第十六話 小さな怪物
――しまった。
サムがそう思った時にはもう遅かった。
岩陰から現れた新たな山賊の言葉によって、サムとクロを見逃した四人の顔つきが一気に変わる。
「おい、旦那。こいつが例の傭兵団員なのか?」
「ああ、そうだ。なぜ主力の奴らと離れて行動しているかは知らんが、間違いなく獲物の一人だ……殺せ」
旦那と呼ばれた男の言葉に、山賊たちが一斉に動き出す。
剣を抜いてこちらににじり寄ってきた。
「へへへ。大人しくするなら生かしておいてやるぜ」
「馬鹿を言うな、確実に殺せ。そいつを殺すだけで、傭兵団の力は一気に落ちる」
「ちっ。可愛がってやろうと思ったんだが――悪いな? 依頼人には逆らえないんだ」
山賊の一人が剣を抜き放つと同時、サムは大声を上げてクロの手を引き駆け出した。
「うわぁぁっ! 助けて下さいっ!」
一度目の悲鳴は山賊に接触したことを知らせるものだ。そして二度目の悲鳴は、不慮の事態に見舞われたとき、グラッツたちに助けを求めるためのものだ。
正直、保険扱いの取り決めであったが、今回においては役に立った。
まさか山賊たちの狙いが最初から『月喰い傭兵団』だったとは――さすがのベノも気付かなかったに違いない。
「あ、待てっ! 手間を掛けさせやがって」
当然、逃げた二人を山賊たちが追いかけてくる。なにやら手配書らしき物を持っていた男は、懐から取り出した笛を吹き鳴らした。おそらくは仲間に知らせているのだろう。
「サム、手を離せ。このままじゃ追手に追いつかれる」
「けど……」
「言っただろう? 何かあればオレが守ると。たかだか四、五人程度――すぐに終わる」
「馬鹿言わないでください! 君はグラッツさんや副団長とは違うんです。僕よりも幼い子どもで、多少強いくらいじゃ武器を持った大人に敵いっこない!」
「それはどうかな?」
サムの握っていた手を強引に振りほどき、クロは追いかけてくる山賊たちと向き合った。
「おい、旦那ぁ。こいつもそのなんとか傭兵団ってやつのメンバーか?」
「いや知らん。そいつは新入りかただの道連れだろう」
「へぇ。なら生かして捕らえてもいいんだろう? こいつの面は高く売れそうだぜ」
「……好きにしろ」
「へへ、ありがてぇ」
山賊の一人が旦那と呼ばれた男の許可を貰い、下卑た表情でクロへと近づいていく。
その隙だらけの足取りは、まさか反撃されることなど考えもしていないのだろう。
「おい、坊主。抵抗しなけりゃあ悪いようにはしねぇぜ。たっぷりと優しくしてやるよ」
そして身じろぎもせず、大人しくその場で佇んでいたクロが観念したものと思ったのか、剣を持つ反対の手を無造作にフードを被った少年に伸ばした。
「く、クロっ!」
サムがクロの身を案じて声を掛けた瞬間――
「――へ?」
鮮血が舞った。
「あ……が?」
そして宙を踊ったのは血だけではない。右腕もだ。
不用意にクロへと伸ばされていた山賊の腕が、血飛沫を上げながら宙を舞っていた。その一瞬で創り出された光景に、誰もが言葉を失い表情を無くす。
サムも他の山賊も、そしてクロに右腕を切り飛ばされた山賊さえも――。
何が起こったのか理解できないと言った顔で、間抜けにも飛んでいく右腕を目で追いかけた。
「あれ、い、いでぇぇ? ……え? お、れの右、腕――」
「邪魔」
再度振るわれた無慈悲な一閃は、今度は明確に山賊の命そのものを奪い取った。
皮鎧ごと胸の間を切り裂かれ、驚きに目を見開いたまま仰向けに倒れ伏す。その一連の間でさえ、誰も動くことができなかった。
「さて……次は誰だ?」
息絶えた山賊から噴き出す血を一滴も浴びることさえなく、クロは軽やかな動きで残された山賊たちに近づいた。その挙動に、一拍置いて慌てたように男たちは一歩後退する。
「な、何しやがった? この餓鬼っ! 一体何をしやがった!」
「斬った」
山賊の一人の激高したような叫び声に、クロは一言で言い捨て剣を振って血を祓う。その淡々とした様子に、サムはごくりと息を呑んだ。
「サムっ! クロっ! 無事かっ!」
そしてクロ以外の人間が硬直してしまった場に、ギルデークの大音声が響き渡った。どうやらサムの悲鳴を聞いて駆けつけてきたらしい。
「ちっ! 他の傭兵か?」
その声にいち早く我に返った旦那と呼ばれている男が、慌てたように剣を抜く。
「お前らは新手の対処をしろ。面倒くさそうなこの餓鬼は俺が片付ける」
「お、おう! 頼んだぜ」
残っていた四人の山賊たちは、一人がクロの相手、あとの三人はどうやらグラッツ達の相手をすることにしたようだ。数的には同等と言えるだろう。
「いいのか?」
「なにがだ、餓鬼」
剣を構えて相対する敵に、クロが小首を傾げ問いかけた。
「あの三人は強い。一対一じゃ到底勝てないはずだ」
「ふん、そんなことは分かっているさ。副団長のベノに、『剛腕』のグラッツ。ギルデークとか言う奴も、新入りにしては強いらしい……山賊風情では足止めが精々だろうな」
「へぇ、詳しいんだ」
「そうでもない……現に貴様のことは――知らなかった!」
男は足元の地面を蹴り上げ、クロの顔目掛けて砂を飛ばす。当然、クロは反射的に顔を腕で覆った。
「はっ! 死ねぇっ!」
自ら視界を塞いだクロを嘲笑い、男は剣を上段から振り下ろす――だが、その直前、
「ぐふっ?」
まるで腹が爆発でもしたかのような勢いで、身体をくの字にしてその場から無様に吹き飛ばされた。
地べたを二三度転がり、男は自身の腹に大きなダメージを与えた物の正体を探るように顔を上げて、覚束ない視線をクロへ向ける。
「――っ!」
そして見たのだろう。
顔を腕で隠したままの少年の脚が、男の腹の高さに突き出されている光景を。
「蹴りで……餓鬼の蹴りで、この、俺が……」
口の端から血を流して呆然としたようにそれだけ呟くと、男は意識を失ったのだった。




