23 シカ肉と香草根菜のスープ
夕日が湖面を照らす。
調査船が沈没した湖畔から調査船に向けていくつかの岩が点々と伸びて桟橋のようになっている。
これは最初からこうなっていたのではなく、移動しやすいように墜落後に調査船の機械腕を使って岩を雑に配置したのである。
「どうぞ、我が貴婦人」
「一人で渡れる……ありがとう」
ウィルが恭しく手を差し出してくるので、それを握って岩を乗り越える。
一人で行ける……と思ったが、たしかに手を貸してもらえると安定するからこれでいいのか。
「アメノ、敷物を用意したよ」
「ありがとう」
岸辺にわたると、岩を積み上げた席が用意されていて、そこにウィルが毛布を敷いて座らせてくれた。
たしかに、岩に直接座るよりは快適だ。
……どうも、さっきの儀式をして以来、ウィルが何かと世話を焼いてくる。別に私一人でもできるちょっとしたことなのに。
先回りしてやってもらえると楽だ。
しかし、なんだろう。
背の高いウィルがニコニコとこうやって傅いてくれるのは。
なんか気分がいい。
サポートAIも何かとしてはくれるのだが、あれは日々のルーチンに沿って必要なことをやってる感じが強い。
でも、ウィルはどんなことに対してもさっと必要なことを終わらせてくれる。なんか嬉しい。
過去から科学者クローン、統合民主主義の一員として暮らしてきた私はこうやって特別扱いされるというのに慣れていないし、自分のことは自分でやるか自分で設定したAIにやらせるのが基本で……
「新しい感覚」
アメノはなんか特別な扱いをされる自分が特別な存在になったようで、自慢げにウィルがあつらえた椅子の上に腰かけた。
「なんか、あの二人。騎士が裸でフネから出てきてから、異常に親密じゃないですかねぇ?」
「傷の治療をして、フネで二人っきり……何もないはずが」
ジョセルとキラがそんな二人を見つめながら口々に何か言っている。
「何もないよ!?」
ウィルが二人に反論していた。
でも何か儀式をしていたじゃないか。
それは秘密にしておいてください? 理解した。
― ― ―
パチパチ…… 火のついた木切れの爆ぜる音が響く。
「もうそろそろいいかねぇ?」
ジョセルについてきた老人たちが鍋を囲んで、煮え具合を確認しているようだ。
肉の煮える良い匂いが辺りに立ち込めていた。
食事する人数が20人近くになったので、船から出した銀色のトレイでは足りず、木を削っただけのお椀もどんどんと回されていく。
「はぁ、また、あの灰色のナニカが出てくるかと思いましたよ……」
ジョセルが何か安心したように呟く。
「はい、アメノ」
ウィルがニコニコしながらスープを盛って、渡してくれる。これも自分でやらなくていいのか。なんか堕落してしまいそうだ。
などという思考が中断される。
良く煮えた肉の香りが鼻腔に広がる。いろいろと違う種類の植物の香りが混ざって、鼻の奥を刺激してくる。
つい、胸いっぱいに吸い込んで。
口の中が唾液でとろとろに溢れてきた。
はむっ。
我慢しきれずに一匙を口に運ぶ。
口の中にスープの滋味が広がる。
「んんっ」
塩コショウを基調とした味付けに肉からにじみ出た油が絡み合い、燻製の煙の香ばしさを付け合わせの植物のさっぱりした味わいがすっと喉奥にスープを通してしまう。
暖かいものが自分の身体の奥で広がっていく感覚にアメノは耐えきれずに身体を震わせた。
「はぁ……」
一つため息をつく。
だめだ、もっと食べたい。
とみると隣でウィルがニコニコしながら私を見つめている。
……ウィルは食べないの?
「食べるよ?」
と言いながら、私をじっと見ている。……何かおかしなことをしただろうか?
もう一口食べた。じっくり煮込んだ複雑な味のスープが舌を撫で、噛まなくても口の中でホクホクしたものが崩れ、熱が口内に直接伝わってくる。
「あふ、あふ……」
熱すぎる、でも熱すぎるのがいい……なんとか吐息で食物を冷ましていると、ジョセルの村で拾った男の子が話しかけてきた。
「お、姉ちゃん! それは俺が摘んできたカブだぜ! うめーだろ!」
ふむ。
スープをスプーンで攫うと、燻製肉だけでなく、いろんな色の植物が絡んでいた。
「それは私が摘んだタイム、バジル、セージ、ローズマリーだよー?」
もう一人の女の子が現れて、いくつもの植物の名前を挙げる。
混ざりあっていて、どれがどれか良く分からない。
独特の風味の葉っぱが。肉から染み出した油をしつこくさせず、さっぱりとした感覚に整えている。
別の植物を口に運ぶ。
「そっちはタマネギとセロリだぜー」
柔らかくもしゃくしゃくした歯ごたえ、噛む度に甘味がしみだしてくる。
でもやはり、肉が食べたい。スープからすくいあげた肉の塊に歯を立てる。
シカの燻製肉は細かく切って有って、良く煮込まれて噛み切りやすくなっていた。
一噛みすると肉から汁が溢れてくる。塩の効いた肉の味と燻製の香りが舌を包み、唾液ととろとろに混ざりあっていく。
味蕾をアミノ酸が刺激し、震えが背筋をつつと伝わっていく。
「あ……はぁ……」
体温が上がっていくのを感じる。
頬を赤らめて、スープの味を全身で受け止めていた。
「うまいだろーー」「ねー?」
子供たちが自慢げに私を囲んでおり、大人たちは何故か黙々と下を向いてスープを食べ続けていた。
こんなにおいしいからしょうがない。
― ― ―
ウィルは結局、私が食べ終わるまでニコニコとずっと見つめていて。
最後に調査船まで送ってくれた。
「気を付けて」
岩を渡る手を取ってくれる。ウィルの大きな手に包まれるのはいい感じ。
調査船のドアまで来ると、ウィルは恭しく頭を下げて告げる。
「では、アメノ。また明日」
ウィルの丁重な扱いを受けて、私はいい気分でベッドに向かった。
『あ、あんの発情オスぅ……』
ベッドに入ると、AIがウィルが森に行ったと報告してきた。
赤いリボンを震わせてぷりぷりと怒っている。
べつに森で散歩するぐらい何だというのだ。
『だってマスターの可憐な手を握った手であんな(禁則事項)!』
ぱくぱく……AIが発言できていないようだ。
ウィルが何かしているようだが、発言できていないということは大したことじゃない。
私は気持ちよく眠りについた。
◆ ◇ ◆
翌朝。
「ふぅ、朝日がまぶしいぜ……」
ウィルは晴れ晴れとした気分で、森の端から顔を出したばかりの第一陽を眺めていた。
もうアメノに誓いを立てたのだから、あの少女への思いは純愛である。
我が貴婦人への信仰活動に後ろめたいことは何もない。
身心ともにスッキリとした目覚めを迎え、ウィルは朝日に向かって生命のすばらしさを感謝していた。
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