第三十二話 ステレッド領
国境付近の砦を出立した『月喰い傭兵団』一行は、行く手を横断する幅の広い川に架かかる橋を越えてさらに進み、ついにロヴィーム子爵が治めるステレッド領へと辿り着いた。
ステレッド領は北側が海に面している。その海と陸地をちょうど仕切るように海岸部には大きな木がいくつも立ち並び、ちょっとした林となっていた。
この塩害に強い木々に守られる形で、潮風に弱い植物たちも海にほど近いステレッド領内であっても育つことができるのである。
人里に続く道には多種多様な草花が生い茂り、田畑にはすくすくと順調に育つ農作物が見て取れた。
「ふん、よくぞ参られた、バルム殿」
ステレッド領内に入り半時ほどさらに歩けば、こじんまりとした屋敷がみえてくる。そして傭兵団の到着に気付くと、そこに陣取っていたロヴィーム子爵を始め、彼の指揮する兵たちが鼻を鳴らしながら出迎えた。
数はディルテード伯爵が言っていたように多目に見ても二百程度のようである。多くの者が負傷しているのか手足に包帯を巻いているのが目立っていた。
それとは関係ないのだろうが一様に険しい視線を四分の一程度の兵力である『月喰い傭兵団』に向けており、何やら物々しい雰囲気を醸し出している。
無理もあるまい。
彼らを指揮するロヴィーム子爵自体が友好的とは言い難い油断のない目つきでバルムを窺っているのだ。
ほとんど睨んでいると言ってもいいだろう。
「お久しぶりです、ロヴィーム子爵。ディルテード伯爵の命によりこちらで魔物の警戒に当たらせていただくことになりました」
子爵と対するバルムは素知らぬ顔で、細めた目を向けてくる相手に対しても笑いかけて見せる。その対照的なバルムの対応に、ロヴィーム子爵は一層と目を細めた。
「ふむ。正直、君らのような正規の軍ではない傭兵の集まりに、我が領地を任せるのは不安でしかない。だがこうなっては他あるまい。せいぜい、魔物から我が領地や領民を守り通してくれ」
子爵は『月喰い傭兵団』を小馬鹿にするかのように薄笑いを浮かべ、追従するように彼の兵士たちも口元に笑みを作った。
それを見た喧嘩っ早い傭兵たちが子爵に食ってかかろうとするのをバルムが冷静に手をかざすだけで押さえ、逆ににっこりと子爵に笑い返す。
「もちろんですよ。たかだか魔物ごとき、我が傭兵団だけで一匹残らず殲滅してみせますとも。五十いれば当り前です」
それは二百もの兵力を注ぎ込みながら、逃げるように『月喰い傭兵団』と配置を交換するロヴィーム子爵の兵たちへの痛烈な皮肉であった。
子爵を始め、彼の周囲にいた兵たちは笑みを引っ込めて表情にあからさまな怒りの色を浮かび上がらせる。
「ほう、面白い……さすがは聖王陛下から亜聖爵を下賜される傑物だ。バルム殿が指揮する『月喰い傭兵団』であれば魔物の百や二百、物の数ではないのであろうな――羨ましい」
ピクピクと震える口の端を誤魔化すように子爵は大袈裟に頷くと、背後に向かって大声を出した。
「では、出発だっ! ステレッド領はバルム殿に任せ、我らは国境の守護に当たるっ! 今日中には辿り着く心づもりで行くぞっ!」
「おおっ!」
ロヴィーム子爵の声に応えるように兵士たちから大音声が上がり、『月喰い傭兵団』の脇を擦り抜けるように行軍を開始した。
おそらく近々『月喰い傭兵団』が訪れると知って、いつでも出発できるように準備をしていたのだろう。
「ロヴィーム子爵っ! 魔物たちはどこにいるのですか?」
「ふん、安心したまえ。今はおらん」
「なに?」
去って行こうとする子爵にバルムが問いかければ、何とも奇妙な答えが返ってきた。
「屋敷に説明役を残しておる。詳しくはそやつに聞いてもらおう。我らはすぐにでも貴殿らが抜けて手薄となった国境の砦の守護に当たらねばらならんのでな」
「説明役? 一体どういうことですか? 子爵っ!」
「ああ、屋敷は好きに使ってくれて構わんぞ。では――ふっ。健闘を祈る」
「子爵っ!」
バルムが煙に巻くような子爵に食って掛かるも、子爵の傍にいた兵士たちが十数人で壁を作り近寄らせようとしない。
結局、ロヴィーム子爵は『月喰い傭兵団』へ大した説明をすることもなく、呼びかけるバルムを無視する形で砦へと兵を進めたのだった。
その行軍速度と言えば多くの怪我人のいる疲弊しきった兵とは到底思えないような素早さだ。実にきびきびとした足取りであった。
「――ちくしょうっ! なんて男だ」
呆然とロヴィーム子爵の兵を見送ったバルムは、我に返った後に怒りのあまり吐き捨てる。
「だからあの男は嫌いなんだ。なぜまともな引継ぎもできないんだ? 俺たちが魔物にやられれば、困るのは貴様の領民なのだぞ? 民をなんだと思ってやがるっ!」
「団長、落ち着いてください」
