表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/60

鉦の音。

 まぼろしか。


 みんな今頃なにをしているのだろうか。


 寒い。

 温かいお湯につかっているはずなのに、とても寒い。

 あの4人にバカにされるのは仕方ない。あの4人は英雄であり、私はただのオッサンなのだから。

 4人はきっと子どもの読む絵本の登場人物となり、たくさんの子どもの胸を躍らせる英雄になるだろう。

 百年たっても、二百年たっても忘れられずに人々の心に生き続けることだろう。

 私はいまここで死のうとしているが、ひと月後でさえ私のことを覚えている人間が何人いるだろうか。

 人はいずれ必ず死ぬ。

 だから死は受け入れることができる。

 しかし、自分がこの世界に存在したことを、誰も覚えていないことは悲しい。

 子どもでもいれば、父親が死んでもその記憶は残るだろうし、孫は優しいおじいさんを忘れはしないだろう。

 誰にも愛されず、誰からも忘れられる。

 死は恐れないが、忘却は恐ろしかった。


 浴槽はきれいな朱に染まっていた。

 そのときはじめて死にたくないと思った。

 早く血を止めないと、と思うが両腕がうまく動かない。

 寒い。

 まずは湯船をでなければ、と思うが膝に力が入らず、立ち上がることができない。

 ダメか。血が流れすぎだ。

 手遅れになってから後悔するとは、いままでの人生そのものだ。

 あー死にたくないなぁ。心の底から願う。

 その時、突然頭の右うしろで鐘の音がした。鐘というより、お祭りの時に鳴らす(しょう)のような甲高い音だ。

 チキチン、チキチン、チキチン。

 三度なって音は止まった。

 頭は浴槽の後ろ側に持たせかけているから、後ろは壁のはずだ。壁の向こうからきこえたにしては、音がはっきりしすぎていた。

 振り返りたかったが、体が思うように動かない。ふと自分の体をみると、また黄色い光が全身をおおっている。この光はなんなのかと考えるが、答えはみつからない。


 そのとき、鉱泉から食堂への出口の扉が突然開いた。

 「なんじゃこりゃ」

 湯気ではっきり見えないが、声はなじみのあるものだった。

 助けて、といいたかったが声が出ない。

 ベンユ爺さんが湯船に入り、私の右腕をつかんで湯船から引き上げようとしているが、重いのでなかなか動かない。

 そのとき私の意識は途切れた。


 気がつくとベッドに寝かされていた。

 部屋の家具からすると二階の自分の部屋ではなく、一階の宿泊客用の部屋のようだ。

 左手首には布が巻き付けられていたが、血はにじんでいない。

 どれくらい眠ったのだろうか。

 水が欲しい。

 のどが渇くのだから、生きてはいるのだろう。

 また意識が遠のいていった。


 扉の開く音で目がさめる。

 私の首が動くのをみて、ベンユ爺さんは驚きの表情をみせる。

 「おお、気がついたか。テキン様も回復術では血は戻せんから、意識が戻るかどうかはわからんといっておったが、よかったよかった」

 ベンユ爺さんの、打算のない笑顔がうれしい。

 声を出そうとしたが、唇が渇いていてうなることしかできなかった。

 「水を飲むか」

 枕もとの水差しから皿に水をそそぎ、頭をもちあげて私の口元にあてがう。

 皿からすするように水を飲み、目でもっと水を欲しいことをうったえる。

 「水くらい、いくらでも飲め」

 何度も皿に水がそそがれ、口とのあいだを往復する。

 「ありがとう」

 かすれた声で、ベンユ爺さんに礼をいい、気になっていたことをきいてみた。

 「何日」

 「何日。何日寝ていたかということか。今日で3日目になる」

 思っていたよりも眠っていた時間は短かったようだ。

 「ちょっと待っていろ。急いでテキン様をよんでくる。意識が戻ればもう一度回復術をかけるとおっしゃっていたからな。絶対に眠るんじゃないぞ」

 また意識が薄れそうになるが、さきほどの水が与えてくれた力でかろうじて踏みとどまる。

 どれくらい時間がたったのかわからなかったが、ドタドタという音とともに、ベンユ爺さんが枯れ枝のような老人をつれて部屋に入ったきた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