第四十二話 緋色の国フィリア
ドールスタン・ダムステリア王。
彼は義に厚く人の痛みを理解出来る男である。彼が国王となってから国は栄えた。商業は活性化し、工業もその技術を他国に輸出出来るほど。治安はフレアの基準で考えれば決していいとは言えないが、それでも他国と比べれば相当に良いものと言えるだろう。
彼が在位したのは今よりも二十と七年前。前王の崩御と同時に即位したのだ。
ドールスタン王は元々が優秀な男である。算学に長け外交術も一流、武芸にも秀で、溢れ出る圧倒的なカリスマ性。まさに王としての器、なるべくして王となった男である。
城塞都市国家ダムド史上最高の王。
その王は今、一人の赤毛の少女に向けて深々と頭を下げている。
場所はこの国この城における王権の象徴、金をふんだんに使用した豪華な玉座、この国にて国王のみが座る事の許されたそれがある王の間。
他には誰もいない。いるのはドールスタン王と、黄金の髪の少女と赤毛の魔族の三人だ。
「さて、ドールスタン王よ。今回の事件、落とし前はどう付ける?」
燃えるような真っ赤な瞳で赤毛の少女はこちらに向けて頭を下げてくる男、ドールスタン王にそう声を掛けた。
今回の事件とはもちろん魔物襲撃の事……ではなく、ドールスタン王の臣下であったグラン・エスカトリーナの暴走からのこの赤毛の少女、フレアに無実の罪を着せて暴行を加え、幽閉した事に対してである。
さらに言えばフレアは本来はカケラも関係もないハズの、助ける義理などあるはずもないこの国を魔物の襲撃……第六魔王と名乗る者の手から守った。
魔物が人間を魔王の手から守ったのだ。
もうこの時点でこの国におけるフレアの扱い、それは一介の魔族でも魔物の群れを治める魔族のリーダーでもない。
国を守ったという事でそれは聖騎士アーサーとも並ぶ英雄の位置だ。
例え魔物であろうがその英雄を無下に扱えるわけもなく、そんな事をすれば国内の亜人種など、魔物に属する者達からの反発が恐ろしい事になるだろう。
認めねばならないのだ。出なければ、今度はこの目の前の赤毛の少女が次の魔王となりてこの国を滅ぼすのだろう、と。
と、此処までの筋書きはフレアの計算通り。計算通りだが、これが目的ではない。目的はもう一つ上にある。
「私からの要求、求めるのは私の治める町を国と認め、正式にこのダムドと国交を結ぶ。対等の条件で、だ。そしてベルモートは私が貰う。大使……という役割でな」
それは全て彼女の最初の、そして最大の目的である国造りだ。
まだ世界のあらゆる国々に認められるというわけではないが、その足掛かりとして緋色の町を国として認めてくれる国家が必要なのだ。
そしてベルモート王子にはダムドと緋色の町との間の友好の架け橋として大使として役に立って貰おうと。
この要求をドールスタン王は断る事は出来ない。何故なら王子であるベルモートは目の前の赤毛の少女に心惹かれているから。何故なら魔王と戦い、そしてそれを退けた勢力を敵に回すなど愚策でしかない。
「異論はないな? 賢王よ」
「異論など……有りますまい。魔国の王よ」
こうしてこの日よりフレアは王と、彼女の治める町は国となった。
緋色の町は【緋色の国 フィリア】となった。国名を決める段階でフレアからいくつも案が出たが、そのどれもがセンスが悪いとジンギ達より反対され、最終的に泡影が提案したフィリアで落ち着いたのだ。名の由来はもちろんフレアのその名である。
こうして城塞都市国家ダムドによる緋色の国フィリアをこの草原地帯の国々の一つとして認めるという宣言は数日のうちに各国へと知れ渡った。
もちろん各国からは非難の嵐である。『魔物の国など何事か』と。
主に騎士王国サザンドラからの声が多く大きかったが城塞都市国家ダムドはそれを無視、緋色の国フィリアは城塞都市国家ダムドを危機より救ってくれた英雄の国だと、ダムドはフィリアを全面的に支援すると声高らかに声明を出した。
この草原地帯、大草原に隣接する国は城塞都市国家ダムド、騎士王国サザンドラ、自由貿易国ハーメリア、聖・皇帝国の四つと、草原地帯にある鬼の住む森を中心に広大な支配地域を持つ緋色の国フィリアとなった。
