竜殺し。
「なんでも、あのオッサン逃げ出したらしいぜ」
魔法の杖を磨きながら、クデンヤがぽつりとつぶやく。
さきほど立ち寄った町の代官所で、手紙のようなものを受け取っていたので、その中にオッサン逃亡のニュースがあったのだろう。
「たしかに世界を救うということには、考えられないほどの重圧があるでしょう。しかし、ヴィーネ神が与えたもうた試練から逃げ出すことは、神への冒涜に等しいとは思いませんか。テシカンさん」
「神官のあんたにはそう思えるんだろうけど、俺は自分の剣だけを信じるし、剣でならどんなことでも成し遂げられると思ってる」
「その剣の腕前も、ヴィーネ神が授けた<剣の達人>の賜物ではありませんか、テシカンさん。神の贈物がなければ、あなたといえども、その剣で竜を倒すことなんてできなかったのではありませんか」
横からウゼが口をはさむ。
「あの竜のとどめを刺したのは、私の魔化された槍では?」
「いや、とどめは確かに槍だったけど、ほとんどのダメージは俺が剣で与えたぞ」
4人は、数日前に火の竜を倒していた。それぞれが英雄級の実力を持ったこのパーティーは、ついに小型ではあるが大人の竜を仕留めるまでになっていた。オッサンという重荷から解き放たれ、4人は十全に自分たちの実力を発揮していたのだ。
「おいおいもめるなよ。お前たちは大活躍だったけど、今回出番のなかった俺の立場にもなってくれよ。ほとんどなにもできなかったから、恥ずかしくて竜殺しの称号を名のれないんだぜ」
テシカンは火の強力な魔法を使うが、今回は火の竜が相手であったため防御とサポートの魔法しか使っていなかったのだ。
「ちがいない」
テシカンとウゼが意図せず言葉を重ねた。
4人は大きな声で笑った。
外が薄明るくなると、自然に目が覚める。
畑仕事は日の出から日が沈むまでに限られるので、朝になると目が覚める習慣は身にしみついている。
寝起きの顔のまま、ランプに火を入れて明かりをつけ、食堂の奥にある鉱泉の脱衣場へ入る。
ランプを壁の掛け金にかけ、素早く服を脱いで鉱泉に飛び込む。
水が飛び散るが、誰にとがめられることもない。
この瞬間のために、この宿屋を買ったのだ。
チョロチョロと鉱泉の吹き出し口からぬるい湯が流れ出してくる。
この時期だと鉱泉の温度は外の気温より低いので、冷たさが心地よい。
鉱泉で顔を洗い、寝ぐせの髪の毛をなおす。
鉱泉は肌に心地よいが、鉄臭くてそのままだとベタベタするので、あらかじめ井戸水を満たしていた大きめのたらいから水をかぶる。手ぬぐいで体をぬぐい、あらためて服を着て食堂にもどる。
水差しから水を一杯木のコップにそそぎ、飲み干して食堂を見渡す。
自分の部屋すら持っていなかった私が、この宿屋の主人であることにあらためて感動する。
そして日常のはじまり。宿屋の入り口を開け放ち、前の道を箒で掃いてきれいにする。
さびれた町なので、ふだんから人通りも多くなく、それほど目立つゴミもない。
土ぼこりが飛ばないよう、打ち水をする。
これもベンユ爺さんに教わったことだ。
張り紙が通りから見えることを確認し、新たな出会いへの期待へ胸を躍らせる。
しかし、仕事希望の人物が現れたのは二日後のことだった。