魔王軍を追放された災厄の魔女はかく語りき〜災厄の魔女のいない魔王軍など恐るるに足りん〜
「やめろおおおおおおおお!! 離せえええええええ!!」
喉が千切れるほどに叫んでも私の体を掴む魔王四天王三席バルディオスの巨大な手は微かにも力を緩めない。
むしろ悦ばせてしまっているようで私の体ほどもある巨大な口を三日月のように歪めて耳障りな笑い声を上げている。
「ククク……災厄の魔女と呼ばれた貴様もゴルディアスの鎖に繋がれてはただの小娘……いや、人間同然だな」
ニンゲン……その言葉を聞くだけで腹の中から最上位核熱呪文が錬成されそうな程憎しみが燃え上がる。
「レウルーラ……私を人間呼ばわりするなど、消し炭にしてやろうか」
「できるものならやってみろ。
できるものならな」
紅い筋肉質な体をした魔王四天王次席レウルーラは黒目のない瞳で私を見降ろす。
「アシュリー殿。見苦しいですよ。
末席とはいえ偉大なる四天王が一人、災厄の魔女アシュリー・ラインベリアルが獣のように殺気をばらまいて喚き散らすなど。
あなたを取り立てた先代の名声にも差し支えます」
妖艶な笑みを浮かべる魔王四天王筆頭イレーヌは抜群のプロポーションの青白い肌を惜しげもなく晒し、奴もまた私を見降ろしている。
事の発端は10分前。
四天王のみで極秘会談を行うとの報せがあり、私は転移魔術で魔王城の地下にあるサロンに瞬間移動したのだが、着いて早々、バルディオスに取り押さえられ、レウルーラに魔力を封印するゴルディアスの鎖で拘束された。
「何の真似だ! 貴様らクーデターでも起こすつもりか!」
私の叫びに笑いながらイレーヌは答える。
「クーデター? とんでもない。
我々は魔王様に永遠の忠誠を誓った魔王四天王。
たとえ魂を永遠の闇に閉じ込められてもその忠誠は揺るぎませぬ」
「だったらどうして……っ!!」
私の顔をレウルーラが踏みつける。
「クーデターを画策していたのはアンタだ。
アシュリー・ラインベリアル。
人口の少ない地方都市ばかりを襲撃し、奴らに大した被害を与えず、強力な英雄たちが攻め込んできたときはロクに戦わず逃亡を繰り返す。
さらには100年の年月をかけて封印から解き放った魔神アンゴルモアを我々に何の報告もなく再封印する。
アンタは人間に加担して魔王軍を内部から崩壊させようとしている薄汚い裏切り者だ」
レウルーラは罪状を読み上げるように、私のやってきたことを述べた。
「バカが! 私が人間を憎む気持ちは誰よりも深い!
魔王様の命令で人界に侵攻している貴様らなどよりも遥かにな!」
そう。私は手を抜いたり、まして人間に加担したことなど一度もない。
本気であの下賤で卑劣な種を滅ぼそうとしている。
今までもこれからもだ。
「言葉だけならいくらでも取り繕えます。
ですが、結果が全てです。
あなたは魔王四天王にふさわしくない。
魔王四天王筆頭としてあなたを魔界から追放します」
追放……予想外の言葉だ。
てっきり殺されるものだと……
「但し、腐っても災厄の魔女。
その途方も無い魔力を以って人類と手を組まれたら大英雄に匹敵する脅威となる。
そこで、です」
イレーヌはゆっくりと指を指す。
その先には魔法陣が描かれている。
【除去】【変換】【生体】【第一位】……
術式を読んで、私は青ざめた。
「流石は魔女! 一目見て魔法陣の効果を判断したのですね!」
「や、やめろおおおおお!
貴様ら! 正気か!?」
「ああ、正気だとも。
裏切り者のアンタに課す刑罰としてこれ程適したものはあるまい」
バルディオスは私を魔法陣の中央に横たわらせる。
イレーヌは詠唱を始めた。
「こ、殺せ! いっそ殺してくれ!!
