第三十一話 行軍
傭兵たちが国境に帰りついたその翌日、再び移動の準備を終えると彼らは東へと向かって歩みを始めた。
国境の司令官、ディルテード伯爵の命令によりロヴィーム子爵の兵たちと持ち場を交換するためである。今回は傭兵団の全戦力が子爵のステレッド領へと向かうために、五十からなる集団となっていた。
鍛えられているためか、皆一様に体格が良く小規模ながらその整然とされた行軍は傍からみれば壮観である。
「なぁギル。ステレッド領ってどこにあるんだ?」
新人と言うことで傭兵たちの最後尾についていたクロが、同じく最後尾にいたギルデークへと問いかけた。周囲には比較的若い傭兵たちが揃っているため、もしかすると入団順で隊列の並びが決まっているのかもしれない。
「砦から半時ほど行ったところに川があって、そこに橋が架かってる。その橋を通ってさらに一時ほどいったところなはずだぜ」
「ふーん。あの川、橋が架かってるんだ……気付かなかったな」
「なんでぇ? 知ってるのか?」
「うん、昨日水浴びに行ったんだ」
「そうか。なら、俺もついでに行けば良かったなぁ。もうしばらく水浴びなんてしてねぇーや」
クロの言葉に意外そうな声を出したギルデークは、すぐにうんざりした顔になって自分の腕の匂いを嗅いでいる。そして何とも言えない表情で溜息を吐いた。
そんなギルデークにクロは小さな笑みを浮かべてから頷く。
「道順を教えてくれてありがとう。何となくわかったよ」
「おう」
教えられ、礼を言ったクロにギルデークもニッと笑みを返したところで、彼らの前方にいた傭兵が不思議そうに振り向いた。
「おいギルデーク。お前、その坊主に愛称で呼ばせてんのか? 仲良いんだな」
「なんでぇ? 文句あんのかよ?」
「い、いやねぇーけど。意外だと思っただけだ」
笑みを含んだ傭兵の声に揶揄われていると感じたのかギルデークが凄んで見せると、傭兵仲間は慌てたように前へ向き直す。
その一連の様子に隣にいたクロは、笑みを浮かべていた口元から思わず吹き出した。
「ふふっ。ギル、いくら何でも喧嘩っぱやすぎじゃないか?」
「こいつらにはこれくらいでいいんでぇ。ちょっと俺よりも入団が早かったからってすぐに調子に乗りやがる」
「ギルは入団が早かったからって偉ぶったりしないの?」
「あたりめぇだぜ」
小首を傾げたクロに勇ましく頷いて見せたギルデーク。そんな彼に、クロは面白がるような顔つきとなる。
「へぇ。じゃあギルは入団の遅いオレとも対等ってことでいいんだ?」
「あたりめぇ――はぁ? そんなわけねぇだろうがっ! 調子に乗るんじゃねぇっ!」
「おっと」
こちらへ向かって素早く振り下ろされてきた拳骨を、クロは一歩下がるだけであっさりと躱した。周囲にいた傭兵たちからはクロを讃えるように口笛が上がり、ギルへ向かって小馬鹿にするような笑いが起きた。
「おい、やるじゃないか」
「おいおい、ギルよぉ。そんな子ども相手に情けねぇーな」
「まぁ仕方ねぇーよ。なんせその子ども、副団長やグラッツの兄貴よりも強いらしいからな……ギルなんて鼻糞みてぇーなもんだ」
「なっ! 馬鹿にするんじゃねぇっ! クロの前にテメェーらから畳んでやらぁっ!」
同じくらいの歳の傭兵たちの嘲りが気に食わなかったのか、激しく殴りかかろうとするギルデーク。しかしその傭兵と彼の間に一本の杖が差し込まれた。
「なっ? 誰でぇ?」
水を差してきた方をギルデークが見やれば、団で唯一の老人――魔術師のヌウロが呆れ顔を向けている。
さすがにギルデークも慌てたように、凄むような表情を引っ込めて距離を取り頭を下げた。
「ぬ、ヌウロさん。す、すいやせんっ」
「……よい。じゃが、子どもでもあるまいにあまり騒ぐでない。団長やベノ殿に見つかれば、こっぴどく叱られるのはお主じゃからな」
「へ、へい」
比較的前列の方にいたヌウロが後列にまで下がって争いを鎮めに来たことで、すっかりギルデークも彼を揶揄っていた傭兵たちも大人しくなってしまう。
どうやらヌウロは年長者だけあって、団の中でも一目置かれる存在であるようだ。
