返事は?
シェスが働きはじめてから、おおよそひと月たった。
あいかわらす、宿屋としての赤銅亭に泊まりに来る人はいない。
食堂には、鉱夫数人と、最近奥さんを亡くしたという代官所ではたらく役人が、毎日のように朝食をとりにくるようになった。その中でも代官所の役人は、シェスが目当てで通っているのではないかと思っている。
昼の営業に関しては、残念なことにほとんどお客さんが来ることはなかった。このあたりの人には昼食をしっかり食べる習慣がなく、朝と夕に食事をしっかり食べ、昼は軽いものをつまむ程度らしい。所変われば品変わるということだろう。
しかたないので、昼のほとんどの時間シェスにはお客さん用の部屋や、私の部屋の清掃をお願いしていた。
7つの鐘が鳴ると仕事は終わりで、料理の残り物でいっしょに食事をとる。最近では、シェスと食事をするためにつくっているようなものだ。お客さん用に用意した料理は、私にはとても塩辛いがパンと一緒に食べることでごまかしていたが、どんな料理でも、シェスと二人の食事ほどおいしいものはないと感じていた。
この時間が永遠に続けばいいのに、最近ではいつもそう考えるようになっていた。
シェスには子どもはいないし、母親も最近亡くなったときいていたから、二人の間を隔てる障壁はなにもないはずだ。
少なくとも嫌われてはいない、と思う。
好かれているという自信はないが、シェスを幸せにしてあげたいという気持ちはあった。
ベンユ爺さんは、彼女を旦那殺しといっていたが、私が死ななければみなの目も変わるはずだ。
たったひと月のことではあるが、私はまじめな堅気の男であることはわかってもらえたと思う。
宿屋にお客さんがこなくても、シェスを養って暮らしてくらいの蓄えはある。
魔術師のグデンヤが、口癖のようにいっていた言葉を思い出す。
「黙っていては愛も魔法も発動しない。ダメでもともとやってみろ」
魔術の師匠が口癖のようにいっていた言葉らしい。
ダメでもともと。しかしここでシェスに結婚を申し込んで、断られたらどうすればいいのか。
それまでと同じように、仕事を続けてもらうことができるのか。
絶対に無理だ。
しかし―――もしも―――ひょっとしたら―――。
いろいろな可能性が頭の中を駆けめぐる。
ここ数日、シェスのことで頭がいっぱいになっている。
そこまで深く考えなくても、冗談ぽく軽い感じで「結婚しない?」みたいにいってみるのも、いいかもしれない。冗談と思って笑い飛ばされるかもしれないが、それはそれでかまわない。
悶々として、なかなか寝つけず翌朝をむかえることになった。
いつものようにシェスが仕事にくる。
「おはようございます、ロワさん。今日は家の近くに珍しい香草を見つけて、摘んできたんですよ。スープに入れるとスーっとしてさっぱりした味になるんです」
おはようと返事をかえすが、シェスは私の顔をじっと見つめていた。
「ロワさん、どうしたんですか。目の下にすごいクマができてますよ」
少し心配そうな顔で、うつむきがちの私の顔をしたからのぞきこんでくる。
その可愛さ、愛おしさ―――寝不足で私は、正常な判断力を失っていたのかもしれない。絞り出すような声でいった。
「シェスティンさん、私と結婚してもらえませんか。絶対に幸せにします。あなたのことが好きで好きでどうしようもありません。ごめんなさい」
シェスは一瞬驚いたような顔をして、すぐに目を伏せた。
沈黙があたりを支配する。シェスがゴクリと唾を飲みこむ音がはっきりときこえる。
意を決するように、シェスがいった。
「ありがとうございます。でも、3日間返事は待ってもらえませんか。少し考えたいんです」
「もちろんです。しっかり考えて返事をください。もし断っても、あなたさえよければ仕事は続けてもらってもかまいません」
シェスはうなずき、その日も次の日も、私が結婚を申し込んだことなどおくびにも出さずに働いた。
3日目の朝、3の鐘が鳴ってもシェスは姿を見せなかった。
4の鐘、5の鐘、6の鐘が鳴ってもシェスはこなかった。