それだけはやめてくれ! やめてください!!」
プライドをかなぐり捨てて懇願する。
だが3人は笑うだけで止めようとはしない。
「これからは魔王三天王……語呂が悪いですね。
まあ、そのうち考えましょう。
私たちで人類を滅ぼし、人界を支配します。
あなたは……」
端正なその顔をクルリと入れ替えたように凶悪でおぞましい笑みを浮かべ、
「大好きな人間になって、彼らと共に滅びの道を歩みなさい」
「いやああああああああああ!!」
まぶたを空け、私の目に映ったのは眩しいほどの青。
人界の空だ。
魔界の赤い空とは異なる穏やかで優しい空だ。
人間は憎いが私はこの青い空が好きだった。
体を起こす。
骨の上に皮が貼られていただけの枯れ木のような腕が、脂肪や筋肉がつき、太くなっている。
背中に生えた羽も側頭部から突き出た角も無くなっている。
残っているのは銀色の長い髪だけ……
ああ、私は人間になってしまった。
卑しく残忍で脆弱な人間に……
「うわあああああああああああ!!」
私は声をあげて泣いた。
ボロボロと流れる涙は暖かく塩辛い。
ああ、「涙」が流れている。
生まれて初めての経験だ。
燃え盛る街で人間の幼子が、戦場で死に抗おうとする兵士が流していた分泌物。
汚いギミックだと笑ったその「涙」を流している。
私はもう人間なのだ。
それから、何度も太陽が昇り、沈むのを繰り返す空を見た。
人間になった私は空腹という今まで味わったことのない不快感を解消するために、地に生える草木や小動物を食らって生き長らえた。
人間になるくらいなら死んだほうがマシだと嘆いていたのに、死にたくないという欲求が勝った。
精神の弱さも人間になってしまったのだろうか。
イレーヌたちに憎しみを抱いていたものの、この脆弱な人間の力では奴らは愚か、雑魚モンスターにすら歯が立たない。
復讐をしようなどという気概も起こらない。
ただ、惨めに他の生き物の命をくらい、価値のない生を全うしよう。
そう虚ろに思っていた。
獲物を探すため、森の中を散策していると今までお目にかからなかった獲物に出会った。
人間だ。
しかも、傷つき瀕死の状態で剣を地面に突きながら必死に歩いている。
あれならば私でも狩れる。
転がっていた石を握り、私は獲物の前に姿を現した。
私を見た人間は目を見開いて驚いた。
私は何の変哲も無い人間だが、やはり魔術によって無理矢理人間に錬成したこの身は人間とは異なっているのかもしれない。
だが、そんなことはどうでもいい。
この男の頭をかち割って脳漿を啜って今宵の糧にしてやる。
私は飛びかかろうと足に力をためた瞬間、
「ふ、服を着てください!!」
人間は顔を赤らめて私から目を逸らした。
その反応を見て、私はようやく自分が人間の少女であることを察した。
初めて殺気や恐怖のない人間に相対し、虚をつかれた私は襲いかかる機会を逃し、奴になされるがままマントを体に巻かれ、手に持った石を取り上げられた。
「はあ……すまない。
まさかこんな奥地で人間に出会うなんて。
しかも着るもののない……
お腹は減っていないかい?」
奴がそういうとタイミングよく私の腹の虫がぐ〜、と鳴く。
すると奴は背嚢から干し肉を取り出し私に手渡した。
鼻をつく香辛料の匂いで口の中には唾液が溢れ出す。
私は貪るように肉にかじりついた。
人間になって食事をすることを覚えたが、そのことが快感だと思ったのはこれが初めてだ。
自然と顔の筋肉が緩んでしまう。
「良かった……君は……食べられるんだね。
僕はもう無理なんだ。
腹が破れて、もう、食べられないんだ」
そうか。じゃあもうすぐ死ぬな。
と、私は何の感慨もなく思った。
「僕の荷物を全部あげる。
食料も水もある。
これだけあれば数日は保つ……
代わりと言ってはなんだが、この荷物にある手紙をこの先にある街のアルバースという人に渡してくれないか?」
どうせお前が死ねば、その荷物は私のものだ。
約束をする必要はない。
「アルバースは優しい人だ。
身寄りがないことを話せば、きっと保護してくれる。
お腹いっぱいとはいかないだろうけど……
ちゃんとご飯も食べさせてもらえる……
寝床も、服も……」
……本当に?
