第十一話 山間の村
クロが狩ってきた大きな猪は、結局その日のうちにはあらかたが喰いつくされ、団員たちの腹に納まってしまった。
なんと言っても元々が大喰いの傭兵たちである。昼から何も食べていなかったと言う事もあり、大柄なグラッツやギルデークはもちろん、細身であるサムやベノも食べに食べてすっかりと喰いつくしてしまったのだ。
取り分け、一行の中で一番小柄なクロもどこに入るのかと言った様で猪の肉を貪った。何ならグラッツたちを差し置いて、一番食べていたと言ってもいい。
「……ふぅ、なんだかまだお腹いっぱいです……」
さて、それだけの肉を全員が一気に食べた翌朝、山を下りようと歩いていたサムが苦しげに呻いた。昨夜のうちに足は良くなったようだが、今度は胃もたれしているらしい。
「だらしのねぇ奴だな。翌朝に影響のないように食べるのが、旅人ってもんでぇ」
「そうは言ってもギルさん。次にあんなに美味しい肉を腹いっぱい食べられるのがいつの日になるか分からないじゃないですか。限界まで挑戦したかったんですよ」
サムの言いたいことも分かる。
一行が少数でスラディア王国まで出向いたのは、ベレエム聖国の領主から王国まで出向く商人の護衛を頼まれたからだ。そうでなければ厄介事に関わっている『月喰い傭兵団』から四人も――それも副団長のベノと団の中でも実力者であるグラッツ、さらに治癒師のサムと言った主力の面々だ――抜けさせたりはしない。
少数精鋭を謳っているだけに、団員が一人減るだけで大きく戦力が削れる。当然長い留守は許されない為、ほとんどトンボ返りするようにベルフィリス領を出立した。美味しいものを食べる余裕など無論なかったのである。
「副団長たちは護衛任務が終わってからもしばらくベルフィリス領に滞在したんだろう? その時にいいもの食わなかったのか?」
ギルデークとサムの会話に疑問を感じたのか、クロがフードを外したままの姿でベノを見た。その視線をちらりと見返し、ベノは苦笑するように首を振った。
「団員を募集していた期間のことを言っているのですね? 残念ながら、その期間も一応護衛任務中でね、一人は必ず商人の傍にいなくてはいけなかったのです。出立前日にしても、奇妙な入団希望者が現れまして料理など二の次に話し合いをしていましたよ」
「へぇ……もしかしてその奇妙な入団希望者ってオレの事?」
ベノの言葉に何げなく頷いた様子のクロは、その意味に気付いて顔を顰める。どうやら自覚はなかったようだ。
「本来なら、俺たちが団員募集する時は五日以上はかけるんだがな。三日なんて期間じゃまず戦力になる奴は現れねえ。けど今回は時間がなくてこの短期間だったわけさ」
「ふーん、でも三日で見つかってよかったね」
「あん?」
「ほら、三日で戦力になる奴が見つかったじゃないか? なぁ?」
自分を指さして笑って見せるクロ。その鮮やかな笑顔にグラッツも他の団員も固まってしまう。
「……あれ? 今のは冗談だったんだけど」
「……クック。いえ、クロ。冗談では困りますよ? 君には戦力になって貰わなければ」
やはりと言うべきか、一番先に我に返ったようにベノが笑いを噛み殺して軽口を返す。それに続くようにギルデークもクロの頭をガシガシと乱暴に撫でた。
「まだ一回も対人戦を見てねぇんでぇい。俺はまだオメェの入団に賛成したわけじゃないんだぜ? そんないっちょ前の口叩くのは、俺を実力で黙らせてからにしろってんでぇっ!」
「うわっ、何すんだよ? 自分の髪がないからって……」
「あぁ? てめぇ、今っ! 俺になんて言った? 禿って言ったかこの野郎っ!」
「いや、髪がないって言っただけ」
「それ禿ってことだろうがっ!」
本格的に怒りだしたギルデークからヒラリと身を躱し、素早く逃げ出すクロ。それを荷物を担いだまま追いかけるギルデークを見やり、サムは目を丸くしてグラッツに言う。
「すごい、あんなに毛嫌いしてたギルさんともうあんなに仲良く……」
