第十四話 治癒師の述懐
「僕は、自分が情けない」
クロと――形だけは――二人っきりとなったサムは、先に進めば進むほど険しくなってくる山に登りながら呟いた。
ベノやグラッツ、ギルデークの三人は離れた所から二人を追いかけているため、この声量の会話なら聞こえないはずだ。
こんな情けない自分の話は、三人には聞かれたくはない。
当然、クロにだって話したいわけではなかったが、今は誰かに聞いて欲しかった。誰かに愚痴らずにはいられなかったのだ。
「……」
クロが無言でサムに視線を送ってくる気配があったが、劣等感に打ちのめされていた彼はその視線を見返すことができない。
俯いたまま、言葉を続ける。
「君よりも年上で、君やギルさんよりも団に入って長いのに……僕はみんなの足を引っ張ってばかりだ」
「……サムは治癒師だろう。いざという時に仕事すればいい」
「けど、傭兵団に入っているからにはせめてみんなの足を引っ張らないようにしないと――僕はいつもそう思って……思うんだけど、駄目なんだ。重い荷物も持てないし、足は挫いて君に負ぶってもらったし――山で動物を狩ることも調理することもできない。僕はいつまでも役立たずのままなんだ」
「さっき、村人に話を聞いてくれたじゃないか。俺やグラッツたちじゃ無理だったことだ」
「あれは傭兵とは関係ないじゃないか……それに結局は副団長が話を聞き出したんだ。僕は、僕はほとんど力になれなかった」
「……」
悲しいことに、自虐の言葉を紡いでいるだけで瞳から涙がにじんでくるようだった。そうしてそんなみっともない自分がさらに情けなくて、サムの心はいっそう劣等感に襲われるのだ。
「……情けないだろう? 正直、僕は君に嫉妬しているんだよ。わずか数日でグラッツさんやギルさん、おまけに副団長にまで認められてしまった君に。僕なんて、ただ治癒が使えるだけで実際は団のみんなにどう思われているか……」
「――ふぅ」
サムの尻すぼみになっていく弱々しい声に、クロは小さく溜息を吐いた。その溜息がサムの弱音を煩わしいものと感じ出たのだと思い、サムは慌てて謝罪した。
「す、すまない。こんな愚痴を聞かせたり――」
「オレはさぁ――オレの身体はけっこう丈夫なんだ」
「へっ? あ、そうなんだ……」
頭を下げようとしたサムを押し留め、クロが脈絡のない話を始める。
そのことに虚を突かれた思いを抱きながら、サムはクロの話を聞いてみることにした。
「一日中動き回ってもあんまり疲れないし、今まで生きてきた中で風邪を引いたこともない」
「へ、へぇ……」
「他の人よりたくさん食べるけど腹も壊さないし、汚水や泥水の味ももう慣れっこだ」
「う、うん」
「致死性の毒も効かないし、そもそも薬物全般の効き目はオレには薄い」
「へぇ……へっ?」
「確実な致命傷でもない限り、オレはなかなか死なない。常人なら死んでてもおかしくない怪我でもさぁ、こうやって生き延びてぴんぴんしている。傷口だって、一つとして残ったものはない」
「クロ? 待って、それは一体何の話?」
最初は元気自慢だと思って相槌を打っていたサムだが、さすがに話の流れがおかしい。「確実な致命傷でもない限り死なない」とクロは言うが、死ぬからこそ致命傷と言うのだ。
思わず口を挟んで制止を掛けてしまったが、クロは気にすることなく話し続けた。
「だからさぁ、そのぶんいっぱい見送ってきたんだよ。オレと似たような怪我で死んでいく奴や、オレと同じ水を飲んで苦しみもがき死んでいった奴……オレは戦う事しかできないからな、苦しむあいつらを救うことはできなかった」
「……クロ?」
「けどさぁ。お前は違うだろう? サム、お前は目の前で傷ついている人間を救える力を持っているんだ。俺や副団長たちは剣で人を守ることはできても、実際に怪我や病気で苦しんでいる人間を癒したり治したりなんてできないんだよ」
「……」
「グラッツに聞いたよ。お前、自分に治癒を掛けるのは下手だけど、他人にはすごく上手に掛けられるって。それを誇りに思えよ、誇りに思ってくれよ。じゃないとさぁ――」
そこで一度言葉を切ったクロに注意深く視線を向けたサムは、クロの拳が固く握られていることに気付く。そしてその拳が強く握りしめられていることで、小刻みに動いていることにも気づいた。
それだけ強い感情を抑え込んでいるのだろう。
それが怒りなのか悲しみなのか――あるいはそのどちらでもないのかは、表情がフードの下に隠されているため判然としない。ただ一つ言えることは。
「――じゃないとあいつらを看取ってやることしかできなかったオレが馬鹿みたいじゃないか」
呟かれたその声は、酷く乾いているのだった。
それから、二人は黙々と山を登り続けた。
あれ以来、何やら重苦しい沈黙が立ち込めサムの方から話を振ることができない。クロの方もフードの下に顔を隠しているため、相変わらず何を考えているのかは定かではない。
とても話を切りだせる雰囲気ではなかった。
だが結果的に無駄口を叩いてペースを落とさずに山を登ることができたので良かったのかもしれない。日暮れまでには山の中腹と呼べるところまで登ることができた。
後は待ち伏せているとされる山賊が現れるのを待つだけだが、果たして本当に姿を見せるのだろうか。
後ろから頼りになる仲間たちが追いかけてきているのは分かっているが、それでもこちらを狙っているかもしれない山賊たちの影に怯えてしまう。
サムは無意識にキョロキョロと視線を彷徨わせてしまった。
それを見咎めるように、クロが小さな声で呟いた。
「……サム。あんまりキョロキョロするなよ。山賊たちに違和感を持たれてしまう」
「あ、うん」
「それと……あそこに大きな岩があるだろう?」
「うん。二十歩ほど行った左手側のだね?」
「ああ。あそこにいる……四、五人だ」
「――え?」
あっさりと呟いたクロの言葉に、サムは思わず足を止めてしまった。そんなサムを叱咤するかのように、クロがサムの尻をぺしりっと叩く。
「しっかりしろよ。オレたちは金を払って通してもらえばいいんだからさ。あとはグラッツたちに任せよう」
「そ、そうだね」
「それに――」
「うん?」
「――いざという時は守ってやるよ」
促されて歩き出したサムに、クロがフードの下から青く光る瞳を向けてきた。その瞳の色に、強さに、なぜか同性で自分よりも幼いクロにぞくりとするような色気を感じ、サムはそんな気持ちを抱いた自分に戸惑ってしまう。
「く、クロ――」
「おいおい、「守って貰わなくても大丈夫だ」なんて言ってくれるなよ? お前に何かあったらオレが副団長たちにどやされそうだしな」
サムから視線を切ると肩を竦め、気負いも躊躇いもなく歩き続けるクロ。その普段と変わらない背を見て、サムは先ほど自分が抱いた感情が幻であるような気がした。いや、幻でないと困るのだ。
「特にギルはうるさそうだなぁ」
「く、クロ。あの――」
自分の気持ちを確かめようとクロに追いすがれば、そのクロはゆっくりと立ち止まり、小さく呟いた。
「さて……きたか」
「え?」
思わず聞き返したサムの声をかき消すように――。
「止まれぇっ!」
大きく野太い声が通り過ぎようとした岩陰から響いたのだった。