「君が僕に出会ったのはきっと奇跡だ……
君はきっと助かる……
だから……生きて……」
奴は何も言わなくなり、瞼を閉じて動かなくなった。
数日後、奴が言っていたとおり、人間の村にたどり着いた。
木で建てられたせせこましい建物が立ち並ぶ、貧しそうな村だ。
村に入ろうとした私は門番と思われる男の人間に止められた。
「アルバースという人に手紙を渡したい」
と言って手紙を差し出すと、門番は顔色を変えて、私を村の中に案内した。
その道中で私はその男からいろいろ質問された。
どこから来たのか、歳はいくつなのか、名前は何か。
どれも本当のことは言えない。
だから「分からない」と繰り返した。
するとその男は涙ぐんで私の頭を撫でた。
これは同情とか憐憫の類だろう。
卑劣な人間どもも同族にはある程度の情があるようだ。
村の中で唯一石造りの建物にアルバースはいた。
私が手紙を渡すと、顔を近づけてそれを読んだ。
そして声をあげて涙を流した。
「マルス……お前はまさに英雄だ。
ありがとう……ありがとう……」
アルバースは涙を拭いて立ち上がり、部下と思われる男達に命令する。
「魔王軍は西に向かっている!
おそらく次の目的地はシュタインベッセ!
ただちに避難命令を出せ!
俺はベースデルタの軍と合流し奴らを背後から叩く!」
……しまったぁああああああ!!
あの手紙は魔王軍の軍事情報が書かれていたのかっ!!
そうとは知らず……これでは人間どもに加担してしまったということになるじゃないか!!
ああ……どうして中身を改めることをしなかったんだ!!
私がのたうち回るとアルバースは、
「おい! 大丈夫か!
外傷はないが何かの病かもしれん。
この娘をハーティア殿のもとに連れて行け!
彼女は勝利の女神だ。
丁重に取り扱えよ」
やめろ! 勝利の女神とか言うな!
私は人類に恐怖と死を運ぶ災厄の魔女だ!
私を抱きかかえた兵士は村はずれにある小さな小屋に私を連れてきた。
そこで、私はさらに驚愕の事実と出くわすことになる。
「み、ミドガル族……!」
「ホホ……今やその名を知る人間は少ないぞ。
お主何者じゃ?」
その年老いた男は微笑みながら私に尋ねる。
骨と皮だけの貧弱な四肢。
背中に生えた翼に側頭部から伸びる長いツノ……
私を遺して絶滅したミドカル族そのものだった。
人間の兵士が小屋を出て、私と彼が二人きりになった瞬間、私は彼に問う。
「どういうことだ!?
ミドカル族は50年前……里を人間達に焼かれて絶滅したはずでは!?」
そうだ。
50年前、私が暮らしていたミドカル族が住む集落は人間の軍に襲撃され、私一人を残して絶滅した。
高い魔力を持っていても、気質的に戦闘に向かないミドカル族は戦闘用の魔術をほとんど身につけていなかった。
そのことが仇になった。
一方的な虐殺が行われ、男たちは無残に切り刻まれ、女たちは自身の勝利を誇示しようとする人間たちに辱めを受けて殺された。
私が死体の山に隠れて生き長らえていたところに先代の魔王様が現れ、人間たちを一掃した。
魔王様は私を拾い、唯一生き残ったミドカル族として丁重に保護してくれた。
だが、私の人間に対する憎しみは消えず、一族の仇を討つために魔力を練り上げ、数多の術を身につけ、人類との戦いの先鋒として戦地に赴いた。
やがて魔王軍の最高幹部ーー四天王に任ぜられるに至った。
「お主……本当に何者じゃ?
