第九話 人間の街へ
フレアが国を作ると宣言して二十日もの時が過ぎた。
それは彼女がこの世界に来て凡そ一ヶ月。
現在の里の発展状況は著しいものではない。里の者は大半が子供と年寄りであり、まともに動ける者はジン太と泡影、そして怪我より復帰した赤星の三名のみ。
現在里はジンギ監督の下でジン太棟梁とその弟子赤星による建築ラッシュの真っ最中、そして食料調達係で泡影が日々奔走している。
里を纏める者として、里長にはそのまま長としての立場についてもらい、ジンギはその顧問だ。
で、そうなると残りは我らが魔王様となるわけだが、その魔王様は現在泡影の食料調達を手伝っていた。
「フレア様! ほら! 昨日仕掛けた罠に熊が掛かってました!これなら里の数日分の食料にはなりますよ!」
「でかした泡影! 私も大蛇を捕獲したぞ!」
「あ、フレア様……それ毒持ちです」
「えぇー……」
それが彼女達の此処数日やり取りである。
そして日も暮れ、二人掛かりで熊を即席で作った木のソリに乗せ、息も絶え絶えに引き摺って里に到着した頃、里に残って作業していた男達も作業を終えたばかりだった。
「ッス!フレア様と泡影おかりなさいっス!」
「おぉー、これはまた立派な熊じゃのう」
ドスドスとフレア様達に駆け寄るのはジン太とジンギ。赤星は病み上がりなのも影響しているのか、もう疲れて動けないと座り込み、まだ元気のあるジン太を化け物を見るような目で見ている。いくら魔人とはいえ万能というわけではない、との証明であった。
「今日も泡影には勝てなかったよ。流石この森で育っただけあるな」
そうして夕飯どき、里のみんなで中央の広場に集まり火を炊いて泡影が捌いた熊の肉を直火で焼いていく。
炎の側では仕事を通じて仲良くなったジン太の赤星が馬鹿をやり泡影叱られていて、ジンギと里長は二人して新たな渋茶を開発し、その飲み比べをしていてこれまた楽しそうに見える。
平和だ。とても平和だ。この時間はフレアに取っても楽しく、ミケを抱かせてくれと里の子供達に群がられては嬉しそうに笑っている。
こんな時間、こんな楽しい時間は向こうの世界にいた時は無かった……とは言わなくても、とても少なかったのは間違いない。
しかもフレア自身もそう、この場に人間は誰一人いない。種族不明のフレアに豚鬼族のジンギとジン太、影人の泡影達里の者、そして魔人赤星。人間で言えば人種の違いと言い換えれるかもしれないが、それでも違う人種、種族がこうも集まり目的を一つにして仲良く暮らしている。ここは夢のような世界だ。と。
が、当面の目標である国力の増加には全然手が届かない状況なのも変わらない。以前よりは家や衛生面など、生活水準は向上したとはいえ、未開の地に住む民族のレベルは超えてはいない。
少し贅沢……と言えるのかわからないが、それを感じるものが出来るのは今日泡影が仕留めた熊の毛皮だ。今は肉は干して保存食に、皮は冬を見越して防寒具にするべく取ってある。
「なあ泡影、冬って此処ではどうしてたんだ?」
「冬、ですか? あぁ、もうすぐ冬ですもんね。此処らは冬は雪が酷いんで狩りも命懸けですね」
どうやら食料事情は本格的に考えねばならないらしい。
しかし、此処にいる全員の農作の知識などあるはずもなく、家にしても雪の度合いにもよるが、この家が雪の重みに耐えられるとも思えない。
(そういった知識のある人材がどうしても必要だな)
顎に手を当て、いつも通りの考える姫様のポーズで思慮に耽る。この森でも探せば他に魔族など腐る程いるだろう。その中からそういった知識を持つ者を探すか?それとも……
やがて皆の一日の一番の楽しみである夕食が終わる。
フレアは彼女用に作られたこの里で一番立派な建物……と言っても仮設のレベルは抜け出ないが、少なくとも一番と言える建物の中にて横になっていた。
「で、どう思う?」
「やはり、国とするにはこのままでは足りないでしょうな」
「だよな……さて、どうするか」
現在彼女の部屋にはジンギがいる。横になった彼女の正面、ゴザを敷いたその上に胡座をかいて座っている。
