第二十八話 団の魔術師
「やれやれ。やっと帰ってこられたと思いきや、またすぐに出発とは……馬車馬の気持ちが今なら分かるな」
傭兵たちや騎士たちを外してしばらくディルテードと二人きりで話をしていたバルムは、戻ってくると居並ぶ傭兵団の面々に向かってぼやいて見せた。
しかし、すぐに背筋を伸ばして鋭く一同を見渡すと、傭兵たちへ発破をかけるように勇ましく続けた。
「とはいえ、聖国に便宜を図ってもらっている俺たちとしては、指揮官であるディルテード伯爵の命令には従わざるを得まい。ステレッド領だって心配だしな……お前ら、覚悟を決めろ」
「おうっ!」
「毎度偉そうな子爵の鼻を明かしてやる好機でもある。奴らにできなかった魔物の掃討、俺たちでやってやろうぜっ!」
「おうっ!!」
響き渡る威勢のいい声に満足げな顔をしていたバルムだが、傭兵の集団から真っ直ぐに伸びる腕にようやく気付いて目を向ける。
何故気づくのが遅れたかと言えば、伸ばされていてさえ大柄な傭兵たちに埋もれるくらいの小柄な者の腕だったからだ。
つまり、クロの腕だったからである。
「……どうしたんだ? クロ」
「団長、いくつか聞いておきたいんだがいいか?」
「なんだ? 歩き疲れて休みたいのであれば別に構わんよ。今回はここに残ったらいい」
ベルフィリス領から向こう、さすがに歩きっぱなしでクロの幼い身体が疲弊したのだと思い労わるバルムの言葉に、だが小柄な新人はあっさりと首を横に振った。
「そうじゃない。もちろん、団には同行させてもらうんだけどさぁ――ディルテード伯爵には山賊が帝国に雇われていたってことを伝えたの?」
「ああ、もちろんさ。ベノたちのメンバー編成や移動ルートが知られていたことも伝えたが、伯爵はあまり気にしていなかったな。聖国側に密告者がいるのではなく、俺たちの不注意で帝国の耳に入ったんだと考えているようだったな」
「はぁ? それじゃあつまり、俺たちがヘマしたと思われたってことですかい? 冗談じゃねぇーぜ」
バルムの言葉にギルデークが苛立ったような声を上げる。ギルデークだけではなく、他の傭兵たちも面白くは無さそうだ。
「まぁ落ち着けよ。俺たちは自分たちがヘマをしたと思われたらこんな風に憤るけどな? それは奴さんも同じってことさ。伯爵側にしてみても、聖国の誰かが帝国に情報を流したと俺たちに思われるのは面白くないんだろう」
「けどよぉ!」
「証拠がないんだ。ベノが尋問した帝国の奴も誰からの情報かは知らなかったそうだ。はっきりとしたことが分からない以上、仲間同士で腹を探り合っても仕方ない。確実な証拠がなければ、腹を探ったところで認めるとは思えんしな」
「うっぐぐ。だ、団長が言うなら……納得しまさぁ」
ギルデークは自身の禿頭を八つ当たり気味にぺしりと叩くと、不承不承と言わんばかりに頷いた。バルムはそれに苦笑を送り、手を上げたままのクロへと視線を移す。
「まだ何かあるのか?」
「これから行くステレッド領のロヴィーム子爵って人と仲が悪いの?」
「お前……嫌なことをずけずけと聞いてくるなぁ」
クロの率直な問いかけに再び苦笑すると、バルムは腕を組んで頷いた。
「まぁ、そうだな。俺は別に意識していないが、奴さんはどうやら俺たちを目の敵にしているらしい。聖国を拠点にしたころから俺や傭兵団の為すことにいちいちいちゃもんをつけてきて敵わん。本音を言えば子爵の領地など放っておきたいんだが――領民に罪はないからなぁ」
「傭兵団は聖国を拠点にさまざまな武功や武勲をあげています。それがロヴィーム子爵を始め、多くの貴族たちには面白くないのでしょう。特に団長は聖王に亜聖爵を与えられています。嫉妬ややっかみもやむを得ないでしょう」
バルムの言葉に傍にいたベノが補足する。それを聞いてクロは不思議そうに首を傾げた。