見たところただの人間のようじゃが、お前の口から語られているのは魔王軍のプロパガンダの内容そのものじゃぞ」
「ど、どういうことだ?」
ハーティアはため息をついて、語り出す。
「ミドガル族は元々、魔王軍にも人類にも属していない民族じゃった。
ミドガル族の里は魔界の入り口、つまり人界と魔界の境界線に近いところにある。
どちらに加担しても戦場になることは避けられん。
幸い、戦争が始まる前から一部の人類の国と交流を持っていて不戦の意志を示せていたし、絶対不可侵の盟約のもと、人類も我らには干渉しないようにしてくれておった」
「そうだ! だが人類はその盟約を破り、里を襲ってーー」
「それこそが魔王軍のプロパガンダなのじゃよ」
私は息を呑んだ。
この50年間、あの日を忘れたことはない。
共に暮らした同胞たちが命も尊厳も奪われたあの日のことを。
「私は見たのだ!! 奴らが……人間が同胞たちを蹂躙する姿をっ!!」
ハーティアは怪訝そうな目で私を見つめるが、ふと目を下にやる。
「ワシも見たよ。
数年ぶりに帰ってきた里が火の海に包まれているのを。
ワシは魔王軍側との交渉窓口の役目を司っていた。
当時、魔王軍は同じ魔族であるミドカル族に従属を強制しようとしていた。
じゃが、先ほども申した通りミドカル族にとって参戦は族滅の危険を孕んだ無謀な選択じゃった。
ワシは同胞を守るために魔王軍の要請を突っぱね続けた。
それが正しいと……思っていたんじゃ……」
魔族であるハーティアは涙を流さない。
だが、わたしには彼が泣いているように見えた。
「ワシは火の海となった里を背にして、逃げ帰るように魔王城に戻った。
運良く、城内を歩かれていた魔王様を目にし、斬首覚悟でミドカル族の里の有様について伝えた。
血相を変えた魔王様は私を連れ、転移魔法で里に降臨し、賊どもを瞬時に葬り去った。
人間どもの死体を踏み荒らしてやろうと、死体を間近で見たその時じゃ。
変身魔術が解け、人間の形をしていた死体が……魔族に変わったのだ」
嘘だ……
「魔王様はそれを見てすぐに状況を察した。
そしてワシに教えてくれたのだ。
これは従属しないミドカル族を魔族の裏切り者だと断定した一部の強硬派の魔族……
現在四天王と呼ばれているイレーヌ、レウルーラ、バルディオスの仕業だと」
……嘘だ。
嘘だ嘘だ。
「魔王様も上級幹部の魔族が同胞を虐殺したなどということを民に伝えることはできん。
魔界を守るために人類との戦争は至上命題であることに変わりはない。
よって、ミドカル族の族滅は目論見通り人間による虐殺とされた。
その事により、ミドカル族のように魔王軍への従属を良しとしていなかった種族も、横紙破りをした人類に対して敵意を燃やし、魔王軍に従属した。
魔王様としてはミドカル族の絶滅を魔族の内乱のきっかけにするよりかは、魔族を団結させるための悲劇の生贄とする方が供養になると判断したわけじゃな。
その判断が正しかったのかは分からん。
一つ言えているのはそのことで魔王軍と人類との戦いは激化の一途を辿り、大河の如き血が流れたということじゃ」
嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。
「ワシは……先代に怨みはない。
形はどうあれ、一族の仇をとって下さった。
じゃが、もう魔界にはいられんかった。
交流のあった人間にことのあらましを話し、この里で暮らすことを認めてもらった。
そして、戦いに明け暮れる世界の中でミドカル族の名は薄れ、もはやその悲劇を語り継ぐ者もいない。
ワシも近いうちに土に還るだろう。
そして、ミドカル族は終わりを迎えるのだ」
「そんなことはない!!
魔王四天王が一人アシュリー・ラインベリアルはミドカル族だ!
アシュリーが生きている限りミドカル族は……」
アシュリーはもういない。
いるのは魔力も姿も奪われた脆弱な小娘だけだ……
そうか……
奴らが何故私を毛嫌いしていたか……
あのような卑劣な罠にかけて追放したのか分かった。
人類との戦いに勝利すれば、魔族に平和が訪れる。
平和な世界で民を治めようとする時に求められるのは戦力ではなく信望だ。
先代の魔王様が崩御された今、奴らはミドカル族虐殺の真相を完全に闇に葬るために生き残りの私を抹殺したのか。
しかも人類に加担するという魔界で最も罪深く恥辱の罪状を押し付けて……
「フフ……ハハハハハハハハハハ!!」
「ど、どうした?」
これが笑わないでいられるか!!
