第六話 影人の里の戦い 其之三
「おこ? 怒ってるって事かな?」
「そんなもんじゃない。激おこだ」
フゥ、フゥと興奮気味に息を吐き、肩を上下させるフレア。吐き出される息は怒りの象徴とでも言うべきか、あまりの高熱に大気が歪み、全身からはこれでも抑えているんだと言わんばかりの炎がチラチラと漏れ出ている。
あまりの怒気に泡影達は声も出ない。ピクリとも動く事が出来ない。が、その中でもフレアに相対する一人の男、赤星は飄々と、なにも問題はないとばかりにフレアへと向けて歩を進める。
赤星はフレアに興味があった。赤星はずっと影人達を監視していた。いつ襲撃するか様子を伺っていたのだ。泡影がフレアと森の中で遭遇した時も様子を見ていた。
そして自分達は森の民の番人だからと無駄にプライドの高い影人達がたった一人の小娘に従うと言い出した。
どう見ても俺の方が強い。そんな小娘で俺に対抗出来るはずがない。何かがあるのか? 確かめてみよう。
それがこのタイミングの良過ぎるにも襲撃の真相だ。
「ふむ、確かに可愛い顔はしているが、目付きが悪いな。それに……君、生まれたて?魔力がなんか真新しすぎない?」
堂々と、それでも警戒は緩めずにフレアの眼前に立ちその頬に触れる。キメが細かく餅のように柔らかい。そのまま顎に手を掛けてクイっと上を向かせる。
フレアの全身から漏れ出る炎に焼かれてはいるが、この程度は問題ないと無視している。
そんな事より気になる事がいくつかあるのだ。
まずはフレアの眼、赤眼の種族は見た事がない。そして魔力の質、かなり高純度のとても質の良い魔力……まるで産まれて間もないかのような純粋で何ものにも染まっていない美しい紅い力。と、極め付けがその態度……カリスマとでも言おうか。魔族など魔に属する者は基本強者に絶対服従なのだ。なのに、肌で此方の強さを感じているであろうにこの少女は一向に態度を崩さない。
本当に自分の方が強いとでも思っているのだろうか、確かに産まれたばかりでまだ弱くとも、種族によっては化ける可能性が大いにある。……が、この目の前の少女の種族がわからない。
耳から察するにエルフ系かとも思うが、エルフにしては魔力量が少ない。エルフは基本的に莫大な魔力を有して産まれる。ならばドワーフ……ではないな。ドワーフだとしたら細過ぎる。ではなんだ?特殊派生生物か?疑問は尽きない。
と、されるがままのフレアの愚痴を開かせて中を覗き込み、虫歯がないのを確認した後はペタペタと全身を触りだし、ついにスカートをめくろうとしたところでフレアの怒りが爆発。
「八万回死ねっ!」
スカートの泡影に切りされた部位をひらりと持ち上げたところで赤星の顔面へと目掛けて膝蹴り。紛れもなく本気の一撃だ。まだ誰にも何にも試していないが、今の身体能力なら岩をも砕く自信があるフレアの膝蹴り。
「おいおい、じゃじゃ馬はモテないぞ?」
しかし、それをパシッと小気味の良い音を立てて左の手の平にて受け止める。こんなものでは俺には通用しないぜ、とでも言いたかったなだろうが、次の瞬間彼の目に映るものは鮮やかにしなる黒いストッキングを履いた足。
「ぬがぃっ!」
それは強烈な跳び蹴り。右膝を抑えられた瞬間に跳躍、残る左脚を強くしならせて一撃を加えたのだ。
「おい変態、覚えてろ。女の身体をベタベタ触るような奴は問答無用で全身の骨をバキバキに折る。今私が決めた法律だ」
いててと蹴られた側頭部を抑えて蹲る赤星、その前に拳の骨を鳴らしながら立つフレア。
赤星は遊んでいるように見えるも、それでもこれまでの襲撃で赤星に触れる事が出来たものは皆無。赤星は強いのだ。【魔人】と呼ばれる程に。その赤星に一撃を加えた、その事実に泡影達、そしてジンギ達が避難を完了させた他の影人達は目を丸くしている。
天誅。その次の瞬間、素早く一歩踏み込みフレアは拳を振り上げる。
「悪い子にはゲンコツが相場だよな?」
冷たくも怒りに満ちた眼で鋭く赤星へと。しかし、そこはさすが魔人。まるで目の前から消えたのかと錯角する程のスピードでフレアの背後へと回り込む。が、それを読んでいたのか打ち下ろしの勢いと速度を利用した上体を捻ってのフレアの裏拳。
「おお、早い早い」
フレアの裏拳が空を切る。蹴りが突きが、その全てが赤星に届かない。次第に焦りの色がフレアの顔に浮かんでくる。フレア自身も赤星と相対した時に分が悪いとは感じていた。しかし此処までとは思わなかった。まさに手も足も出ない、そんな状態なのだ。