各国に住む魔物や亜人達は己と同じ存在、種族である者……魔族が国を起こしたと聞き安住の地を求めて緋色の国フィリアへの移住を希望した。
その数は決して少なくはなく、百や二百ではない。様々な種族の魔物、魔族達、その数は実に二千。二千名、二千体もの魔物達が緋色の国フィリアに移住を申し出たのだ。
彼らにしてみれば緋色の国フィリアは、爆炎の巫女姫フレア・イールシュタインは希望の星。
人間の国にて虐げられずとも決して良い扱いは受けていない。しかし、魔族の統治する魔物の国ならば、そこならば……ッ! と、皆が期待に胸を膨らませているのだ。
しかし当然ながら、毎度の事ながらそんな事になるなど思ってもいなかったフレアは、フィリア側はそんな魔物達の受け入れ態勢は整ってはいない。
今現在ですら八百の住人の住処をどうにかしようと躍起になっている所なのだ。
「てなわけでベルモート、カトレア、頼んだぞ」
そこで役に立つのが大使として緋色の国フィリアに滞在する事となった城塞都市国家ダムドの王子ベルモート。彼と彼の補佐役としての任を与えられたカトレアが城塞都市国家ダムドからの食料と建築資材の輸入を取り仕切る。
予算は国の立ち上げ時にドールスタン王より祝い金として金貨をこれでもかと貰っているので余裕があり、また緋色の国フィリアからも特産品として茶や野生の魔獣の毛皮などが輸出され財政的には何も問題はない。
こうして元影人の里は緋色の里、緋色の町ときて遂に念願の国となった。
まだ国としての見た目、機能が伴っているわけでもなく、見た目は貧乏国でしかない。それでも支配地域は森を中心として草原地帯の大半にハーピー達の住む谷、森の反対側の荒地、水棲魔族の住む湖湿地帯等、近隣諸国と比べ帝国に次ぐ広大なものとなった。
「で、ジンギ、報告は?」
「はっ、現在それぞれの住居が千戸程、未だ個人での家持ちとなると数は間に合ってはおりませんが、姫の提案された集合住宅との形で家を持たぬ者達はそこで生活を共にしておりますじゃ」
「赤影、そっちは?」
「はっ、アルベルトを長にして警備隊三百名にはダムドより仕入れました装備が行き渡ったところでございます。訓練に関しても流石は蜥蜴人族、統率能力が高く本人もやり甲斐を感じているようです」
「ふむ、いい事だ。……で、メルシィ」
「はい。田畑の開墾も順調に進んでおります。此処はフレア様の炎の力の影響が強くこの時季でも作物を育てるのには何も困りごとはありません。春にはこの国の三分のニに行き渡る程度には規模を拡大出来るかと思われます」
「ふむ……やはり食料はまだ自分達だけで、と言うのは難しいか。……で、レオン」
「ん、あぁ、こっち工業部門はなんも変わりはない……です。魔獣は腐る程沸くし、毛皮や牙、骨の製品は大量発注でも来ない限り問題はないぜ……です」
「うむ、報告ご苦労。てなわけで解散だ。早く散れ。私を少しは休ませろ」
緋色の国フィリアが出来てから二ヶ月が過ぎている。
国としての体勢を整える為に現在元緋色の町幹部、現緋色の国フィリアの大臣達は今は忙しい毎日を送っている。
国土管理を任されているジンギ。
治安維持、国土防衛を任されている赤影。
農業全般、食料管理を任されているメルシィ。
工業全般を任されているレオン。
それら全ては最終的にフレアの元で管理され、何か問題があればそれは全てフレアが捌く事となる。他にも法整備、司法などは今はまだフレアが全てを決めるとなっており、彼女の元には毎日を大量の報告書が提出される。
そうして本日の案件を全て捌き、報告も終えて漸く自由な時間。まだうら若き赤毛の少女は深く息を吐いて以前と比べてかなり立派になった石造りの自宅、居眠り羊の毛を使って作られた自慢のベッドに倒れ込む。
ベッドに、沈み込むようにその身を布団に預け、大きく欠伸をしてから目を閉じる。この包まれている感覚が堪らなく好きだと、意識を奪われそうになりながらも目を開ける。
今日はまだ風呂に入っていない。一日の疲れは風呂にて癒す、これに尽きるとフレアはのそり起き上がる。
思えば此処までの道のりは決して楽なものではなかった。初めてこの世界に産み落とされ、右も左もわからない、そんな状況でも耐える事が出来たのは今現在彼女の脱いだ上着に包まって眠りについている三毛猫、今なお彼女の相棒であるミケだ。