私が燃やし続けていた復讐の炎は見当はずれの方角を焼き、それを戦果と誇り溜飲を下げていたのだぞ!!
ああ、最悪だ……
どうしようもなく最悪の気分だ……
力押ししかできぬ頭の悪い連中と内心嘲笑っていた四天王どもの掌の上で転がされていたなんて……
この屈辱……この怒り……
人間にされた時の辛さなどとうに消え失せた。
それどころか人間を憎んでいた頃の私も闇の炎に焼かれて消えた。
焼き尽くしてやる……
私の全てを奪い、弄び、嗤ったアイツらを焼き尽くしてやる……!!
「ハーティア殿……
私は魔王軍と戦いたい……
どうすればいい?」
ハーティアはため息をつく。
「お前のような娘が戦うなどと……
まあ、飯炊きの役くらいはできるかもしれんから、アルバース殿に相談してみたらどうだ。
彼は火の大陸屈指の英雄じゃ。
口利きくらいはしてもらえるじゃろ」
人類の英雄……数分前までは憎悪の対象でしかなかった存在だが、今の私にとっては利用価値がある最高の駒だ。
「……大きな声では言えんが、もう人類に勝ちの目は無い。
魔王軍の侵攻は近年激化の一途をたどっておる。
それでも、この村で穏やかに暮らしていれば、子供の顔くらいは見れるかもしれんぞ」
ハーティアは諭すように言う。
だが、私は笑う。
「大丈夫だ。そうはならない」
立ち上がり、ハーティアを見降ろす。
「災厄の魔女のいない魔王軍など恐るるに足りん」
〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
それからちょうど20年の月日が流れた。
20年前、人類は圧倒的劣勢に立たされていた。
その理由は二つある。
一つは慢性的な食糧不足。
魔王軍の侵攻を受け、削られた人類領では民や兵士を食わせていくだけの食料自給が滞っており、魔界に遠征することはおろか、軍を出動させることすら限定されていた。
もう一つは人類の最大戦力である超越者と呼ばれる人類の力を超えた英雄達が魔王軍の多方面攻撃によって各地に分散され、集団で戦うことができなかったからだ。
だが、それらの事情は時を追うごとに改善されていく。
再開拓された人類領の穀倉地帯は実りの時期に大量の食糧を生み出し、慢性的な飢饉の状態から脱却させた。
また、各地で転戦していた英雄達も合流し、その超常の力を合わせることで魔王軍の侵攻を跳ね除け始めた。
息を引き取る前にその報せを聞いた最後のミドガル族ハーティアはこう呟いた。
「本当にあの子の言った通りじゃった……」
骨と皮しかない口元をニヤリと歪めて、
「災厄の魔女のいない魔王軍など恐るるに足りん」
〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
私は魔界の入り口にまでたどり着いていた。
人類の反撃は止まることを知らず、奪われた領地を取り返し、ついには魔界の入り口に部隊を派兵できるまでになっていた。
「閣下。
アイラ様とソーシュウ卿が到着されました」
「まったく。アイツらはいつも時間を守らん」
私は愚痴り気味に言うが、口元から笑みが離れない。
20年……私が再び復讐の炎を燃やしてからの日々の集大成が今日なのだから。
部隊の最前に彼らは集まっていた。
人類最強の剣士、ブレイド・ソーシュウ。
火の大陸の覇王、ユスティエル・イフェスティオ。
魔術王、ラインハルト・サンタモニア
そして竜殺しの巫女、アイラ。
当代最強の英雄達である。
「ようババア! 久方ぶりだな」
「無礼者! いつになったら貴様は人間語を覚えるのだ、赤毛猿め」
私に暴言を吐くブレイドをユスティエルが叱る。
「お変わりないようで。
最近は前線に出てこられないので、案じていたところですよ」
伊達男のラインハルトは大げさな身振りで私に話しかける。
「真打ち登場は派手に行きたいではないか。
