第十八話 呼び方
笛の音を聞き、姿を見せた山賊の数は十六。
対するクロたち傭兵の方と言えば、クロにグラッツにギルデークの三人。つまり数の上では十六対三というあまりにも勝ち目の薄い戦力差ということになる。
一言で言うのであれば、多勢に無勢だ。もちろん、まともな勝負になるわけがない。
事実、戦いは一方的なものとなった――思いもよらない形で。
「こ、こいつどうなってやがる?」
「ごへっ?」
一人の山賊が、小柄なクロに腹を殴られ宙を舞った。
「こ、この――がぁ?」
もう一人、背後からクロに迫った山賊は回し蹴りを浴びて吹き飛んでいく。その様を見れば、皮鎧や体格差など微塵も関係なさそうだ。
武装している大の大人たちが、心身ともに子どもでしかないクロを相手に為す術もなく蹂躙されている。
まるでクロの周囲にだけ暴風が吹き荒れているようだ。
「す、すげぇ……」
そのクロの働きを見やり、近くにいた山賊を盾で強かに殴りつけたギルデークが呆然としたように呟く。
「……まさか、ここまでとはな」
剣を振り上げて迫って来た山賊へ反対に斬り返しながら、グラッツも乾いた笑みを浮かべる。
この少年の入団試験での模擬戦闘、あるいは山道をものともしない健脚、暗闇で猪を狩ってみせた手腕――それらを鑑みれば山賊相手にもそれなりに戦えるとは思っていた。
しかし――こんなことは想定外だ。
グラッツやギルデークも確実に山賊たちを戦闘不能へと追い込んでいる。
少数精鋭を謳う傭兵団の中でも腕っこきと知られた二人だ。その戦いは危なげなく比較的迅速に相手の戦力を削っていた。
だが、それでも猛威を振るうクロの働きには舌を巻いてしまう。次々に相手を倒し、当たるを幸いとばかりに敵をなぎ倒す。
ある時は拳で、ある時は蹴りで。
さらにこの小さな怪物は剣まで持っているのである。クロにかかっては整えられた装備を持ち、それなりに鍛えられた体格をしている山賊たちですらまるで相手になっていなかった。
なにせクロの剣と山賊の剣は一合とすることもない。この恐るべき少年はただの一振りで相手の命を、あるいは戦闘能力を奪っていくのだ。
目を見張るなというのが無理な話である。
「ば、かな……」
そしていよいよ、クロの手によって残っていた最後の山賊が袈裟斬りに倒される。これで八人目……つまり全員で十六いたうちの実に半数を、クロ一人で片付けてしまったことになる。短時間でのこの戦果は驚嘆に値すると言えよう。
周囲を警戒するように辺りを見回していたクロに、ギルデークが何とも言えない微妙な表情で近づいた。
「……よぉ、オメェ……」
そして声を掛けたものの、どうやら何と続けていいか分からなくなったようである。
無理もあるまい。
ギルデークは先ほどまで、クロの力を当てにはしていなかった。
それどころか「複数を相手取るのは厳しい」とまで断じていたのだ。それが、一人で自分やグラッツまで上回る戦果を挙げた。クロへの見方が変わり、話づらくなったとしても不思議ではない。
それになにより、クロは少々――いや随分とやりすぎてしまった。
子どもでしかない姿で、実際に子どもでしかないというのに埒外の力を奮って見せた。それが魔法によるものではないことくらい、剣一辺倒のグラッツにだって察せられる。子どもの、それどころか人間の範疇を超えた比喩ではすまない怪物染みた力を垣間見せたのである。
つまり、だ。
ギルデークがクロを『化け物』でも見るかのような目で見るのは責められないことだと言えた。
「……なんだよ、ギルデーク」
半ばクロを畏怖するかのような視線を向けるギルデークに、クロが剣を鞘に納めながら見つめ返した。
「オレのことを、『クロ』って呼んでくれないのか?」
そしてフードの下の瞳に揶揄うような色を宿し、そんな意外なことを言った。
「はぁ?」
「さっきは一度、『クロ』って呼んでくれたじゃないか。これでもオレ、少しは打ち解けられたと思って喜んでいたんだ」
「……そうかよ」
無邪気に笑いかけるクロに、それでもギルデークの表情は硬い。そんな彼に、クロは笑みを消すと、真顔で首を傾げた。
「もしかして、オレにビビっているのか? ギルデーク」
「なっ?」
「違うのか? オレの強さに驚いて、自分もやられるんじゃないかって怯えているかと思ったんだ」
「ば、馬鹿にするんじゃねーよっ! 俺がオメェなんかにビビる分けねぇだろうがいっ!」
その挑発とも取れる言葉に、負けず嫌いであるギルデークは激怒したように肩を怒らせクロの方へ一歩踏み出した。
するとまるでギルデークの行動を読んでいたかのように、クロの方もギルデーク側へと一歩踏み出す。
最初から近くにいたこともあって、それぞれが一歩ずつさらに距離を埋めたことにより二人の位置はぐっと縮まった。
手を伸ばせば届く距離である。
「うっ?」
クロの方から近づいてくるとは思わなかったのか、意表を突かれたようにギルデークが退がろうとする――が、そのギルデークの服の端を、クロが腕を伸ばし指先で掴んだ。
「な、なにしやがる?」
