取引成立。
案内された食堂はほこりっぽく、長いこと使われていなかった様子がうかがわれた。
かまどに火が入れられる音がし、しばらく待つと、ベンユさんが鉄の鍋と木の椀を手に食堂へ入ってきた。
「豆と地のものを炊いた料理だけど、こんなものでよければどうぞ」
赤いスープを椀によそって、木の匙とこちらへ差し出す。
豆がかなり煮崩れているので、いまあわてて作ったものではないことはわかった。昼食の残りか、夕食に食べようと思っていたものだろう。
口に含むと、少し塩気が強かったが疲れた体には心地よい味だった。
ベンユさんは、すぐに奥に姿を消し、こんどは籠に入ったパン、水差しと木のコップ、瓶に入った酒とおぼしきものをテーブルに並べた。
「酒はかなり強いですから、水で割って飲んでくださいよ。部屋を準備しますので、自由にやってください」
おなかが減っていたので夢中で食べる。瓶から酒をコップに注ぎ、ためしに一口含んでみるが、焼けつくような刺激に驚き、おとなしく水差しの水で薄めて飲んだ。
腹が膨れて人心地がついたころ、ベンユさんが戻ってくる。
「部屋は4号室をつかってください。部屋代は銅貨10枚、食事代はあとで清算させてもらいます」
礼を述べ、本題にはいる。
「ところで、この前ここに来た時の話を覚えていますか」
「ここを譲ってほしいというはなしですかな。あんな話をされたのは初めてだったので、よく覚えてますよ」
「じつは、主人から暇をもらいましたので」
「あー、あの騎士のかたですね」
騎士というのは、おそらくテシカンのことだろう。たしか以前叙任されたというような話をきいたことがあるが、やはり私は従者のように見えたのだろうか。
「長年の勤めに、慰労だとまとまったお金をいただき、こういう町でのんびり暮らそうと思ったのです」
老人は、面白そうに私の顔を見つめていった。
「こういうのもなんですが、あなたも変わったお人ですね。こんなひなびた町で宿屋なんて、まともに暮らしていくこともできませんよ。こんなジジイだから、霞を食って食いつないでますが、年に数人しかお客のこない宿屋を買い取っても生きていけませんよ」
わざわざ自分の不利になることを教えてくれるのには、なにか裏があるのだろうかとも思ったが、ふとあることに思いが至った。
「ひょっとして、この宿屋を売ると住むところがなくなってしまうとか、そういうことをご心配されて?」
「いやいや、息子夫婦がこの町に住んでおりますから、まとまった金を渡せばちゃんと養ってくれるでしょうよ。まあ暇にはなりますが、最近膝の調子が悪いのでぼちぼち潮時かとも思っとります」
「私も、それほど金を儲けようとは思っていませんよ。旅から旅の生活に疲れたので、ゆっくりしたいんです」
お互いに探るような言葉を交わすが、取引をやめるほどの問題はみつからなかった。
魔竜を探しているなどというと人々を驚かす可能性があるので、いつもモンスター調査の一行と名乗っていたことも幸いしたのかもしれない。命がけでモンスターを追いかけていたものが、安穏無事な生活を望むというのは理にかなっているようにも思える。
夜が更ける前に、赤銅亭を買い取る話はまとまった。