第三十八話 真実の裏切り
それはとても鮮やかな手並みであった。
無駄な力を使わず相手の意識を最小限の攻撃で刈り取る。人体にはどうしても鍛えられない急所と言うものが存在する。カトレアが狙ったのはそう言った部位の一つであるコメカミや首元……頸動脈である。
そうした攻撃を駆使し、ほんの一瞬で数名の衛兵を沈めたカトレアは埃も何も付いていないであろう己の着ている緑色の武闘着の裾をパンパンと音を立てて払い、いつものように人懐っこい笑みを浮かべてフレアを見る。まるで褒めろとでも言っているかのようだ。
が、当のフレアは状況の把握が追い付いていない。
ここ数日だが己の世話役として付いていたメイドが実は強かった……そんな面白おかしい話なんぞあるものかと。
「ぇ……誰だ?」
故に出した答えがそれ。
何とも私の知人に似た者がいるものだと、目の前の武闘家に対し首を傾げている。
「嫌ですよお姫様。私は貴女付きの従者カトレア、そして貴女を助ける白馬の王子様ですよ」
「嘘付け。私の知るカトレアは乙女趣味全開でそんな実は〇〇でした〜みたいな展開になるような人物ではないし、そもそもその王子様とやらを助けに行く最中だ」
「ちょっ、乙女趣味って」
「くだらん会話は慎めカトレア、先を急ぐぞ」
「あれ? なんか扱い雑じゃありません?」
正直かなり助かった。今のフレア一人では群がる敵兵を薙ぎ倒して突き進む事は実質不可能であった。故に先程の一瞬での衛兵の制圧を見る限り、それなりの実力を持っているであろうカトレアの合流は大きな力となる。
しかし、この武闘家の日頃を知っているだけにフレアも簡単には素直になれず、ただ憎まれ口を叩くだけ。それでもカトレアも短い期間ではあるが、フレアがただの重度のツンデレだと理解しているのか優しく微笑む。
「ではまずはベルモート殿下を探しましょう。殿下は剣術はそれなりの腕を持っていますし、今後も役に立つかと思われますし」
「お前……仮にも相手は王子だぞ? その言い草は失礼なんじゃないか?」
「だって王位継承権を捨てて一人の人間としてお姫様について行くんですよね? なら別に立場は同等じゃないですか」
「いや、変わり身早過ぎだろ」
カトレア(ぶとうか)がなかまにくわわった。
「で、ベルモートの幽閉場所は?」
「彼は仮にもまだ王族ですからね。地下牢などはあり得ないでしょう」
「そもそも王族を閉じ込めるなんでそんな真似出来るはずないもんな。……と、なると」
「彼の部屋が私室が怪しいですね。陛下の居室の下階にある彼だけの部屋、そこに幽閉されているのでは?」
「幽閉……か、物騒だな」
「そうでもしなければこのような事態を巻き起こした張本人と思われているのです、王子という肩書きがなければ幽閉も何もなく殺されて終わりでしょうね」
「あーやだやだ、これだから人間は嫌いなんだ」
「私も人間ですよ?」
「お前は人間だが、私専属の従者だろう?」
「全く……ワガママなお姫様ですね」
「姫はワガママって相場が決まってんだよ」
二人は互いに軽口を叩きながら通路を走っている。目的は城の中央の謁見の間より繋がる王室区階への階段。ベルモートを助け出し、兵を鼓舞し、民衆を助けて混乱を治め黒幕と思われるグラン・エスカトリーナを倒す事。混乱が収まりフレアの冤罪も解ければそれを国外に公表、その話をクレアが聞き付けて緋色の町との戦争も避けられるだろう。
その為にもまずはベルモートの救出を最優先に。
もちろん道中幾人もの衛兵が彼女達の前に立ち塞がったが、そこはカトレアが一蹴。彼女が途轍もない達人という事がわかった。
繰り出される足技は泡影にも引けを取らず、ギルドランクで言えばBは固いといったところだ。
そして彼女達は遂に謁見の間へと辿り着く。