やがて遊ぶのにも飽きたのか、赤星はフレアの細腕を掴んで己の腕の中へと抱き寄せる。
「いいね君。伸び代がある。此処で殺すのは勿体無いし、俺の部下になってよ」
そして調略、彼女の才能に目を付けたのだ。この女は強くなる、と。
「師匠、アイツ殺していいっスか?」
「落ち着けぃ、フレア様があんなならず者に従うはずがなかろう」
「でも、なんか腹立つっス」
「それはワシも同じじゃい。フレア様を信じて黙って見ておれ」
そんな会話が耳に入ってくる。あの鬼共はなんの保証も無しにただただ一方的に此方を信じてくる。非常にウザったい程に。
まだ知り合ってたったの三日だと言うのに。
フレアの表情から怒りが消えた。笑みさえ浮かんでいるように見える。
完全に抵抗を辞め、腕をタランと降ろした姿に泡影達は焦りを、赤星は堕ちたかと。
「諦めたかい?そう、強者に付き従うのが我らの生きる唯一の術、これから俺が教えてや______」
飴と鞭の考えなのだろう。優しい言葉を口にしてフレアの頭をポンと撫でる。撫でたところで異変に気が付いた。否、異変が起こった。
暑いのだ。尋常じゃなく。急に周囲の温度が上がったのだ。体感的にはもう七十度を超えている。
「………何をした?」
全身から汗が吹き出る。暑さではなく冷たいものを感じ、己の中で警鐘が鳴り響く。
「何をした? 違うな。今からするんだよ」
瞬間、赤星はフレアを投げた。遠く、十数メートル先の崖に叩き付けて殺そうと。
「ほら見てみい、フレア様があんな若造の下につくなど有りえんわ」
「っス! 流石フレア様っス!」
二匹の鬼は全く焦っていない。何故なら彼らの崇める巫女姫は魔族としての生を受けてまだ三日だが、それ以前に魔王になるべくして生を受けたのだから。
その二匹が見ている先で、フレアは空中でクルリを身を翻し、崖にぶつかることもなく綺麗に着地、乱れたスカートの裾を直してから赤星に向き直った。
先程までのように怒りに満ちた眼ではない。頭より流れる血も止まっている。
「……お前は、何者なんだ?」
そして遂に赤星が疑問を口にした。
「何者か、だと? ふん、いいだろう。教えてやる」
手の平より炎を生み出し体の周囲に漂わせ、妖しく光る紅い瞳を更に紅く輝かせ、快活な笑みを浮かべて彼女は言い放つ。
「私はフレア、フレア・イールシュタイン。魔王としてこの世に生を受けた炎の申し子だ」
腕を振り、ポーズを決め、内心決まったと絶賛する。これで背後で爆発でもあれば完璧だったであろう。だが残念ながらフレアは指定空間を爆発させるような技術は持っていない。
が、それでも赤星には効果的だったようだ。
「魔王……だと……? まさか本当に【魔王種】だとでも言うのか?】
【魔王種】、世界の理を超えた先に生まれる魔族の頂点。魔を統べる王となるべく力を持つ究極の存在。
魔王種自体は今でも存在する。しかし、その数は極端に少なくここ百年は新たに生まれたとの情報すらない。
それが、そんな最高とも言える存在が目の前にいる。
殺さねばならない。まだ疑わしいが、本当に魔王種だとするならば今殺さねば後々手が付けられなくなる。
今ならまだ殺せる。
赤星は大地を蹴った。その加速は影人としての性能を遥かに超え、魔人としての高みにあるには十分な程に。だが、
「遅いっ!」
距離が後二メートルとまで迫ったところでフレアの灼熱吐息。その温度は優に千度を超える大火炎。
「クッソォ!」
「甘いんだよ」
ダンと地面を踏み、影を延ばして来るもフレアの身に纏う炎は影を打ち消し、焼き尽くす。
赤星は影人、なれば影人特有能力【影潜り】も出来るのだが、それは炎に対して相性が悪過ぎる。下手をすれば今延ばした影と同じように焼き尽くされて消滅してしまう。
能力は使えない。能力値的に勝っているであろう体術を使おうにも炎が強過ぎて近寄れない。
いつの間にか赤星の背後にも火が回り、そこはフレアと赤星だけの二人切りの空間。
「ロマンティック……とは言い難いが悪くないシチュエーションだろ?」
「ほんっとだよ。これで相手がお子ちゃまじゃなければよかったんだが」
「ケンカ売ってんのか?」
「売ったからこうなってんだろ?てかさ、俺の部下になれなんてもう言わない。俺の女になってくれよ」
