第二十三話 自傷
「はじめまして、団長さん。オレの名前はクロ。スラディア王国のベルフィリス家領でグラッツにスカウトされたんだ。これから頼むよ」
右手を差し出してきた男、『月喰い傭兵団』団長であるバルムに応えるように右手を伸ばしながらクロが言った。
バルムは伸ばされたクロの掌を握り、グラッツの方へちらりと視線を向けてから笑みを濃くする。
「そうか、グラッツに認められたのか。そしてベノがここまで連れてきたんであれば、護衛任務に出ていた他のメンツも納得したと言うことになる。なら、ここで俺が改めて入団試験を課す必要は無さそうだな」
「じゃあ、オレを認めてくれるのか? 初めて会ったばかりで、素性も良く分からないのに」
意外そうな声音で首を傾げたクロへ、バルムは小さく頷いた。
「ああ。俺は君のことは良く知らないが、団員のことは良く分かっているつもりだ。ベノやグラッツ、サムにこだわりの強いギルデークまでもが行動を共にして君を仲間と認めた――俺が選んだ仲間が選んだ人間なら、信じられるに決まっている」
仲間に全幅の信頼を置いているような台詞だが、その根底にあるのは自分自身への大きな自信だろう。
バルムは自分が選んだ仲間たちが、間違いを犯すことなどそうそうないと確信しているのだ。
そしてバルムのその眼を見れば分かる。
たとえクロが何事かを企み『月喰い傭兵団』に加入したのだとしても、その目論見ごと叩き潰す用意と自信が彼にはあるのだ。だからこそ、容易くクロの入団を許可したのだろう。
「――そいつは、納得できねぇーな」
しかし意外にも反対の声が一つ、整列していた傭兵たちから上がったのだった。そして傭兵たちがざわめく中、列の前の方いた巨漢がのそのそとバルムの傍へ近づいた。
「ヴルド……何が納得できないんだ? というより、酷い顔だなぁ……大丈夫か?」
自分よりも頭一つ分以上に身長差のある相手を見上げ、バルムは少しも気後れした様子もみせずに首を傾げる。
そんなバルムに痣だらけの顔をしたヴルドは細めた目を向け、クロへと人差し指を突き付けた。
「こいつを団に加える? 冗談じゃねぇ。フードで顔を隠しちゃいるが、声や背丈からして明らかに餓鬼だ。こんな奴を団に加えたところで、足手纏いになることは目に見えてるぜ」
「口を慎みなさい、ヴルド。団長の決定です」
団長であるバルムの決定に真っ向から異を唱えるヴルドに、ベノが冷やかな視線を浴びせる。だが、熱くなっているのかヴルドはその声や視線に注意を払うこともない。
「なぁ? お前らもおかしいと思うよなぁ? サムの場合は特殊な事情があったから納得できたが、今回ばかりはそうはいかねぇ。俺たちは戦いに命をかけてるんだ。こんな餓鬼が足を引っ張ったせいで死傷してみろ! たまったもんじゃねぇーぜ!」
「……た、たしかに、ヴルドさんの言うことも一理あるな……」
「ああ。どう見ても戦力にはならないだろうし……雑用でもさせるのか?」
「ギルの奴が雑用がいやで適当に新入りを連れてきたんじゃないか?」
背後を振り向き、団員たちを煽るように発せられたヴルドの言葉に、傭兵たちのざわめきも大きくなった。
そして少数ながらクロの入団に批判的な呟きや否定的な声も上がり、ベノが煩わしそうに小さく舌打ちをした。
「まぁ、ヴルド。落ち着けよ。そんなにムキになって否定することもないだろう?」
苦笑するようにバルムが肩を怒らせるヴルドを取りなすが、顔に青痣を作った巨漢は全く聞き入れる素振りもない。
「だいたいよぉ、なんだよそのフードは。いっちょまえに顔なんざ隠しやがって! 仮に入団するつもりなら、顔くらい晒しやがれっ!」
「ヴルド、いい加減にしろ。何らかのこだわりがあって顔を隠している奴だっている。クロも何か理由があるのなら、あとで俺にだけにでも見せてくれ。顔を隠しているから入団を絶対に許可しねぇーなんて、そんな狭量な人間じゃないぞ、俺は」
