ドリュラト。
大声で怒鳴っている女の声がするほうに目を向けるが、そこには魔竜しかいなかった。
隣にいるビッデに、声がきこえるかどうかをききたかったが、私の口からはピーピーという音しかでない。
覚悟を決めた。
ビッデとテシカンには、大丈夫だからここで待っていてほしいというつもりで、手のひらでとどまるように合図し、魔竜の前に姿をさらす。
<そこの魔竜さん。ちょっといいですか>
他の4人には、ピーピーという音しかきこえないだろうが、私が話しかけたとたんに女の声ではなす罵倒は止まった。
<そこのチビ猿。お前は我のことばがわかるのか>
動きをとめた魔竜は、こちらを向いて私に話しかけてきた。その口が動かず、視線の端にみえるウゼも魔竜の声にまったく反応していないことから、魔竜のことばは普通の人間には音としてすらきこえていないことがわかった。
<わかります。だから落ち着いてください、魔竜さん。私たちは戦いに来たわけではないのです>
魔竜は、竜にそれが可能であるとすればだが、いぶかしげな眼でこちらを見つめた。
<魔竜とはなんだ。我にはドリュラトという名がある>
<魔竜というのは、私たちがあなたにつけた名前です。魔竜というのは……悪……いや、偉大な竜という意味です。偉大な竜であるドリュラト様にお願いがあって参りました>
竜ドリュラトは、チラリとウゼのほうに目をやった。
<お前ははじめてみる顔だが、あの鱗の猿は依然見たことがある。あの棒が我にどれほどの苦しみを与えたか。思い出すだけでも全身の血が煮えたぎる。ああ、この恨みはらさでおくべきか>
低くうなるドリュラトの気を引こうと、大きな声でピーピーと話しかける。
<あのもの達は大きな過ちを犯しました。魔……ドリュラト様の偉大さがわからなかったのです。私は違います。人間の代表として、ドリュラト様に償いをいたします>
償いということばに、魔竜は興味を示したようだった。ここがチャンスかもしれない。
<ドリュラト様は、なにを召し上がりますか。私は、その食べ物を用意することができます。それどころか、全世界から山海珍味を取りよせます>
<虫はあるか>
魔竜は、ぽつりといった。
<なぜか体が大きくなったので、我が食べる虫が足らん。昔はこんなことはなかったのに、山を歩き回って虫を探しても全然足りず、腹が減って腹が減ってたまらん>
竜って虫を食べるのか。まあ大きなトカゲと考えるなら、そういうこともあるだろう。虫で満足してもらえるなら、いくらでも用意できるはずだ。
<虫でよろしければ、いくらでも用意できます。羽虫に毛虫、甲虫にミミズ。なんでもこちらで準備いたします>
<それで我の見かえりはなんだ>
さすが魔竜だ、バカではない。すべての物事には、必ず支払があることをわかっているわけだ。ここからは、ことばを慎重に選ばないとまずい。
<ドリュラト様の力は、われわれ人間にとってあまりにも偉大すぎるのです。歩けば地が裂け、海が枯れはてます。人間の住む穢れた世界ではなく、この神聖なモンブルマ山で穏やかに暮らしていただければそれ以上のことは私たちは望みません>
魔竜の表情をうかがうが、異形のものの感情を読み取ることはできなかった。
ほんの少しのあいだ、互いの沈黙がつづいた。
初秋の山は野鳥のさえずりであふれ、やわらかな太陽の光があたりを照らしていた。
<お前は我が阿呆だと思っておるのか。地が裂け、海が枯れるだと。そんな力が我にないことは、己が一番わかっておる。力で滅ぼせないなら、物で懐柔とは猿知恵にもほどがある。よくはわからんが、我がこの山を下りることは、お前らにとってよほど都合が悪いようだな>
見透かされている。自分の顔から血の気が引いていくのがわかった。