奴ら、私を見て腰を抜かすだろうよ」
ラインハルトの言う通り、昨今前線からは離れていた。
人類領の安定と臣下の教育に奔走していたのもあるが、最大の理由は奴らに私の存在を隠し通すためだ。
ああ、奴らに伝えたい。
お前達の失態が魔王軍を敗北に追い込んだことを……
アルバースに仕官の口を利いてもらった私は教会騎士団という、孤児達で編成された軍隊に入ることになった。
魔力は奪われ、ただの人間の小娘と成り果てた私だが、奴らは肝心の力を奪うのを忘れていた。
それは、私の知識だ。
魔界に存在する古今の魔術書を読みあさっていた私は魔界でも屈指の魔術知識を蓄えていた。
騎士団に所属した私は魔界の魔術を人間の魔力でも運用できるよう、改良を重ね、それを流布した。
私はその功績を讃えられ、騎士団での地位を確固たるものとした。
権力を得た私が次に行ったのは、人類領の食料自給の改善である。
レウルーラは私を人のいない地域ばかりを焼き払うと嘲笑っていたが、それは決して笑われるようなことではない。
何故なら、私が狙っていたのは元より人類の糧だったからだ。
大穀倉地帯を焼き払うことで、人類は食糧を失い、それは軍事力の低下に直結する。
広大な農地を守りきるのは不可能な上、人類も明日の食糧より街で生きる民の命を優先していた。
だが、私がいなくなったことで魔王軍は人口の少ない穀倉地帯に戦力を割くことよりも、都市部への攻撃に集中した。
結果、新しく作られた穀倉地帯は魔王軍の襲撃を受けることなく、人類の食糧事情は日々改善されていった。
その功績を得た私は人類の軍事行動の統率者となり、本格的に魔王軍との戦争を左右する立場になった。
半獣のバルディオスは元より、レウルーラもイレーヌも魔族の力を過信し安直な戦略しか打ってこない。
奴らの手の内も思考も読みきっている私にとって、欠伸が出るほど簡単なゲームであった。
アイツらは所詮目先のことしか見えていないのだ。
私が英雄たちとの戦いを避けていたのは、臆病風に吹かれていたわけではない。
私が恐れていたのは超越者という最低でも中位魔族以上の戦闘力を持つ個体を集団にしてしまうことだった。
だから私は転移魔術で各地に飛び、彼らを一つの戦場に集合させないようにしていた。
転移魔術を使えない以上、彼らは帰りの道も徒歩で向かわなくてはならない。
それは大いなる時間の消費だ。
私が魔王軍にいた頃は人生の大半を歩いて過ごすだけで終わった大英雄もいる。
その副産物として、魔王軍の戦略を読みにくいものにしていたのも大戦果だ。
ああ、奴らはバカだからそんなことにも気付かず、度重なる失策を自分たちが担ぎ上げたであろう当代の魔王に咎められているだろう。
先代の魔王様ならこの戦況の変化に気づき、自ら手を下しただろう。
物ぐさで操りやすい魔族を魔王につけて、好き放題しようとしたのが奴らの落ち度だ。
ああ!奴らの過ごした20年間を見る方法があるのなら全財産を投げ打ってもいい!
そんなことを考えてニヤついていると、我が軍の前にダラダラと空を飛んで3匹の魔族が現れた。
「来ます! アレは魔王軍の……さ、三巨神!
破滅のバルディオス! 蹂躙のレウルーラ! そして……災厄のイレーヌです!!」
兵の叫びを聞いて、私はゲラゲラと腹を抱えて嗤った。
「おう、ババア。
ついに気でも狂ったか?」
ブレイドの嘲りも心地いい。
そりゃあ嗤うさ!
私を追放してから踏んだり蹴ったりの年月を送ってきた連中が、三巨神 |(笑)だって!
挙句、失笑物の異名まで身につけて。
しかもイレーヌの災厄って!
私が災厄の魔女と呼ばれていたの、もしかして羨ましかったんですかあああああ!!
ああ、ひとしきり嗤ったところで感動のご対面だ。
地に降りた奴らは私を見て顔を歪めた……
「まさか……本当に生きておったのか!
