決意。
重い足取りで家にむかう。
もうすべてのことが、どうでもよくなった。
贈物なんていうものがなければ、実家を離れることもなく、毎日同じことを死ぬまで繰り返す単調な生活がおくれただろう。広い世界を知っても、いいことはまるでなかった。
宿屋に戻ると、表の扉が少し開いていた。あわてて中に入って叫ぶ。
「シェス!」
しかし返事はない。
食堂に入ると、奥の鉱泉から鼻歌がきこえる。
ベンユ爺さんか。
シェスのわけはなかった。
しばらくすると、ベンユ爺さんが手拭いで体を拭きながらでてくる。
「なにか大きな声がしたが、なにかあったのか」
問いかけに、なにもなかったとこたえた。
「ここ数日、あんたの顔色が悪いがなにかあったのか」
「べつになにもありませんよ」
そっけなく答える。
ベンユ爺さんは、またなにかをいいたそうにしていたが、なにかを察したように口をとじた。ここでいろいろときかれると、怒りが爆発したかもしれないが、空気を読んで根掘り葉掘り質問しない気づかいに感謝する。
水差しから木のコップに水を注ぎ、ゴクリゴクリとうまそうに水を一杯飲むと、ベンユ爺さんはなにもいわずにでていった。
また一人だ。
二階の自分の部屋にもどり、暗くなってきたので灯りをつける。
財布と引き出しの中のお金を、すべてベットの上に出し、どれくらい残っているか調べる。
正銀貨15枚、鐚銭数枚。ヴィーネ金貨はなかった。
切り詰めれば、男一人で一年くらいは暮らせるだろう。
母親は、金のないのは首のないのと同じといっていたが、私の首は皮1枚でつながっているようなものだ。
食堂の売り上げは微々たるもので、宿を使う人はいない。このままだと、ジリジリと貧しくなるだけだ。
もういっそのこと死んでしまおうか。ふいに、死のことを考える。
私の贈物がなければ世界を滅ぼす魔竜が殺せないというなら、自分で死を選ぶということは世界を道連れにできるわけだ。
少しだけ心が軽くなる。
せめて、自分の最後くらい自分でどうするか決めたい。
首吊りはどうだろうか。息が苦しそうで辛そうだ。
川に飛び込むというのはどうか。泳ぐのは得意なので、絶対に溺れない自信がある。
ふと、何度も繰り返し読んでいた、子ども向けの「フェーウン物語」という本を思い出す。
主人公の敵役である伯爵が、悪事が露見して風呂につかって剃刀で手首を切るというシーンを。
眠るようにこと切れた伯爵を見つけた主人公が、悪人にはもったいない最後だといって遺体の瞼をとじる最後のシーンが好きで、同じ本を何度も何度も繰り返し読んでいた。
風呂の中で手首を切ると、眠るように死ぬことができるらしい。
決めた。
その夜はまんじりともせず、天井をながめてすごした。
2の鐘が鳴ると、いつもより早くスープの支度をはじめる。
かまどには、いつも以上の薪を入れガンガン燃やす。
鉱泉の入り口の横にあった丸い石を食堂に運び込み、汲み置きの水でさっとすすぐ。
50個ほどある石を運び上げるのは、なかなかの骨だった。
ベンユ爺さんいわく、この石を3時間ほど熱した後に鉱泉に入れれば、温度があがって風呂になるらしい。
洗ってまだ湿り気の残る石を、かまどの下の方に放り込む。
使ったことのないパン焼き用の窯に火を入れ、平らな部分に石を並べる。
そうしているあいだに3の鐘が鳴った。
石が温まるまで、時間はまだまだかかるはずだ。
いままでのお礼に、今日のお客さんには朝食を無料で食べてもらおう。
食材を残しておいてもしかたないことに気がつき、スープに猪肉を追加しようかと思ったが、いまからだと火が通らないかもしれないと考え直す。
宿屋も食材も、ベンユ爺さんに残していこう。
かまどと窯に火をくべているので、台所いると熱気で汗が止まらなかった。