一国一城の主になる。
翌朝目を覚ましたとき、自分のうかつさに背筋が寒くなった。大金を持っていると公言している旅人が、なんの警戒心もなく赤の他人と同じ部屋で眠ってしまったことに。
しかし、ベンユ爺さんはまだ高いびきで眠っており、心配は杞憂であったことに胸をなでおろす。
とりあえず4号室に旅の荷物を運びこみ、金貨25枚を棚の裏側に隠しておく。探せばすぐに見つかる場所だが、袋に入っている金貨11枚とは別にこれほどの金貨があるとは思わないだろうと思ったのだ。
食堂にもどり、ベンユ爺さんに声をかける。
「おはようございます、ベンユさん。朝ですよ、朝」
いびきが止まり、血走った眼でベンユ爺さんがキョロキョロとあたりを見まわす。こちらに目を向け、なにが起こっているのかを頭の中で懸命に考えているようであった。
「ベンユさん、昨日はお酒ごちそうさまでした。さっそく話の続きをしたいんですが」
「あー、あんたはー、騎士の従者のー、話の続き?」
「宿屋を買いたいという話の続きですよ」
「ちょっと待ってくれ、少し顔を洗ってくる」
酒のせいで全然覚えていないなどといわれるのではないかと心配したが、顔を洗って戻ってきたベンユ爺さんは頭を振りながらこういった。
「昨日は飲み過ぎた。心配せんでも覚えとるよ」
手にした水差しをテーブルに置き、二つ持った木のコップのうち一つをこちらに差しだす。
「まあ、水でも一杯どうだい。酔い覚めの水は値千金」
コップを受け取り、水差しから水をなみなみ注いで一気に飲み干す。確かにただの水だがうまい。
「店を売れ売れというが、あんたどうやって店の権利を買い取るか知ってるのか」
そういわれてみれば、どう手続きをするのかといった具体的な事柄については、まったく知らなかった。
「わしが売ったといって、あんたが金を払った後に、そんなこと知らんといわれたらどうするつもりだったんだ」
いつのまにか、あんたよばわりされていることはともかく、私はおのれの無知さについて恥じ入るばかりであった。そもそも、家のことは父や兄がすべておこなっていたこともあり、まったく知らなかったのだ。
「それは、なんとか、たぶん」
「正銀貨1枚」
「え?」
「正銀貨1枚でワシが指南してやるぞ。ほかにも色々、わからんことがあるんだろ? 料理に材料はどこで仕入れる。税は誰に払うか、わからないことすべて指南してやるぞ」
たしかに、手続きや法律のことでわからないことは多い。ベンユ爺さんは自分が不利になることであっても、正直に教えてくれた。信頼させたうえで、カモにして有り金全部巻き上げようとしている可能性もないわけではないが、そこまで金に執着しているようにもみえなかった。
「払いましょう。わからないことだらけなので、いろいろ教えてもらうことになりますがよろしくお願いします」
翌日は領主の代官所で手続き宿屋の譲渡手続き。その次の日は町の顔役へ付け届け。その次の次の日は腕のいい大工の親方を紹介してもらい、会談の修理と食堂の改造を依頼。その次の次の次の日は肉屋、野菜屋、雑貨屋へのあいさつ回り。その次の次の次の次の日は、鉱泉の湯元へあいさつにいく。その次の次の…。
ベンユ爺さんの指南が終わったのは十日後。報酬は正銀貨10枚。もともとヴィーネ金貨10枚の約束だったから、値引きさせたぶんをすべて支払うことになったが、支払った銀貨以上の価値はあったと思う。
二階へ上る階段の修繕が終わるのには、もうしばらく時間がかかりそうだが、ついに自分の城を手に入れたということへの感動は長く続かなかった。
そう、待てど暮らせど、私の赤銅亭に泊まるお客さんはあらわれなかったのだから。