今にもクロに掴みかからんばかりのヴルドを制しながら、バルムがなぜか胸を張って威張るようにそう言った。どうやら自分の度量を自賛しているようだ。
「……まぁ、ここまで来ればいいか――」
少し思案気に俯いている様子のクロだったが、顔を上げてヴルドとバルムを交互に見た後、ゆっくりとフードに手を掛ける。
そして被っていフードを自らの手で取り払った。
一瞬の静寂の後、周囲が例のように騒がしくなる。
「――え? こいつ、女だったのか?」
「馬鹿、どう見たら女に見えるんだ? ありゃあどう見ても男だろう」
「あんな顔の整った女がいるはずないだろう」
フードを取り払い、露になったクロの素顔に傭兵たちが口々と無責任に囃し立てる。が、ベノが一睨みするとすぐさまおとなしくなった。
「……驚いたな。こりゃあ将来有望な美形が来てくれたものだ」
バルムもクロの顔を見て目を丸くし、苦笑して肩を竦める。
「おい、ベノ。俺も別にお前たちを疑うわけじゃないが、こんな美少年に戦闘なんて務まるのか? さすがに雑用のみってわけにはいかないんだぜ?」
「ええ、団長。グラッツが言うには、彼や私ではこの少年には勝てないらしい」
「――へぇ?」
ベノが真顔でそんなことを言うものだから、居並ぶ傭兵たちはバルムを含めてみな一様に固まった。どうやら自分たちの副団長が放った言葉の真意を測りかねたようだ。
「あの坊主が、グラッツさんよりも強い?」
「いや、それどころか副団長よりも上だってよ? さすがにちょっと……なぁ?」
「いくらなんでも誇張だろう。だってよぉ? 事実なら俺よりも強いことになるぜ?」
間を置いて、傭兵たちの中から当然のように懐疑的な声が上がった。もちろん、今回のベノの言葉に対しては、擁護するような声は見られない。いささか以上に非現実的すぎるのだ。
「ちっ。話になんねぇーな。どうやってグラッツや副団長に取り入ったかは知らねぇーが、テメェみたいな面の奴がいたら俺たちの団が馬鹿にされちまう。へっ、金が欲しけりゃ男娼にでもなるんだな。テメェなら引く手数多だろうぜ」
唾を吐き捨てながらヴルドがクロを侮蔑するような言葉を投げれば、聞いていた傭兵たちの間からも小さな笑いと同意するような野次が起こる。その光景に、思わずグラッツは額を押さえる。
「……なるほど。どうやら団のみんなは、オレのこの顔が気に食わないらしい」
しかしあまり表情を変えることなくクロは首を傾げ、外套の中へと右手を差し入れた。
「クロ、あまり気にすることはありません。あなたたちもなんですか? フードを被っているのが「おかしい」と言い、実際にフードを取れば「団に相応しくない」などと……」
「けどよぉ、副団長。いくら何でもこんな餓鬼には入団は無理だろう?」
冷やかす様に肩を竦めて見下ろしてくるヴルドに、ベノは刺すような視線で見上げる。
「それを決めるのはあなたではない。団長です」
「団長が決めるまでもないって言ってんだ。こんな餓鬼は――」
「貴様は」
「――っ?」
勢い込んでさらに言葉を紡ごうとしたヴルドだったが、ベノのその低い声に思わずと言った形で黙らされた。
「貴様は私の言葉を否定し、あろうことか団長を差し置いて入団の可否を決めようというのか? どうやら、粛清が必要のようだ」
ゆらり、と両腰に下がっていた剣の柄をそれぞれの手で掴んだベノを見て、ヴルドが怯んだように一歩下がった。
「ま、待てよ。待ってくれよ、副団長。俺は別に、あんたや団長を蔑ろにしたかったわけじゃねぇーんだ。ただ、常識的に考えて――」
「問答は――不要だ」
爛々と目を光らせたベノが一足飛びでヴルドの元へと達し、そのまま流れる動作でいつの間にか抜いていた剣を振り下ろす。が、その剣は横合いから突き入れられていた剣によって弾かれた。
