第二十七話 指揮官命令
もともとベレエム聖国とガルザー帝国との国境は、賊の籠っていた山にほど近い場所にある。傭兵団の一行は、特に時間をかけることもなく国境の警備にあたっていた兵たちの元へと辿り着いた。
わずかな移動時間だったとはいえ、結局新入りであるクロと会話をしたのはグラッツやギルデーク、サムといったベルフィリス領から行動を共にしていた面々だけである。それ以外の傭兵たちは思うところがあるのか、気にする素振りを見せつつもクロに話しかける者はいなかった。
クロの入団に頑なに異を唱えていたヴルドの手前もあるのだろう。
「お早いお帰りだな、バルム殿」
国境に戻って来た『月喰い傭兵団』を出迎えた傭兵仲間の他に、背後の砦から数人の騎士を引き連れ現れた恰幅の良い中年の男が声を掛けてくる。
バルムはその男の姿に気付くと軽く会釈を返した。
「これはディルテード伯爵。しばらく留守にしてすみませんでしたね」
「いやいや。もう少し、ゆっくりされてもよかったものを」
油断なく細められた目つきに、常に胸を張った堂々とした立ち振る舞い。その薄っすらと笑みを浮かべた口元からは自分に対する自負というものが窺える。
それもそのはず。
このディルテード伯爵と呼ばれた男こそ、帝国との国境を守護する指揮官なのである。
つまり現状はバルムの上官という扱いになっており、この場においては誰よりも権限があるのだ。
「貴殿らの働きもあり、みごと帝国兵を退けられた。念のため、志願した息子に索敵を行わせているが帝国に動きは無さそうだ」
「いらっしゃらないと思えばご子息に索敵を行わせているのですか? 危険では?」
ディルテードの言葉に眉を顰めたバルムに、指揮官である中年は鼻を鳴らした。
「ふん。なーに、名ばかりとは言え奴も軍人。この程度のことはしてもらわねば困る。それに奴一人で偵察をしているわけではないし、『殲滅期』が終わるまでは帝国も満足に動けんさ。危険はほとんどないだろう――別に貴殿らに気を遣ったわけではない」
「それならばいいのですが……我々が留守中、お変わりはありませんか?」
「うむ……ああ、そうだ。ステレッド領のロヴィーム子爵の遣いが来てな。なんでも数日前からステレッド領の辺境の村に魔物が多数湧いていて、応援が欲しいとのことだ」
「魔物が?」
ディルテードの言葉に、バルムは表情を険しくした。
通常、魔物が出現するのは人間の生活圏外だ。村や町などで出現することはほとんどなく、人が足を踏み入れないような洞窟や密林、山などに棲息するとされている。
稀に食料を求めて人里に現れることもあるが、いくら辺境と言えども村に多数の魔物が湧くのは珍しいことであった。
「現在は子爵の兵が防衛に当たっているが、連日で押し寄せる魔物の群れに限界が近いらしい。それで村からほど近いこちらに応援を求めてきたのだろう」
「国境から応援を出したのですか? それにしては兵力は変わっていないような……」
「いや、こちらからは出しておらん。現状、帝国兵が退いているとはいえ国境を手薄にするわけにはいくまい。貴殿らもいなかったことだしな」
「それではステレッド領が困るのでは?」
「ほう……バルム殿はお優しいな。貴殿は愚息だけではなくロヴィーム子爵とも不仲だったと私は記憶しているが?」
面白がるようなディルテードの顔つきに、バルムは真っ向から目線を合わせてから軽く首を横に振った。
「仰る通り俺は子爵に毛嫌いされているようですし、正直に言えばこちらも子爵のことをそれほど快く思ってはいません。しかし、そのこととステレッド領の村人たちの安全は没交渉でしょう」
「なるほど、たしかにその通りだな」
バルムのその視線にディルテードは満足げに頷くと、バルムの後ろに控えていた傭兵たちを一瞥した。
「では、帰って来たばかりですまないが、貴殿らにはさっそくステレッド領へと赴いてもらうとしようか?」
「……はぁ?」
「実はロヴィーム子爵から提案があってな。魔物の相手で疲弊した子爵の兵と『月喰い傭兵団』を一時的に配置交換しようと思うのだ」
「つまり、我々がステレッド領の村で魔物と戦い、子爵の兵が国境の守備に当たると?」
「その通り。子爵の兵は今や疲弊しているそうだが、どのみち国境には『殲滅期』が終わるまでは帝国の兵も来るまい。その間に子爵の兵にはここで体力を蓄えてもらうとしよう」
ディルテードの言葉を受け、バルムは注意深く考えるように視線を落とす。そして首を傾げておもむろに口を開いた。
「子爵の兵力はいかほどですか?」
「ふむ……おそらくは二百から三百程、か? 『月喰い傭兵団』ほどの戦力を国境から外すのは痛いが、貴殿ら五十と引き換えにそれだけの数が補充できれば問題ないだろう」
「我々がステレッド領に向かっている間に帝国兵が来るやもしれませんが?」
「索敵の結果、この場所から数日の距離に帝国兵がいないことは確認済みだ。それに、貴殿が山賊狩りに山へ赴いていた間も問題なかったのだ。杞憂だろう」
「しかし、我々とていつまでもステレッド領で魔物の相手ばかりをするわけにはいかないのですが……」
控えめながらいくつかの疑問を呈すバルムに、ディルテードは痺れを切らしたように鷹揚に頷いた。
「わかっている、数日でいいのだ。数日後には聖国から討伐隊が編成されてステレッド領の魔物を掃討する手筈だ。すでに子爵が根回ししてくれておる……むろん、貴殿らが撃滅してくれても構わん」
「ご冗談を……二百から三百の兵で排除できなかったのであれば、いくら我々とて守備が精々です。それも、長くはもたないでしょう」
「貴様っ! 傭兵の分際でディルテード様に楯突くつもりか? 言われた通り命令に従っておればいいのだ!」
なおも難色を示すバルムに、ディルテードの背後に控えていた騎士の一人が苛立たし気に剣の柄を握った。
その眼は物騒な光を宿し、今にもバルムに斬り掛からんばかりだ。
「おうおう騎士様よぉ? やるってのか? あぁ?」
するとバルムの背後にいた傭兵たちも、ヴルドを筆頭に迎え撃つように一歩ずつ前に踏み出す。辺りには一触即発と言わんばかりに剣呑な空気が立ち込めた。
「――やめろ、お前ら。申し訳ありません、ディルテード伯爵」
「かまわんとも。リュオル、貴様も誰に向かってそのような物言いをしておるんだ? バルム殿は聖王陛下に亜聖爵の称号を与えられている――階級的には貴様よりも格上なのだぞ?」
「はっ! 申し訳ありません!」
非礼を詫びたバルムにディルテードはやんわりと首を振った後、出過ぎた真似をした騎士を叱りつける。
リュオルと呼ばれた騎士はディルテードへと頭を深く下げたが、バルムへは憎々し気な視線を送るのみだ。これにはディルテードも呆れたように肩を竦めた。
「貴様……まぁいい。バルム殿。貴殿が言うように、どのみちステレッド領も放置はできん。ここは私の顔を立てると思って赴いてはくれんか?」
「……この場での指揮官は伯爵です。伯爵の命令とあれば、仰せのままに」
険しい顔をしながらも、結局バルムはディルテードの提案に従うことにしたのだった。