「……ミケ、起きてるか?」
「……ナァーォ」
「寝てたか?」
「ンナゥ」
「そっかそっか、悪かったな。私は風呂に行くからベッド使ってていいぞ」
「ンナァーォ」
もそもそと起き上がり、余程眠いのかフラフラとベッドの近くまでやって来てからピョンと彼女の腹の上に。そしてそのまま小さく唸り、糸が切れたように眠りについた。
「……ってコラ、私の腹の上で寝るな。動かんだろうが」
呆れたような目で愛猫を摘み上げて枕元に放り投げる。雑な扱いだがこれがフレアとミケのいつものコミュニケーション。
そんな時だ。トントン、と誰かが扉をノックする。
チラリとずっと身に付けている腕時計に目を通すと時刻は夜の八時。
「……いいぞ、入れ」
こんな時間に誰が何の用なのか。こんな時間に来るのは一人しかいない。
「フレア様お疲れ様です! さあ一緒にお風呂に行きましょう!」
扉を開けると同時、満面の笑みと共に声をあげて部屋に入って来るのは全身黒の装束に腰の背面に短刀を装備した白髪の少女。
本人曰く誰よりもフレアを敬愛するフレアの護衛役である影人の泡影だ。
もう半ば日課となりつつある泡影からの風呂の誘い。魔物、魔族として元々風呂の概念が無く、体を洗う時は川で水浴びをしていたのだが、フレアに勧められて一度入ってから大ハマリ。フレアと一緒にいる時は必ず一緒に入ろうとして来る。
兄の赤星からは百合疑惑が持ちかけられており、フレアも最初はそれを下らん冗談だと笑い飛ばしていたが、最近は本気で泡影は百合なのかと考えている。
「フレア様ー、早く行きましょーよー、お湯が冷めちゃいますよー?」
「わかったわかった。すぐに行くから騒ぐな。近所迷惑だろ」
頭をポリポリと掻き、呆れたようなに溜め息を着いてから着替えを手に泡影へと向き直る。緋色の国フィリアには個人宅に風呂は無い。魔物には風呂の概念が無いから。あるのは一握りの魔族程度のものだろう。
故にこの国、この町には共同風呂という形で温泉がいくつかある。ジンギに相談して川から水路を引き、それを熱して湯にしているだけなので厳密には温泉ではないのだが、それでもフレア拘りの露天風呂が三つ、人口も増えたのでこれから先もう少し増やさなければと思っている。
と、一応屋外との事でその温泉の周囲は衝立と、それに掛けられた白い布で覗きを防止しているのだが、やはりそれでは心許ないのでしっかりとした温泉施設にしようと、フレアは自宅のすぐ隣にある温泉の衝立、入り口となっている白い布を捲って中に入ろうとした所で思い留まる。
「泡影……神崎博之は何処にいる?」
「大丈夫です。神崎様は今クレア様と剣術修行の真っ最中、今までのような事故はあり得ません」
「よし、それなら大丈夫だな」
過去に四回、フレアが今と同じように泡影と温泉に浸かりに来た時、何故かタイミングよく神崎博之がそこに現れるのだ。それも狙ってのことでは無く、完全なる偶然で。
一回目はフレアがいることに気付かずに、二回目は赤星に投げられて衝立の中に、三回目はフレアの飼い竜のパトリシアに追われて、そして四回目は昨日、赤影に酒を飲まされて酩酊状態で。
もう何度も泡影と共に裸を見られている。そしてその度に神崎博之はフレアに燃やされている。そろそろ学んで欲しいものだ。
「でもフレア様的には満更でもないんじゃないですか?」
「泡影……お前も燃やされたいのか?私が裸を見られて喜ぶタイプか?」
「でも……フレア様のお肌綺麗ですし、少し見せて迫れば一発ですよ」
「そこに直れ、燃やしてやるから」
こんな下らない会話でも楽しいと思える。今は毎日が忙しくこうした時間は少ししか作れない。だからこそこうして、可愛い臣下と共に戯れるのもいいだろうとフレアは泡影を無理矢理お湯の中に沈めながらそう思う。
「泡影……私は今、楽しいぞ」
「ガボッ、フレアさゴボ、ちょ、それ今ガバゥッ、ただの酷いセリブフッッ!」
それから数分後、クレアに追われた神崎博之がそこに慌てたように逃げ込んで来て顔を真っ赤にしたフレアに燃やされたのは言うまでもない事である。
ようやく国が出来ました! でも形としてはまだただの町みたいな感じですかね!