ベノは細めた目をヴルドから、剣の突き入れられてきた方へと滑らせる。
「――なぜ、お止になるのですか? 団長」
「ふぅ……俺じゃなきゃ止められなかったな」
誰もが動けなかった中でベノの凶刃を止めたバルムは、呼気を吐き出し自賛した後に自分の剣を鞘に納める。
「落ち着け、ベノ。せっかくクロが入団したとしても、ヴルドが退場しちまったら意味がないだろう。だいたい、クロの入団を決める権利が俺にあるなら、ヴルドを粛清するかの判断をする権利だって俺にあるだろうが。勝手に早まるな」
「……申し訳ありません、団長」
不服そうに眉根を寄せたあとにベノは一歩下がり、ヴルドへ視線を向けたまま剣をゆっくりと納めた。
「とにかく、ベノやグラッツがクロをここまでせっかく連れてきたんだ。入団は俺の一存で許可させてもらう」
傭兵たちに高らかに宣言したバルムに、少しのざわめきが反応として返って来る。しかし先ほどのベノの言動を見たためか、表立って反対するような声は上がらなかった。
「ってことで、クロ。これからよろしくな?」
「……ああ。けど本当に良いの? なんだかオレと旅してきた四人や、団長さん以外は納得してないみたいだけど」
フードが無くなったことで先ほどよりも感情が読み取りやすくなったクロだが、その不思議そうな顔つきを見れば本当に気になっているのだろう。
バルムの方が悩まし気に腕組みをする。
「……うーむ。まぁあれだ。お前さんが本当に団に必要な存在であれば、時間がかかっても自ずと皆が納得するさ。悔しかったら色眼鏡は実力で外させるんだな」
「ふーん……色眼鏡か。色眼鏡ってさぁ? つまり、オレがこんな見た目だからいけないんだろう? こんな顔だから誰から見ても戦えそうにない――そう思われるってことだろう? なぁ、ヴルド?」
突然名指しされたヴルドは一瞬呆けた顔をし、そして苛立ったように眉を吊り上げた。
「テメェ、俺を呼び捨てにするとは言い度胸だな。死にてぇーか? 糞餓鬼」
「死にたくはないけど、つまりはそう言うことだろう? さっき言ってたじゃないか、「お前みたいのが入団したら、俺たちが馬鹿にされる」って」
「へっ、実際にその通りだからな。常識的に考えろよ。他の傭兵団に、テメェーみたいな餓鬼を連れている団はねぇ。馬鹿にされねぇーわけがねぇーぜ。テメェーみたいな面の奴がいたら、団専属の男娼とでも思われちまう」
「ヴルド、よせ」
蔑むようにクロを見下ろしたヴルドに、バルドが険しい顔をして首を横に振った。そんな二人を見やり、クロは外套に差し入れていた右手をゆっくりと引き抜く。
その手には、狩猟用のナイフが握られていた。
「おいっ! お前なに持ってんだっ!」
そのことに一早く気付いたグラッツが、列の中から飛び出てクロとヴルドの間に立ちはだかった。
「――へっ。なんだよ、糞餓鬼。そのナイフで俺とやろうってのか? よほど男娼と言われたのが悔しかったようだな……退けよ、グラッツ。いい機会だ。この餓鬼に大人の厳しさってもんを叩きこんでやる」
「ヴルド、やめなさい。クロもすぐにそのナイフを仕舞いなさい。団員同士の武器を使用した争いは許されていません」
自分の事は棚に上げていつになく緊張の混じった声でさり気なく近づくベノ。そして事の成り行きを興味深そうに見守るバルム。
それらを前にして、クロは手にしていた狩猟用ナイフをクルクルと手慣れた様子で回す。
「まぁまぁ。落ち着きなよ、副団長。みんなもさぁ、オレは別にヴルドと戦うつもりなんてないよ。たださぁ……オレのこの顔が気に食わないってんならさぁ――」
クロはそこまで言って小さく笑みを作ると、持っていたナイフで自分の頬を切り裂いた。
「――あ?」
「ほら? こうすればいいだけでしょ?」
周囲に鮮血が舞った。