二人が話しているのはこの国の行く末。今現在のレベルはまかり間違っても【国】とは呼ばず、このままやっていくのならそれは国作りごっこ、おままごとと大差はない。
「やっぱり、人材と道具、材料がいるよな」
「そうですな。フレア様の能力で皆が無事に冬が越えれるとは思いますが、それでは国力とはなりませぬ。ワシがもう少し若ければ人間の里を襲って何かしら奪っても来れましたがのう」
「……は? 人間の里?」
「おっと、すみませぬ。フレア様は元人間、人間には思い入れもおありかと。失礼をお許しください」
「違う! そうじゃない! 人間の里! そうだよ、何で思い付かなかったんだ私の馬鹿!」
ガバッと腹の上に乗せたミケを抱いてなら体を起こし、座り込むと頭をガシガシと強く掻く。
人間の里、彼女はその存在を完全に忘れていた。此処にやってきてから凡そ一ヶ月。彼女は魔族としか接点を持っていない。故にその存在を完全に、欠片も残さずに忘れていた。
「なあジンギ! 人間の住む街の事を私に教えろ!」
「え……いや、フレア様が望むのなら勿論お教えしますが……まさか、ですか?」
「まさか、だ」
ニヤリと笑うは緋色の里が守護者フレア。
◇◇◇
「てなわけで、行ってくる! 少しの間留守は任せたぞジンギ」
「はぁ……もうなにも言いませぬよ。お気を付けてくだされ」
「一応護衛として泡影も付いてるんだ。まあ大丈夫だろ」
「それが一番心配なのですじゃ……」
翌朝、フレアはミケを抱き泡影を引き連れて里を出た。心配するジンギ達に見送られ、簡単な食料などの荷物を背負い、先日ジンギ教わった道を行く。その背中を見送るはジンギを筆頭に里の者達全員だ。
「……で、ジンギ殿?」
「言うな、あれ程にやる気に満ちたフレア様はワシには止められんかったのよ」
それは里長とジンギの会話。
昨夜、ジンギがフレアに聞かれたのは人間の街の場所、文化、人種など様々な事。それを答えれる範囲で、知り得る範囲で答えたが、それが彼女を決心させたらしい。
その後に彼女は言ったのだ。
“よし、私が人間の街で色々必要そうな物を買い揃えて来よう! 亜人とかもいるのなら上手くいったら街づくりとかに携わった事のある人材もいるかもしれないしな!”
ジンギは本気で引き止めた。亜人も確かにいるが、大体の町では亜人は、人間ではないものは基本的に虐げられている。それを見たフレアが激怒して問題を起こす未来しか見えなかったから。
「まあまあ、取り敢えずフレア様を信じようぜ? 狩りはしばらく俺が担当するし、里の守りはジン太がいるからこっちは大丈夫だろうしな」
「ッス! オラがフレア様の留守を守るッス!」
里の唯一の男手コンビは気楽なものだ。特に赤星は人間の街、【帝国】に出向いた事があるのだからその危険は充分わかっているはずなのに、と、この里の管理を任されている二人の老人は溜め息を吐く。
人間の危険性は伝えた。人間はとても狡猾で恐ろしい、と。
「フレア様はお優しい……それが人間の街で仇とならねばよいが……」
ジンギはただ空を見上げ、自分達の心よりの主が無事に帰ってくる事を祈る。それしか出来なかった。
それから数時間、フレアと泡影の二人はもう少しで森を抜けるという所まで進んでいた。途中何度か魔物と遭遇したが、それらは泡影の手によりすぐに始末され、角や牙など人間の街で売れそうな物の採取も忘れない。
何せ金がないのだ。ジンギの説明では人間の街では直径で三センチくらいの金、銀、銅の三種類の材質からなる硬貨が使われているらしい。俗に言う金貨、銀貨、銅貨なのだろう。
その事により自分は本当にファンタジーの世界に生きているのだと実感した。今までが単純に森の中で文明を捨てた暮らしをしていたのもある。人間という存在を忘れる程なのだから相当だ。
それに魔物や魔族は基本人間の敵だが、中には人間には有効的な種族もいて、彼らは人里の中で生きているものもいる。ならば耳など特徴的な部位を隠せばフレアも泡影も人間に見えるだろうし、バレても暴れなければ問題はないだろう。そう思っていた。
故に二人は気楽に度を進めている。
「お、森を抜けたぞ。どうだ泡影、お前も森から出るのは初めてなんだろ?」
「はい……凄い広い……」