「お子ちゃまって言っといてなんだよそれ」
「いや、アンタ胸が無いだけで、顔は好み……いや、そんな顔するな、さっき触ったのである程度はあるってわかったから」
「ぶち殺す!」
戦況は互角。いや、フレアが少し有利だろうか。
基本フレアの攻撃は当たらない。赤星の身のこなしのレベルが高過ぎるのだ。しかし、赤星もフレアの炎が妨げになり上手く攻撃出来ないでいる。それだけなら互角だが、種族的に炎に弱いと言う弱点があるようで、直撃はしていないもののダメージは受けている。
このまま戦闘が続けばフレアの勝利で終わるだろう。
このまま戦闘が続けば、だが。
「ふう、おい、赤星、タイム」
「……は?」
突然のフレアの言葉にピタリと、拳をフレアの眼前にて止める。
己が不利であったのは赤星も理解している。このまま続けたら俺に勝てるのに何故なのかと。
「……何のつもりだ?」
「いやな、このまま続けば私が勝つだろ?それはいいとしてお前に聞きたい事があるんだ。どうせ他の奴らには聞かれたくないことだろうし、今聞いとこうと思ってな」
どうやらフレアも気付いていたらしい。この勝負の行方に。
「今なら私の炎が邪魔して他の奴らには聞かれないだろうし、私は無理にでも聞き出すつもりだ。だから諦めて話した方がいいぞ」
二人を囲む炎の勢いが増す。フレアなりの多少の気遣いなのだろうか。
「んで、聞きたいのはたった一つ。お前を狂わせたのは何処のどいつだ?」
「……は、な、……なんで、アンタ……」
「んなもん簡単だ。お前はこの里の人間を多数殺してきたようだが、お前が助けたかった泡影は生きている。他の殺された奴らと同じで番人として生きてるんだ。泡影だけを生かす理由がない。で、さっきお前が此処を襲撃してきた時になんかしたろ?爆発音してたし。でもお前はそんな攻撃一切してきてないし、そもそも火に弱いのに爆発系の技なんか使わんだろ」
淡々と己が推理を披露するフレア。気分は名探偵だ。
「つまりだな、お前は何者かにいいように操られてんだよ。そもそもお前もこんな事したくないんだろ?泡影に薬を届けるくらいなんだし」
「………………」
何も言わぬ赤星。ハァと小さく息を吐き、腰に手を当てて呆れたような表情を浮かべてフレアはさらに続ける。
「怖がるな。お前が逆らえないような存在なんだ。強い奴だってのはわかる。だけどな、それなら簡単じゃないか。お前も私が守ってやるから安心しろ。な? 帰って来い、赤星」
そこまで言ったところで赤星が顔を上げる。その顔は先程までの自信に満ち溢れたようなものではなく、なんとも情けない親に縋る子供のそれとなんら変わらぬもの。
そんな赤星の元へ、フレアは笑顔を浮かべてその頭を撫でてやる。
「俺は……里を、泡影を裏切ったんだぞ」
「だからなんだ?」
「何人も殺した。今日だって皆殺しにするつもりで」
「でも出来なかったな」
「俺は……俺は……」
「許されたい、か?」
「……俺は、許されない」
「関係ない。私が許してやるよ」
「………………」
「罪は償えるんだ。だから私が許す。今度はその力でお前が泡影を守るんだよ。不安だろうが大丈夫だ。私がいるんだからな」
気が付けば赤星は泣いていた。顔をクシャクシャに歪ませて、幼い子供のようにただただ泣いていた。
これで戦いは終わった。後は炎を解除して赤星が落ち着いてから話を聞けばいい。いかに確執があろうと、それは時間に解決してもらうしかないし、解決出来るだろう。
「俺は……許されるのか……?」
「何度も言わせんな馬鹿。私が許すんだよ」
泣きじゃくる赤星、その頭をそっと抱き寄せて小さな子供をあやすかのように慰めるフレア。炎を出していて、誰にも見られていなくてよかったと心の底から思う。
終わった。これでフレアにとって初めての命を賭けた格上との戦闘は終わりを_____
「___ッッ!?」
瞬間、フレアは赤星に押し倒された。正直理解がまだ追い付いていない。
「おい、赤星。甘えてくるのはいいが、年頃の女を組み伏す奴が……赤星? 赤星ッッ!!」
貞操の危機かと思った。しかし違った。己に覆い被さる赤星がピクリとも動かないから。
その赤星の背中に手を回すと、そのにはベッタリと赤い血が付いていた。
「おい……赤星ッッ! 赤星ィィイイイイイッッ!!」
いや、うん、やっぱり展開早い?