アシュリー・ラインベリアル!!」
イレーヌの叫びに私は人差し指を立てて振る。
「そんなミドカル族のことなど知りませんわ。
私はどこからどうみても人間でしょう」
銀色の髪をたなびかせながら、クルリと回って、自分の体を見せつける。
翼もツノもないこの身体にもすっかり慣れた。
脆弱ながらも私の復讐の炎を絶やさなかったこの身体は私の誇りだ。
「まさか、本当に裏切り者になるとはな……
聞け! 人間ども!
コイツの正体はアシュリー・ラインベリアル!!
20年前まで世界を焼き尽くした災厄の魔女だ!!」
なるほどー。そう来ましたか。
結局、あなたはレッテルを貼って他人を陥れる程度の謀略しか張れないのですね。
「マジかよ……」
ブレイドが呟く。
「信じがたいな」
ユスティエルが頭を抱える。
「嘘でしょう! 冗談だと言ってください!」
ラインハルトは大げさに私に詰め寄る。
はあ……と、ため息をついて、
「信じられないだろうけど、目の前で起こっていることが真実だ」
と口にすると、イレーヌが笑みを浮かべた。
同時に、アイラが大きな欠伸をした。
「ぶっ! ぶわはははははは! あへ!
腹が痛え!!」
「まさか、こんな古典的なことをやってくるとは……
なんだか馬鹿らしくなって来た」
ブレイドは笑い、ユスティエルは脱力する。
「へ?」
あら、イレーヌったら。
間抜けな声を上げて。
「魔族は英雄たちに魔女のレッテルを貼って、魔女狩りを誘発し、人類の不和を計る。
古典的すぎて……冗談としか思えませんよ」
ラインハルトが肩をすくめる。
そう、ラインハルトが言ったことは全て……
この! 私が! 20年間で全世界に広めまくった作り話なのでしたあああああ!!
計画通り!
吟遊詩人の詩に盛り込んだり、御伽噺に組み込んだり、その他魔族がやったように事件をでっち上げたりして、人類のほとんどが知る世界の定説となっているのだ!!
バカめバカめバカめ!!
私が最大の急所の対策をしていないとでも思ったか!!
この日、この時が来ることを夢見て生きて来たんだぞ!!
「えーと、最悪のイレーヌでしたっけ?」
「さ、災厄だ!」
あら、今少しためらったようで。
本物の前で名乗るのは流石にバツが悪いですか。
私は優美に手を胸の前にかざして、自己紹介をする。
「私は人類に与し、焼かれた人界を再生する『再生の魔女』。
魔界より出でし邪悪に、あるべき冥府にお帰りいただく」
私は自分に名前をつけた。
特に何かに由来するでもない名前だが、気に入っている。
「我が名はシュリ・ユークリッド。
さあ、我が炎に焼かれて消えるがいい!」
私の名乗りに合わせて、レウルーラとバルディオスが動いた。
だが、奴らはブレイドとユスティエルに押さえ込まれる。
「さて、と」
私は指を舌の奥に入れ、嘔吐した。
「おええええええ!」
先ほど食した糧食と一緒に人間の拳大の塊が出てきた。
「それは魔力結晶!? しかもその純度!!
なぜ貴様がそんなものを!?」
イレーヌの問いに答える必要はない。
私の過去に触れることだからな。
私は人間にされる直前、体内の魔力を全て結晶化していた。
ゴルディアスの鎖は外に出る魔力は抑えられても、体内で操作する魔力までは干渉できない。
つまり、これは魔王四天王アシュリー・ラインベリアルの全魔力を凝縮した、いわば災厄の魔女そのもの。
お前たちを葬るにこれほどふさわしいものがあるだろうか。
「に、人間に堕ちた貴様が!
そんなとてつもない魔力を扱いこなせるものか!」
「そうだな。
たしかに人間には扱える代物ではない」
私は魔力結晶を掲げると、ラインハルトとアイラが結晶に触れる。
「人間には扱いこなせないが、人間たちではどうかな?
規格外の魔力を誇るこの二人と私の魔力操作を合わせればーー」
「バッチい……」
アイラが顔をしかめる。
お前、ようやく喋った言葉がそれか……
「合わせれば!」
気を取り直した私は叫ぶ。
全身の魔術回路を操作し、魔術式を組み立て、激流のように流れ込むラインハルトとアイラの魔力を用いて、砲塔を作る。
「人類を甘く見たな! イレーヌ!!