「ねぇ? 亜聖爵って? 聞き覚えがないんだけど」
「ああ、聖国独自の爵位だからな。スフィニア王国のクロが知らなくても無理はないか。そもそも滅多に与えられる称号じゃないしな」
クロの疑問にバルムは腕を組んだまま、自慢気な顔で話し出す。
「亜聖爵ってのは一代限りの爵位だな。聖国内において優れた功績を残したものに与えられる特別な称号だ。領地や家来こそ下賜されないが、発言力や権限は子爵位に匹敵するとされる――つまり、俺は傭兵団団長でありながら子爵でもあるってことさ」
誇らしげに踏ん反りがえる団の団長をベノが呆れた目で見た後に、手をゆっくりと下したクロへと視線を送る。
「私たちが武功を上げ続けていくことで、しだいにやっかむ声も減っていきました。が、それでもロヴィーム子爵のような方は少なからずいます。その中でもディルテード伯爵はまだ理解がある方なのですが、そのご子息は……まぁ、この場にいない方の話はよしておきましょうか」
なにやら言いかけたベノだったが、自重するかのように口を閉ざした。今この場で話すべきことではないと考えたのかもしれない。
「で? 他に聞きたいことは?」
「うーん、今はないかな」
「そうか。では、明日の朝一番に出立するとしよう。それまでに各自、旅の疲れをとっておくようにな――解散」
バルムの一声によって傭兵たちは安堵したように散っていき、仮初めの休暇に羽を伸ばすのだった。
「ほう、お主がベノ殿やグラッツ殿にスカウトされた新人か。随分とまぁ……可愛らしい顔をしておるのう」
クロが割り当てられた砦近くの天幕へと向かっていると、一人の老人が声を掛けてきた。深い緑色のローブを纏い長い杖を所持したその老人は、一目見ただけで魔術師だと判断できる。
この様な恰好の者に見覚えはないので、国境にいた居残り組なのだろう。
「そうだよ。オレの名はクロ。お爺さんは誰?」
「儂か? 儂はヌウロ。見ての通り『月喰い傭兵団』所属の魔術師じゃ。一応、団の中で最高齢じゃな」
「へぇ、傭兵団には魔法使いもいるんだね。治癒師もいてさらに魔法使いもいるなんて……やっぱり『月喰い傭兵団』ってすごいね」
クロが感心して言うと、ヌウロは眉を顰めて首を横に振った。
「違う。儂はあくまでも術を用いてケチな魔術を行うほか能のない魔術師じゃ。奇跡を可能とする存在である魔法使いと一緒にしてくれるな」
「けど、もう魔法使いなんてとっくの昔に滅んだんだし、誰だってそのことは知っているんだ。なら、魔術師を魔法使いと呼んでも誰も勘違いはしないと思うけど?」
「なんと? フッハッハッハっ!」
その指摘にヌウロは目を丸くすると、クロへ向けて豪快に笑い飛ばす。どうやらクロの率直な物言いが面白かったらしい。
「坊主、よく聞くんじゃ。たしかに魔法使いはその存在を危険視され世界的に迫害された。知識や技術などを記した書物も焼き捨てられ、その才能を持つ者の血も絶たれてしまった。じゃがな? 魔法使いはまだ完全には滅んではいない」
「そうなの?」
「ああ。たとえば傭兵団におるサムじゃ。奴は治癒師じゃが治癒師が使う治癒魔法も立派な魔法――つまり、奴も見方によっては魔法使いと呼べるんじゃ」
「……うーん、そんなものなのかな?」
「それにガルザー帝国には、『醜悪なる魔法使い』と呼ばれるエザールがおる。その性根は悪辣ながら、奴は紛れもなく魔法を使う――魔術師にすぎん儂とは格が違うのじゃ」
「ガルザー帝国の魔法使い……噂には聞いたことあるけど本物なんだ? 帝国が魔術師を箔をつけるためにそう呼んでいるのかと思ったよ」
しかしヌウロの話が本当なのであれば、帝国はますます厄介な敵と言えるだろう。強大な軍事力に加えて奇跡を可能とするとされる真正の魔法使いまで擁しているのだ。今でこそ撤退しているとはいえ、帝国がこのままですませるとは思えなかった。