わざわざ退こうとした自分を制するかのようなクロのその行動に、ギルデークはいっそう怒りを募らせたようだ。
今にも剣を抜きかねない殺気を孕んだ視線をクロへと向ける。
「おい、ギル。それくらいでやめとけ」
さすがに間を取りなそうと近づいたグラッツへ、クロが「構うな」と言わんばかりにギルデークの服を掴んでいない反対の掌を向けてくる。
そうしてグラッツの接近を防ぐと、クロは険しい顔で見下ろすギルデークを見上げて笑みをつくった。
「そう、その視線がいい。向けられるなら、さ。まだそっちの眼の方がいいんだ」
そしてわけの分からないことを言いだした。
「……は?」
これには怒り顔をクロへ向けていたギルデークも、半ば困惑したような声を出す。表情にはまだ怒りを浮かべているが、それでも戸惑ったことは間違いないだろう。
傍から聞いているグラッツにも、クロの言い分が良く分からなかった。
「さっきの俺を警戒するような眼を……まるで化け物を見るかのような眼を味方に……仲間だと思っている奴に向けられるのって久しぶりなんだ。それってさ、すごく――いやなんだよ」
「……」
「異端視されるのもわかる。奇異な眼を向けられるのもわかる。けど、これがオレにとっての当り前で、戦い方で……それが否定されるってのはさ――やっぱり傷つくんだ……傷つくんだよ……」
言いながら俯いてしまったクロの表情は、顔を覆うフードに完全に隠れてみることはできない。
だが、ギルデークの服を掴むクロの小さな掌。それが小刻みに震えているのにグラッツは気付き、先ほどまで笑っていた少年がどのような表情を浮かべているのかなんとなく想像がついた。
おそらく、じかに震えが伝わっているギルデークだって同様のはずだ。
「……だからって、味方に敵意を向けられるのもどうなんでぇ?」
あまり弱さを見せてこなかったクロのか細い声に、ギルデークは絞り出すようにそれだけ言った。
その声には、すでに怒りの色はない。
「敵意ならまだいいんだよ。そういう眼を向けてくる奴は、最初から信用せずにすむ。仲間だと思わずにすむから――そんな奴に、怖がられたって痛くも痒くもない」
かつて辛い経験をしてきたのか、クロのその言葉には実感が伴った響きがあった。そしてその声音には、強がる子どものような弱さが見え隠れしているのだった。
(それが「痛くも痒くもない」奴の反応か?)
やるせない思いを抱いたグラッツが、クロへと改めて近づこうとする。
「……じゃあ、駄目だろうが」
が、ギルデークの叱るようなその言葉で再び立ち止まった。
「え?」
「グラッツの兄貴や副団長もサムも……まぁ、俺も――もうオメェの仲間なんでぇ。仲間を信用しないってのは、信用しなくてもいいってのは、いったいどういう了見だってんだ?」
「仲間? だってギルデークは、オレのこと怖いんだろう?」
「はんっ、怖くなんかねぇ! どうしてこの俺がオメェみたいな餓鬼にビビらなくちゃならねぇんでぇ。餓鬼にしては強い? 人間離れした力を持っている? へっ! だからどうしたってんでぇ! 俺から見れば、オメェなんてちょっと顔のいいだけの生意気な餓鬼だぜ」
俯いていた顔を上げ、自身を見上げるクロの頭へギルデークはごつごつとした掌を置きながらそっぽを向いて言った。
その姿は随分と素っ気ないが、けれど彼なりにクロへと心を開いたからこそ出た言葉であるように思える。
「ギルデーク……」
クロもそれを感じたのか、声に少しばかり明るさが戻った。そんなクロへ、ギルデークは視線を外したまま首を横に振った。
「ちげぇだろう――ギルだ」
「え?」
言われた意味が良く分からなかったのか、クロが首を傾げた。その反応に、ギルデークはわざとらしくしかめっ面をつくってクロの頭を乱暴に撫でまわす。
「ああっ! だからもうっ! オメェは仲間なんだから、特別にギル呼びを許してやるって言ってんでぇ! ありがたく思いやがれっ!」
「うわっ! ちょっ――」
ギルデークの照れ隠しのような頭への攻撃を掻い潜り、クロは取れかけたフードの下の眼を輝かせた。
「いいのか? オレがギルって呼んでも」
「そう言ってんだろう。その代わり、オメェは俺よりも新人だから子分だぜ? 世話掛けたらただじゃおかねぇぞ――クロ」
「――!」
偉そうに言い放ったギルデークに、クロが掴んでいた服の端を手放し彼へと勢いよく抱き着いた。
「ありがとうっ! ギルっ!」
「うおっ? ちょっ! オメェ、調子に乗るんじゃねぇ! 野郎に抱き着かれても、暑苦しいだけなんだよっ!」
その体格差から、ギルデークの腹に顔を埋めるような形になったクロに、ギルデークが心底からの拒絶の声を上げる。
しかしそれでもお構いなしにクロは、その類い稀なる怪力でギルデークの抵抗を無視して抱きしめ続けたのだった。
(……やれやれ。若いなぁ――)
そんな和気藹々(?)とした二人の姿を、周囲を警戒しながら出る幕のなかったグラッツは達観して見つめていた。
そうして火の点いていない煙草を咥えたグラッツの歳は二十六で、二十二のギルデークとそう変わらないのだった。




