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出奔令嬢物語  作者: 津野瀬 文
第一章
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第二十九話 水浴び


 まだ雑談をしていたかったクロだったがあいにくヌウロは最年少となる新人へ、単に挨拶がしたかっただけらしい。

 用事があると言うことで、少し話すと団最高齢の魔術師は足早にとりでへと去って行った。


 ヌウロの後ろ姿を惜しみながらも見送り、クロは予定通り天幕へと足を運ぶ。いくつかあるうちの自分に割り当てられた天幕の中を確認すると、中にはすでに数人の傭兵たちが詰めていた。皆、他愛のない会話をしたり、カードゲームをしたりして暇を潰しているようだ。その様子をしげしげと眺めていれば、クロの存在に気付いた傭兵の一人が面食らったような顔をする。


「お、女がなんでっ!」

「え? 女だって? って、なんだ新入りじゃねぇーか」


 仲間の傭兵もつられてクロの方を見やり、そしてあからさまにがっかりとした顔つきとなった。


「こいつは副団長やグラッツの兄貴がスカウトしてきた新入りだよ。残念だったな」

「そ、そうか。やべぇーな、女にしか見えなかった。というより今も娘にしか見えん。ちょっと目がおかしくなってやがる」


 クロを見て驚きの声を上げた比較的若い傭兵は、仲間の言葉にしきりに目を擦って首を傾げている。その様子からして、どうも完全にクロが娘にしか見えていないようだ。


「さっき団長が紹介してただろうが。お前、聞いてなかったのかよ?」

「ああ。休憩中で水浴びに行ってて、集会に参加できなかったんだ。まさかこのタイミングで主力が帰ってくるとは思わなかったし、あいつら誰も呼びに来ねぇもんよぉー」

「まぁ、お前以外の傭兵は滅多に水浴びしねぇーからな。気付かなかったんだろうぜ? 団長も分かってくれるさ」

「なぁ? 水浴びってどこでした?」

「うおっ?」


 クロの出現時の驚きを忘れたかのように、再びそっちのけで雑談を始めた傭兵たち。その傭兵たちの会話に気になるところがあったクロは、「水浴びに行っていた」という傭兵の元へ一足飛びで近づいた。


「な、なんだよぉ、お前……やっぱ女にしか見えねぇーよ……」

「だからさ、水浴びってどこでした? 川が近くにあるのかな?」

「ひ、東に歩いて半時ほどの場所に川が流れているんだ。そこでした、んだ」

「へぇ、遠いんだ? ディルテード伯爵や団長もそこまで行って水浴びしてるのか?」

「いや……伯爵や騎士は、砦近くにある井戸の水を使っているようだ。水浴びだけではなく、風呂釜で風呂にも入ることもあるらしい……団長は俺たちに合わせて川まで歩いてるよ。まぁ俺以外の傭兵は、面倒くさがってあんまり行かないけど……」


 クロに見つめられ、落ち着かないように擦れた声で目を逸らしながら若い傭兵が言う。その情けない姿に、仲間の傭兵が呆れたような顔つきとなった。


「お前、いくら男所帯だからってその反応はないだろう。まるで女を知らない初心な男が、遊び女(あそびめ)揶揄からかわれてるみたいだぞ」

「う、うるさいなぁっ! もう何日も女を抱くどころか目にもしてないんだ。そりゃあこんな反応にもなるだろうがっ!」


 クロからさり気ない様子で距離を取った傭兵が、苛立ったような声を上げて仲間に詰め寄る。クロはその姿に小さな笑みを作った。


「ごめんごめん。別に揶揄うつもりはなかったんだ。ただ、ここのところ水浴びができてなくてさぁ。いい加減身体がベトベトして気持ちが悪いんだ。ありがとう、さっそく行ってみるよ」

