命の代金。
「おお、本当に意識がもどったのか」
枯れ枝のような細い老人は、その体躯と比較すると驚くほど大きな声でいった。
「ベンユの頼みだから半信半疑で回復術を使ったが、正直なところ意識が戻るとは思っておらなんだ」
うるさい。
「わしらは傷は治せても、血をつくることはできん。体の血を取り戻すには何か月もかかるもんだが、その前に人は死んでしまうからな」
とにかくうるさい。
「これもヴィーネ神の加護に違いない。きっとヴィーネ様は、この男にその血を分け与えたのだ。この男、どんな善行を積んできたのやら」
ほんとうにうるさい。なんとか声の音量を下げてもらうようにしたいが、体が思うように動かない。
「テキン様、そろそろ回復術を」
ベンユ爺さんがそういうと、テキン様とやらは呪文のようなものを唱えはじめた。
しばらく呪文を唱えると、その両手から黄色い光が湧きでる。
神官のビッデが使っていたものなので、この後どうなるのかは知っている。
その両手で患部に触れるのだ。
当然左手に触れられると思っていたが、なぜか鳩尾あたりに両手が添えられた。
温かい力が体に流れこむ。
その心地よさに、目を閉じて身をゆだねる。
いつまでもそうしていたかったが、離れていく手を名残惜しそうに見つめることになった。
術の効果はてきめんで、はっきりと目が開くし右腕も動く。
左手にはまだ違和感があるが、動かないわけではない。
体をベッドから起こそうとするが、まだそこまでは回復していないようだった。
私の動きを察したベンユ爺さんが、背中を支えてくれたのでなんとか体を起こす。
「水をもらえませんか」
かすれた声でベンユ爺さんにお願いする。
ベンユ爺さんは水差しから水を木のコップにそそぎ、こちらに手渡してくれた。
自分の手でコップを手にし、水をゴクゴクと飲み干す。全然足りない。
コップ5杯の水を飲んで、ようやく人心地がついた。
「ありがとうございます、ベンユさん、テキンさん。いまこうして生きていることが奇跡だと思っています。本当にありがとう」
二人にお礼をいって、頭を下げる。
「ヴィーネ様は、自殺を禁じているのは知っておるな。なぜ自殺しようとしたのかは知らん。だが、ヴィーネ神の加護に感謝しなさい」
いかにも神官らしいことばに、黙って頭を下げる。ベンユ爺さんがテキンさんを表まで送り、部屋に戻ってくる。
「これはお前に一つ貸しだぞ。テキン様をよぶのもタダじゃない。正銀貨3枚返してもらう。お前さんの命の代金が金貨1枚くらいかな」
笑顔で話しかけてくるベンユ爺さんに、私は申し訳ない気持ちで答える。
「デキンさんに支払った正銀貨は払えると思います。でも、本当に申し訳ないのですが、命の代金はお支払いできません。お金がないんです」
「じゃあ正銀貨は支払ってもらおう」
ベンユ爺さんはにっこり笑う。
「命の代金は別に払わなくてもかまわん。金が欲しけりゃ、あんたをあのまま見捨ててた。死んだらこの宿屋をワシに返してくれるんだろ。ここにある金も荷物も、すべてワシのものになったんだ。金のことは気にするな」
たしかにベンユ爺さんのいうとおりだった。法律のくわしいことはわからないが、ベンユ爺さんならうまくやったはずだ。
「なにがあったか、はなしてみないか。こんなジジイでもいい知恵が浮かぶかもしれんぞ」
「その前に、水をもう一杯もらえませんか。それほど長い話ではありませんが、いくら水を飲んでも乾きがとれなくて」
そして、ベンユ爺さんにポツリポツリとシェスとの事をはなしはじめた。