって子爵は「領地が魔物に襲われている」なんて嘘をついて、さらには怪我の真似事なんざしてるんだ?」
バルムの突拍子もない言葉に驚く傭兵たちを代表して、グラッツが首を傾げて率直に聞いた。だが、言葉を発したバルム自身も考えは纏まっていないようだ。
「さてな、そこまでは俺にもわからない。だがもし仮にそうだとしたら、きっとろくでもないことだろう。すぐにベノたちに合流して今後の方針を決めよう。おそらくこの辺りをいくら探したところで、魔物なんて見つからないぞっ」
「了解。お前ら、駆け足だっ! 遅れる奴は置いてくぞっ!」
「おうっ!」
先陣を切るように、バルムが団員から離れ屋敷を目指して真っ先に駆けだす。
それにつられるようにグラッツも駆け出し、背後にいた傭兵たちにも駆け足の指示を出す。
傭兵たちは威勢よく返事を返し、バルムやグラッツに続く形で走り出した。
「――っ? おい、クロなにしてるんだっ!」
走っていたグラッツは、なんとはなしに背後を振り返る。すると、駆け足で屋敷に向かう傭兵たちに頓着することなく立ち止まっているクロの姿に気付いた。
クロはグラッツに背を向ける形で、傭兵団が先ほどまで探索していた林の方を見ている。
「クロっ! みんな行っちまうぞ」
グラッツの呼びかけに応じないクロを置いていくわけにも行かず、グラッツは逆走して立ち止まっている少年の元へと近寄った。
「なにしてるんだ? まだ林が――」
「どうなってるんだ? グラッツっ! はやくみんなを呼び戻せっ! 来るっ!」
「……え?」
グラッツがクロの右肩に手を置こうとした瞬間、その手が一瞬で弾かれた。どうやらクロが外套から剣を抜く時の動作にかち合ってしまったらしい。
「お前、剣なんて抜いてどうしたんだ?」
「いいから早くっ! 凄い――どれだけいるんだ?」
「なにが……はぁ? あ、なにが起きてやがる?」
グラッツの方を一切見ることなく林を見続けるクロ。その緊迫した様子のクロにつられてグラッツも林の方を見た――見てしまった。
目の前に映し出されたのは、木々の間から現れたあまりにも大規模な魔物の群れだ。
唐突に現れたおよそ百ではきかないその圧倒的な数に、さすがのグラッツもわけが分からず困惑する。
「ちょ、冗談じゃねぇぞっ? 『魔物が出たぞっ! 全員戻れっ!』」
林から出て一直線にこちらへと向かって来る魔物たちへ顔は向けたまま、グラッツは大音声で背後の傭兵たちに呼びかける。
その突然の事態に『月喰い傭兵団』の面々も戸惑った様子を見せつつも、やはり精鋭で知られる傭兵たちだった。すぐに引き返し、バルムとグラッツを中心とした陣を構成した。
皆、それぞれ武器を抜いて圧倒的な戦力差がある魔物の群れに、少しも臆する様子を見せず待ち受けている。
「……団長」
「なんだ?」
そんな中、接近する魔物たちを尻目にグラッツは、隣に並び立つ剣を抜いたバルムへと低い声で問いかけた。
「あんた、「この辺りをいくら探したところで、魔物なんて見つからない」って言ったよな?」
「……」
バルムはあからさまに目を逸らして押し黙った。
グラッツもいよいよ迫ってきた魔物を前に、息を吐き出し先ほどから当てにならない団長へ向けていた視線を切る。
「後で一発だけでも殴らせてくれ」
ただ一言、添えて置くのは忘れなかった。