「あれ、仲良くって言うのか?」
「クックック。打ち解けてきているのは間違いないでしょう。さて、もう一つ山を越えれば聖国は目前です。私たちも彼らの後を追いましょうか」
クロとクロにつられて子どものように走って山道を下っていくギルデーク。先を行く二人を見失わないように、残された三人も少しペースを上げたのだった。
「ふむ、おかしいですね」
陽の高いうちに山を下り終えると、麓には小さな集落があった。その集落の向こう側に、今下って来た山よりも二回り以上大きな険しい山があるのだが、ベノはその山を見もせずに呟いた。
「うん? 副団長、何か言いやしたか?」
「いえ……いや、やはり妙ですね。あまり人影がない。みな、家に籠っているのか、あるいは人口が減ったのか」
ベノの言う通りまだ陽が高いにも関わらず、外に出ている人間の数があからさまに少ない。
何人かは飼っている動物の世話をしたり小さな畑を耕したりしているが、どうも活気がない。
こういった小さな集落にありがちな、小さな子供のはしゃぐ声と言うのが全く聞こえないのだ。
「以前、ここを通った時はまだ賑わってましたよね? 疫病でも流行って村人の数が減ってしまったんでしょうか?」
サムが治癒師らしく病気の心配をするが、グラッツは首軽く横に振った。
「そんな話は聞かねぇーな。この村はベレエム聖国にも近いからな、そんな疫病が流行ってんならすぐ情報は入る」
「それじゃあ、何が理由でぇ? 俺はこの村に来るのは初めてだが、たしかに畑の規模や家の数からしても、外にいる村人の数が少なすぎまさぁ」
「……別にこの村はスラディア王国の領土ですからね。それほど気にする必要もありませんが……ただまぁ、疫病などが関係しているのであれば情報は得ておくべきでしょう。ここの村長とは以前お会いしたことがあります。話を聞いてみましょうか」
ベノがそう結論付けて、近くで畑を耕していた村人へと近寄っていく。
「……グラッツ達は、ベルフィリス領に入る前にこの道を通らなかったの? 聖国からこの道が一番の近道だろう?」
ベノの背を見送っていたグラッツの服を引っ張り、フードを被り直したクロが声を掛けて来る。
「うん? ああ、この道は通ってねぇーぜ。なんせ護衛対象が絵に描いたように貧弱な商人だったんでなぁ。さっき下って来た山は越えられても、目の前にあるあの山はとても無理さ」
あまり時間はなかったが、拠点があり、なおかつ贔屓にしてくれている聖国の領主からの正式な依頼だ。商人に何かあっては困るので、万全を期して安全なルートを通るため、この険しい道は迂回してきたのだ。
「お? 副団長に気付いた村人が、なんかすごい勢いで逃げてやすぜ?」
「なに?」
クロを見下ろしていたグラッツは、ギルデークの上げた声に反応してベノの方を見る。すると確かに、ベノが近寄って行った村人が、持っていた鍬を放り投げて走って行ってしまった。
他の作業をしていた村人も、手を止めてベノや気付いたこちらへと警戒するような目を向けている。
これは妙な事だ。
「なんでぇ、あいつら。俺たちが武装してるからビビってんのか?」
「にしても、この警戒の仕方は妙だな? 何かあったのかもしれん」
「副団長が手招きしてますよ? 行ってみましょう」
村人に逃げられたベノが誘うように手招きしているので近づくと、らしくもなく弱々しい笑顔を浮かべた『月喰い傭兵団』の副団長がいた。
「い、いきなり化け物を見たみたいに逃げられました……ギルやグラッツのように強面でもないのにちょっとショックですね」
「多分、副団長が武装していたからだな。ってことは、武装してなおかつ強面のギルや俺は駄目だな。もちろん、外套にフードのクロだって論外だ」
グラッツがそこまで言うと、全員の眼が呑気な顔をして突っ立っていたサムへと向いた。サムもその意味を悟り、仕方なさそうに笑う。
「まったく、もうちょっと貴重な治癒師を労わってもいいと思いますよ?」