「……ああ、わかっているさ」
副団長であるベノの冷静な言葉を受けて、バルムは怒らせていた肩をゆっくりと下した。
だがその険しい表情は、忌々しそうにロヴィーム子爵の行軍先を睨み付けている。
「まぁ、まずは屋敷にいるという説明役とやらにお話を伺いましょう。彼方を睨んでいても仕方ありません」
「……そうだな。とりあえずは情報を集めるか」
ベノに促され、バルムは傭兵団を引き連れて傍にあった石造りの小さな屋敷へと立ち寄った。
屋敷の扉を叩けばしばらくの間があって、中から抜け目ない顔つきの男が姿を見せる。
「ようこそ、バルム様、『月喰い傭兵団』のお歴々。わたくし、ロヴィーム様に仕えるラゼスと申す者です――お見知りおきを。さぁ、皆様どうぞお入りください」
「いや、ここでけっこう。すぐに魔物の情報が欲しいんだ」
慇懃に頭を下げて屋敷の中へと導こうとしたラゼスと名乗る小間使いの男に、バルムはやんわりと首を振って情報の提供を求めた。
そのバルムの反応にラゼスは小さく眉を顰めると、「やれやれ」と言わんばかりに息を吐き出す。
「ふぅ……よろしいでしょう。では、この場で出現する魔物についてお教えさせていただきます」
「ああ、頼む。まずは魔物は今どこにいるんだ?」
「今はおりません」
その答えに、バルムを始め『月喰い傭兵団』のほとんど全員が首を傾げる。さきほど子爵も言っていたことだが、今はいないとは一体いかなる意味だろうか?
たしかにこの場に姿は見えないが、頻繁にステレッド領内の村を襲うのであれば必ずこの近くのどこかにいるはずなのだ。
「それは……つまりこの近くにはいないと言うことかな? 魔物たちがどこか遠くに拠点を作っていると言うことだろうか?」
探り探り問いかけたバルムに、ラゼスは無表情で首を横に振った。
「はっきりとしたことは分かっていないのですが、一定の間隔で北の林から突然魔物たちが続々とこちらへ集まってくるようなのです。この屋敷の背後のそう遠くない場所に、そこそこ大きな村があります。ここで魔物たちを喰い止めなけばその村に大変な被害が出るでしょう」
「突然? 林のどこかに魔物たちの巣があるのでは? 北の林からこの屋敷までは一直線のようだし」
「いえ、それはなさそうです。魔物がいない時に兵たちが隈なく探したようですが、林の中に魔物の巣や根城らしきものはみつかりませんでした」
「ふむ……妙な話だ」
ラゼスの説明に首を傾げ、バルムもベノも考え込むような顔をする。
多くの魔物が唐突に降って湧くなんてことは自然にはありえない。そこには必ず何かしらの原因があるはずだ。
仮に何の原因もないのだとすれば、ロヴィーム子爵の兵が魔物の根城を見落としたか勘違いでもしたかのどちらかであろう。本音を言えば失礼な話であるが、バルムもベノもその可能性の方が高いのではないかと考えていた。
「ラゼス殿。一定の間隔で魔物がこちらへ集まってくると言ったが、大体どのくらいの間隔なのかな?」
「……朝早くから昼までであったり、昼から夕方までであったり――その時々によって異なります。時には一日中魔物が現れたり、逆に一度も現れない日もあるようです」
「ちなみに、今日の朝も魔物の襲撃はあったのだろうか?」
「いえ。今日はまだないようですな。湧くとすればこれからでしょう」
「そうか……よし」
一通り話を聞き終えたバルムは背後の傭兵たちへ振り向いた。
「話は聞いたな? 魔物は北の林から現れるらしい――つまり、そこに魔物の拠点があるはずだ。俺たちはこれからその拠点を探索する」
「団長。もし魔物と入れ違いになったらどうする? 俺たちが北の林に入っている時に魔物が別の場所から村へ向かったらどうするつもりなんだ?」
宣言したバルムへ、彼の近くにいたグラッツが軽く手を挙げもっともな疑問を呈する。もっともな疑問であったが故に、バルムもその点については考えていたのだろう。
「もちろん全員で林の捜索に当たるわけじゃない。団を二つの隊に分ける。ヌウロ術師のいる隊にこの屋敷周辺で待機してもらい、魔物の襲撃があれば術師に知らせてもらう。そうすれば屋敷側と林側からで魔物を挟撃できるって寸法だ」
「……なるほど。了解」
すらすらと提示されたその答えに納得したように頷き、グラッツはすぐさま手を下した。
「さて、隊を編成したらさっそく林に乗り込むぞ。そしてあの子爵どもに教えてやるんだ。魔物の拠点の探索の仕方ってやつを、な? お前ら、用意はいいなっ?」
背後にいる子爵の小間使いに憚ることなく、バルムはそう言ってニヤリと笑う。見る者によっては邪悪とさえ思われそうなその笑みはしかし、団員たちにとっては何故かすこぶる頼もしく、見ているだけで心躍る気持ちになるのであった。