森を抜けた二人を待ち受けるのは広大な大地。何処までも続くと思われる草原に地面より生えているかのように顔を出す巨石、たまにぴょこんと生えている針葉樹に大きくうねりを上げている背の高い丘、雲の流れも此処からならよくわかる。
頬に当たる風は森の中で感じるものはまた違い、とても涼しげで二人の門出を後押しするかのよう。
「ンナァーォォゥ」
ミケも久々に森を出た事が嬉しいのか、鳴き声がいつもより間延びている。
「そうかそうか、お前も気持ちいいか」
フレアの喉元に嬉しそうに鳴き声をあげて顔を摺り寄せてくるミケに思わずフレアも破顔する。
「フレア様はミケ様の事が本当に大好きなんですね」
「ああ、ミケはまだ産まれて間もない頃に道端に捨てられていてな。私がそれを拾ってからずっと一緒なんだ。もう一年と半年くらいになるかな」
「へぇ……となると、フレア様がまだ人間だった頃ですか?」
「ん?あ、あぁ、そういえば私は元人間だったな」
己が人間であった事すらも忘れかける。それ程までにフレアは魔族として慣れ、里の者達を気に入っている事が伺える。
そんな彼女に向け、泡影は一つの質問をしようとしたが、言えなかった、聞けなかった。怖いから。
フレア様は人間に戻って元の世界に帰りたいですか? 、と。
きっとフレアは泡影に気を使って戻るとは言わないだろう。しかし、嘘を付くのが苦手そうでもあるので、きっとたどたどしく誤魔化す所までが想像出来る。
そんな事を考えて少しばかり暗くなってしまった。それを悟られないように無理に明るく振舞おうとする泡影を見て、思わず笑みが零れる。
そして一歩二歩、泡影の先を行って立ち止まる。
「泡影、安心しろ……とは言えんが、私も帰れるのなら帰りたいと思うし、逆にこれからもずっとお前達と一緒にいたいとも思う。だけどな、私は私が始めた事を放り出してまで帰りたいとは思わん。もう走り出したんだ。仮に帰るんだとしても、それはお前達と一緒にその道を走り切った後の話だよ」
クルリと振り返り、泡影に向けてとても優しそうに微笑む。
「私はお前を、お前達を決して裏切らない。それは約束するよ」
「ッッフレア様!!」
「んゲフゥッ!」
「フシャーッ!」
そこへ感極まった泡影の号泣高速タックル。
予想以上の衝撃に乙女とは思えぬ声を出し、イキナリの事にビックリしたミケは毛を立てて避難、その際に顔を引っ掻かれフレアも普通に泣きたくなる。
そんなハプニングをも超えて一行は広大な草原を進む。
夜になればリュックから干し肉を出し食事をし、寝る時は交代で魔物の襲撃に備えた番を。川を見つけては年頃の娘らしく水浴びも兼ねてはしゃいだ。
そうして五日目、ようやく彼女達は辿り着いた。
「見ろ泡影! 城壁だ! 人間の街だ!」
「やっと着きましたね! やりましたねフレア様!」
彼女達の目の前に広がる左右に伸びた石の壁、何処までも続くかのように広く高くそびえ立つそれは古くからの歴史を感じさせ、人間の強さをも象徴してみせた。
そんな何処までも続くかのように見える壁、一箇所だけやけに大きくやけに豪華な造りをしている部位がある。そのには人間か亜人かはわからぬが数名の人の列。
「おお、検問所か、あそこから中に入るって事だな」
しっかりとミケを抱き直し、ズンズンと速いペースで検問所へと向かうフレア。しかし……
「ん? どうした泡影」
泡影が立ち止まってしまったのだ。
「あの……フレア様?」
まるで何かに怯えているように。
「あー……なるほどな。街の中に入るまでお前は私の影に隠れているといい」
「うぅ、私は護衛なのに……すみません……」
「気にするな。知らない種族の街に行くんだ。怖くって当然だ」
そうして泡影は己の、影人特有の能力である【影潜り】でフレアの影の中に、水の中に沈んでいくかのように消えていく。これはとても便利な能力だと思うも、影が無くては使えない。故に昼間しか使えないのと、影の中にいる状態のまま影の出来ない状態になるとその間は出てこれなくなるのが欠点だ。
「さて、それじゃあ行くか」
そうしてフレアは歩き出す。元が人間とはいえ何もわからぬ未知の世界へと。