【究極災厄魔法】」
魔法が放たれる直前、ブレイドとユスティエルは射線上から脱出。
魔術を超越し、世界の法則にすら縛られぬ究極の魔力行使。
それが魔法だ。
きっと災厄の魔女だった頃の私では顕現できなかったであろう。
だが、人間として生きた20年の月日で私が培った力と手に入れた仲間と燃やし続けた復讐の炎が!
人界に存在し得ない究極の魔法を顕現させたのだ!
銀色の魔力の奔流は三巨神を飲み込み、魔界の地平線に消えていった。
「やったか!?」
「いや、ギリギリ生きているだろう。
最大出力の2割程度しか使っていないし」
私の返答にブレイドは驚く。
「アレで、2割!?
大陸の地形が変わりかねない一撃だったぞ!」
「余力を残したのは、この後にある魔界侵攻の為ですか?」
ユスティエルの問いに私は苦笑する。
「魔界侵攻なんぞ、やるだけ無駄だ。
赤い空に不毛の大地に高濃度の魔力の瘴気。
人間の生きるところではない。
それに……」
〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
「クッソおおおおお!! アシュリーめえっ!!
とんでもない隠し球を持っていやがった!!」
イレーヌは怒りに打ち震えていた。
魔界随一の美貌と呼ばれるその肢体をズタズタにされたことが、彼女の中にある怒りを一層露見させている。
「もう……後がない!
こんな敗北が魔王様に知られてしまえば!!」
レウルーラは頭を抱えて震える。
バルディオスは無言で地に伏せている。
「……最後の手がある。
反逆者アシュリーの功績とやらを逆手に取ってやろうじゃないか!」
イレーヌの叫声にレウルーラは震えた。
「まさか……アンゴルモアを!?」
〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
「魔神アンゴルモア!?
確か、伝説上の魔界の魔神ですね」
ラインハルトが自身の知識から言い当てる。
「そうだ。まあ、伝説上であれば良かったのだが、アレは魔界の魔王城の地下に封印されている」
私の言葉を聞いて、皆、息を呑む。
「あのお笑い三人衆などアレに比べたら羽虫も同然。
7日7晩暴れまわったら何千年も眠りにつく律儀で規則正しい生き物だ。
だが、その7日もあれば世界の半分は滅びるだろうな」
ブレイドが肩をすくめて言う。
「じゃあ残りの8割の魔力はソイツを倒すために」
「うん。それ無理。
この程度の魔力では魔王ですら消し切れるか分からん」
「じゃあどうすんだよ!!」
ブレイドの怒声を受け流しながら私は術式を組む。
「倒すのも封じるのも我々にはできん。
だが、目をそらす程度のことならできる」
魔界の入り口に向かって、私は空いっぱいに【鏡面】の魔法を張る。
赤い魔界の空が覆い隠され、反射された人界の青い空が映る。
その逆も然りだ。
「アンゴルモア……
破壊衝動だけで生きるあんなバカ魔神を蘇らせるなど、それを上回るとてつもないバカのやることだ」
私は自ら滅びの道を突き進んだ同僚と故郷を想って嘆息した。
〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
7日後。
復活したアンゴルモアは世界の半分を綺麗に滅ぼし、長い眠りについた。
無傷だった人類の世界は、魔界の無くなった平和な世界で生きるために統治を始める。
シュリ・ユークリッドは自分の役目は終わったと言い残し、人々の前から姿を消した。
シュリに付き従った四英雄たちは武芸を極める旅に出る者、国を起す者、自身の研究に没頭する者、故郷に帰る者とそれぞれの道を進む。
超常の力を持った英雄たちの時代は過ぎ去り、力を持たない人間たちが生きることを許されたこの日が、人類史の最初の日となる。
お読みいただきありがとうございました。
この物語は拙作『ホムンクルスはROMらない〜異世界にいるホムンクルスがレス返ししてきた件〜』の世界で語り継がれる英雄譚の位置づけにあります。
拙作をお読みいただいている方には引っかかるキーワードがちょこちょこ出てきますが、単体の物語です。
感想等いただけると幸いです。