「あ、お、おう。あ、これ持って行けよ」


 若い傭兵は天幕の隅に転がっていた桶を拾うと、クロへ向かって放り投げた。クロはそれをひょいと掴み、ふんわりと笑う。


「ありがとう、使わせてもらうよ」

「あ、ああ」


 クロの笑顔に傭兵は腕を組んで何度も頷き、クロが天幕から去って行ってからもしばらく腕を組んで頷いていた。

 そしてしばらくの後、再び目を擦って仲間に奇妙な顔つきで言ったものだ。


「やっぱりあれ、娘にしか見えないんだが……」


 それに対して仲間の傭兵も腕を組んで言ったのだった。


「いやあれが娘でも、あんな年下に鼻の下を伸ばしすぎだ。気持ち悪い」




 傭兵に教えてもらった通りにクロが手拭いと桶を片手に砦から東へと歩いていると、やがて川のせせらぎが微かに聞こえてきた。

 時間的には半時ほど歩いているだろう。傭兵が言っていた川が近いのは間違いない。クロは音の方へと小走りに近づいた。


 そして小さな小道の横を抜けて繁みから顔を出せば、太い幅の大きな川が流れている。岸に近い場所は浅瀬となっているようで、どうやらそこからせせらぎは聞こえてくるようだ。


 さっそく服を脱ごうと周囲を見渡したクロは、川で水浴びをしている先客の姿に気付いた。


「うーん、どうしようかな」


 腰布一つ巻いた姿の男はクロの方へ背を向け、手拭いで腕や身体などを擦っている。後ろ姿のためよく分からないが、相手は傭兵団の者である可能性が高い。裸になって性別がバレるのは避けたかった。


「……何者ですか?」


 どうしようかとクロが悩んでいれば、クロの視線に気付いたのか水浴びをしていた男が素早い動きで振り向いた。そしてこちらを見つめるクロに気付き、安堵したように肩を落とす。


「クロでしたか。驚かせないでください」

「ごめんごめん。けど、副団長だったのか。髪が濡れていて後ろ姿じゃわからなかった」


 クロは謝りながら、再び手拭いで身体を擦り始めたベノへと近づいた。正面から見れば、傍に置かれている二振りの剣と合わせてベノだと分かるが、男にしては比較的長い髪が濡れていて容貌がまるで違って見える。

 いずれにせよ相変わらず美形な副団長の姿に、クロは興味を覚えてしげしげと視線を送った。


「クロ、見られていると洗いにくいのですが」

「ああ、ほら。やっぱり鍛えられているんだなぁと感心してるんだ」


 傭兵団の中では細身のベノだが、上半身の引き締まった筋肉は並大抵のものではない。それと同時に身体に刻まれた無数の傷は、ベノが厳しい修練と戦闘を繰り返してきた証なのだろう。


「ところでクロ、桶を持っていますね。水浴びをしに来たのではないのですか?」

「え? うん、そうだよ」

「では、私などを見ていないでさっさと水浴びをしたらどうです? 帰りも長い距離を歩かなくてはなりません。すぐに日が暮れてしまいます」


 ベノが言ったことはごく自然な話である。

 このままベノを見ていたところで時間が無意味に経つだけだ。それならばとっとと自分の水浴びをした方がいいに決まっている。

 だが、クロとしてはベノがいる前で水浴びをするなど無理な話だ。乙女の恥じらいなど感じるクロではないが、水浴びのために脱いでしまえばさすがに性別を隠すことはできない。それだけはなんとしても避けたかった。


「あー……オレは副団長が終わってからでいいよ。ほら、副団長と水浴びだなんて恐れ多いし」

「おやおや。今さら君が副団長である私の顔を立てるとは思えませんね。遠慮などせずともいいのですよ?」

「いや、遠慮とかじゃなくてさ……」


 どうしても歯切れ悪く辞退する他ないクロへ、ベノは周囲を見渡してから何気なく言った。


「どうしたんですか? 別に私は君のような幼い少女・・の裸体に欲情などしませんので。どうぞ、遠慮なく」

「だから――え?」

「……ふふっ」

 

 言われた言葉の意味を間を置いて理解したクロがベノをまじまじと見れば、澄まし顔をしていた半裸の副団長は堪え切れなくなったように噴き出した。



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