求人募集。
「誰かを雇うと、払うもの払わなくちゃならんようになるから、あんまりおすすめはしないな」
ベンユ爺さんは食堂の椅子に腰かけ、手拭いを首にかけていった。
「わしがこの赤銅亭を30年もやってこられたのは、だれも雇わず、全部自分でやってきたからだぞ。まあ10年ほど前までばあさんがおったが、ばあさんには給金払わんでよかったからな。もっと前には人を雇っておったこともあったが、あのころはこの宿屋もそれは繁盛しておった」
遠くを見るような目で、賑やかなりし頃の赤銅亭を思い出しているベンユ爺さんは、すこしさみしげな顔をしていた。
「もめ事になるのはいやだから、酒は出さない。とりあえず試しにひと月だけ。それだったら大丈夫ですよね。誰か手伝ってくれそうな人に心当たりありませんか?」
「わしじゃダメか?」
「誰も手伝ってくれないのであれば、お頼みするかもしれませんが、いろいろな人とふれ合って町に馴染みたいのもあるんです」
「だったら表に張り紙をしておけばいい。このあたりは仕事がないから、メシ付きで月に銅貨30枚も払えば人が集まると思うぞ」
「張り紙ですか。その、実は、あの、字が不得手なもので張り紙を書くのをお願いできませんか」
もともと、ただの農家の次男であった私は文字が読めなかった。魔竜を滅ぼす旅に出る前、文字が読み書きできないと困るだろうと、はじめて教わったのだ。旅の途中も子供が読むような簡単な本を何冊か持ち歩き、難しい言葉こそわからないが、簡単な内容ならある程度は読めるようになった。しかし書く方はだめだ。金釘流の殴り書きでは、従業員にバカにされてしまう。
「ひょっとして、あんた読み書きができないのか」
ベンユ爺さんが真顔で尋ねる。
「いや、読む方はなんとか大丈夫なんですが、書くのが苦手で」
「ならよかった。売り上げ、支払いの帳簿をきちんとつけることこそ、どんな商売をやっていく上でも肝要だ。どんぶり勘定では、どんな店も長くは続かんぞ。よければ帳簿のつけかたも教えてやろうか」
自分の宿屋なのだから、どんぶり勘定でもいい気はするが、何事も勉強だと思いお願いすることにした。
「だったら張り紙とあわせて、正銀貨1枚な」
爺さんにいくらむしり取られるのかわからないが、いつも取られた金額以上のことを学べたことは確かだ。財布にしている小袋から正銀貨1枚を取り出し、手渡す。
ベンユ爺さんはニヤリと笑い、食堂を出てどこかから紙とペンとインク壺持ってきた。
食堂の椅子に座りなおすと、ペンをインク壺に浸し、さらさらと綺麗な文字で書き始める。
<急募 食堂手伝い 調理・配膳できる方 食事つき 給金月額銅貨30枚 詳しくは赤銅亭店主まで>
「一か月ほどでやめるかもしれないことは、書かなくてもいいですかね」
「そのことは後で話せばいいじゃろ。うまいこといって、イモの皮もむけないようなやつも来るだろうから、なにか試しにやらせてみてもいいぞ。あと、雇うかどうかはその場で決めず、ワシに相談してくれればどんな奴か教えてやれる」
亀の甲より年の劫。
私では思いもつかないようなことを、的確に指摘してくれる。正銀貨1枚なんて安いものだった。
今晩のうちに張り紙をしておいて、明日からどんな人が来るか楽しみに待つことにする。
人を雇うなんて初めてだし、新しい出会いがこの退屈な日々に刺激を与えてくれるかもしれないという興奮に、その日はなかなか寝つけなかった。