「坊主……いや、クロじゃったか? ふむ、お主も子どもらしく元気なのは良いが、時と場合を考えるのじゃ。軽い雑談などは構わんが、列を乱すでない」
「……了解」
ギルデークだけではなく、クロにまで注意をしたということはどうやら最初からこちらの会話が聞ける位置にはいたようだ。
クロはヌウロの言葉を受けて一つ頷いてから軽く頭を下げた。
しかしすぐに好奇心旺盛な顔つきとなって、小さな笑みを作り老魔術師へ視線を向ける。
「ねぇ。軽い雑談が許されるのなら、一つ聞いてもいいかな?」
「うん? なんじゃ?」
「魔法使いに劣るとはいえ、大国であっても魔術師は貴重な戦力だと思う。なんでそんな魔術師が一介の傭兵団に所属してるんだ?」
「……」
「魔術師ってだけで必要としている国はあるじゃない? 国じゃなくてもさぁ、王族でも貴族でも『月喰い傭兵団』以上に高い金や相応の身分を提示して配下にしたいと思うはずだけど――どんな理由なのか気になるなぁ」
「馬鹿っ! 俺たちでも聞いてねぇことを気軽に聞くんじゃねぇっ!」
クロの質問に柔和な笑みを浮かべたまま固まったヌウロを気にしたのか、ギルデークがクロを叱りつけてくる。だが、当のヌウロがクロを叱ったギルデークへ険しい目を向けた。
「これ、やめんか」
「あ、す、すいやせん……」
再びギルデークは恐縮したように後ろへ下がる。
「ふむ、どうして儂が『月喰い傭兵団』に所属しておるか――か。なるほど、たしかに傍からみれば奇異に映るのやもしれんのう――お主もそう思うかの?」
「へっ? お、俺はその……へぇ。俺も気になりまさぁ。たぶん、他の奴らも気になっているはずでさぁ。な、なぁ? お前ら」
「え? あ、おう……おう」
「お、俺も気になってたんだ。ああ、たしかに、うん」
ヌウロの急な問いかけに戸惑ったような表情で頷いたギルデークは、周囲の傭兵たちに巻き込むかのような形で話を振った。
話を振られた傭兵たちも、曖昧な愛想笑いを浮かべてしきりに頷く。
だが、この傭兵たちの反応は突然のことに戸惑っているから生じているものであり、彼らも真実ヌウロの入団経緯には気になっているところがあるはずだ。
今の時代、魔術師が珍しい存在であることなど子どもでも知っている。その魔術師が一介の傭兵団に所属していることがどれだけ珍しいことかなど少し考えれば誰にでも分かることなのだ。
気になりながらも傭兵たちが聞けなかったのは、純粋に自分たちよりも半世紀以上年嵩のあるように思える老魔術師に気後れしていたのだろう。
それを自分たちよりもいくらも年下であるクロがあっさりと聞いたものだから、彼らもここまで戸惑っているのだ。
「ふむ。別にたいした理由ではないが、かと言って大っぴらにできる話でもない。まぁ、強いて言うなら儂は団長とベノ殿の古い知り合いでな――特に団長とは、彼が生まれた時から知っておる……それが縁でな」
周囲の傭兵たちの反応に背中を押されたのか、ヌウロは探り探りと言った口ぶりで当たり障りのない返答をする。
「へぇ。そんな昔から団長たちと知り合いだったのか」
「なるほど。団長や副団長がヌウロさんに丁寧なのもわかるなぁ」
その回答に満足したのか、ギルデークたちは納得したように頷いた。
「……ねぇ? その時、ヌウロは一体何をしてたの?」
しかし一人だけ。
クロだけはまるで試すかのような目つきで団の老魔術師を見ていた。
その鋭い視線には、自分よりもずっと年上の魔術師の全てを見通そうとするかのような探りの色が含まれていた。
そんな不遜とも思える新人の視線を真っ向から見返し、ヌウロは口元に微笑を浮かべる。
「クロ、老人を呼び捨てにするのはあまり感心せんな。それに、聞きたいことは一つだけじゃったはずだ……これ以上の回答は、行軍が終わってから考えるとしようかのう」
その余裕を持った声音はだが、これ以上の質問は無意味であることを悟らせるような得体の知れない重圧を感じさせるものであった。
「……了解。次から気を付けるよ、傭兵団魔術師殿?」
ヌウロの質問の答えではない返答に、けれどクロも笑みを浮かべて納得したように頷いたのだった。




