生贄の山羊も逃げ出すのだ。
話はとんとん拍子に進んだ。
一年ほどの旅の中で、ヴィーネ神殿にとっても未知であった<支払>という贈物がどんな力であるのかわかるか、私がメキメキと急成長するようなことがあれば、また話は違ったのかもしれない。
ほんの数日で、ハリシルという近くの町を支配する大貴族であるレンユミネ伯のところに一時預けられることに決まった。
このままでは、みな、いずれ誰かが大ケガするか、私が死んでしまうと思っていたらしい。
今のところ役に立たない存在であっても、魔竜を倒すために私の<支払>という贈物が必要になる可能性がある限り、私を自由にするわけにはいかないことは誰にでもわかる。
ただ、4人が理解していなかったのは、今まで自分たちのいいなりであった40近いオッサンが、パーティーからだけでなくレンユミネとかいう伯爵からも逃げ出そうと考えているということだった。
もちろん4人には感謝している。
農家の次男坊として、けっして見ることのできなかった場所にいき、考えもしなかった食べ物を口にし、信じられないような人たちと出会うことができた。
ふつうの農家の次男は、あくまで長男の予備であり、長男が嫁をもらって子どもが生まれれば役目を全うとうする。
そのあとはタダでこき使える奴婢と同じ。
三男や四男ははじめから口減らしで、わずかながらの現金のために奉公にだされるから、才覚があれば伴侶を見つけ、それなりの人生を送ることができるぶんマシかもしれない。
次男であっても見た目がよいとか、頭が良いといった何か取り柄があれば婿にむかえられることもあるのだろうが、私にはそのどちらもなかった。
しかし、広い世界を知ったがゆえに、私は死にたくないと思うようになった。
そもそも<支払>という贈物の名前からして、私が魔竜退治の生贄にされることはまちがいないと思っていた。
戦いの役には立たず、魔法も使えない農民が、どうやって魔竜を倒すのだろうか。
きっと自分の命を<支払>して、魔竜を倒すとかそういうたぐいの贈物に違いない。
一年間の旅の中で、私はそれをますます確信するようになっていた。
世界が救われても、私が死んでしまえば意味がないのではないか。
世界のために命を投げ捨てるような英雄の魂は、ヴィーネ神とともに天国で永遠の幸福をえるというものもいる。
それが真実なら、私は喜んで命を捨てるだろう。
誰も天国があることを保証してくれないなら、少しでも長く生き延びたい。
好きなところにいき、好きなことをして、好きに生きてみたい。
「ロワ様、今日はこの宿場町に一泊します」
警護の兵士に声をかけられ、我にかえる。
ハリシルへ向かう馬車の乗客は私一人で、御者と兵士が御者台に、警護の二名が馬車の後ろから馬に乗ってついてきていた。警護するとともに、私が逃げ出さないように見張りも兼ねているのだろう。
私がいま、どのあたりを進んでいるのかわからないし、ハリシルまで何日かかるのかもきかされていない。
そもそもハリシルなんていう町の名前も、生まれて初めてきいたのだ。ハリシルという町が存在しているかどうかも怪しいと考えるのは、疑いすぎだろうか。
だが、そんなことはもうどうでもいい。ハリシルという町に着く前に必ず逃げ出してやる。
自分自身の人生を取り戻す。
このためにコツコツと準備してきたことは、誰にも気づかれていないはずだ。
生贄の山羊も、自分が殺されることがわかっていれば逃げ出すのだ。