謁見の間への扉を守るはこの国にて王を守る為に組織された国王直属の近衛兵が二人。確かに他の兵と比べて強くはあったが、一体どこでどのように鍛えたのか、カトレアの方が強かった。
「さて、この奥には何人の兵隊がいるんだろうな」
「何人いようが私の敵ではありません」
カトレアの強さを目の当たりにしたからか、フレアにはなんの迷いも不安もない。と、言うよりカトレアに頼り切りでそろそろ立場が危うくなってきていると思っている程だ。
そんな事を考えつつ、フレアは扉に触れる。
重い。やはり有事の際に国王を守る為だからか、扉そのものが重く頑丈で、それ自体がまるで一つの城壁かのような。いくら押しても彼女の力手間はビクともしない。
「お姫様、その扉、引くんですよ?」
遂にフレアは謁見の間へと突入した。これから大掛かりな戦闘になるだろうと気を引き締めていたのだが、扉を開けて中に入るも誰の気配もしない。唯一するのは正面の玉座にて静かに、穏やかに、それでいて力強さを感じる一人の男が座っている。歳は見た目で五十代、玉座に座っているところを見るに______
「待っておったぞ、魔族の姫よ」
その男は、煌びやかな衣装、赤と金の刺繍を誂えた絹のローブを纏う一人の男は低くもよく通る声で彼女達を出迎えた。
部屋には男の他には誰もいない。そしてその男を見た瞬間、カトレアはすぐさまに跪いた。
「突然の、またこのような御無礼をお許し下さい、陛下」
頭を垂れ、視線もそのまま真っ直ぐに床に。そんなカトレアを見てフレアもようやく確信が持てた。
カトレアは目の前のこの男を陛下と呼んだ。そしてこの態度……
「そうか、お前がドールスタン王か」
腕を組み、小さな体で小さな胸を張りフレアはそう口にした。
そう、この目の前の男こそが彼女に求婚するベルモートの父親、この城塞都市国家ダムドの第六代国王ドールスタン・ダムステリアである。
「そう、余がドールスタン。この国の傀儡王である」
『傀儡王』、ドールスタンは自嘲の意味も込め己をそう呼んだ。そしてフレアもその言葉の意味は理解出来る。
恐らくこの国では王とはただの国の象徴でしかないのだろう。それが政府というものにより管理されているのか、それとも単純に王の権威を利用し、己にとって都合の良い国へと、次代の王が自分へとなるように仕向けたかったのか……恐らくは後者なのだろう。何故なら王はは王自身を神輿でもなく傀儡と呼んだのだから。
その言葉の意味するところはカトレアにも理解出来る。そして今回のこの一件で、王は恐らく王子ベルモートの責任を被せられて王座より退くのだろう。そしてその後釜がグラン・エスカトリーナ。その為に国民からの信の厚いベルモートを幽閉と言う形で、国民の前へと出れなくした。
自由を奪わなければ彼の姿を、きっと必死に国民を助けようと動くであろう彼を見て国民は王子は悪ではないと簡単に気付くだろう。
故に王子には事が終わるまで行方不明になってもらわねばならない。事が終わった後で処刑されなければならない。
そこまでがフレアの考える今回の物語。ただの想像でしかないが、きっと限りなく正解に近い想像だろうとフレアは考えている。
故に、そのグランの前提を崩す事が必要だ。
「なあ哀れな憐れな傀儡王よ、英雄王になりたくはないか?」
フレアはそう、とてもとても底意地の悪そうな、それでいて誰もが見惚れるようないやらしい笑みを浮かべた。
◇◇◇
「第三班から六班まで、街の西区画より魔物の掃討を開始しろ。一班と二班は引き続き民の救出を。九班から十二班、引き続き破壊された正面門の修復を急げ。七、八班は遊撃戦を展開、各班を援護しろ。残るは私と此処に待機だ」
現在街に侵入した魔物は次々と討伐されていっている。冒険者ギルドのハンター達も自分達の住む街だからと無償で手を貸してくれている。
総指揮を取るグラン・エスカトリーナは現在城の前に本部を設置し、街の地図をただただ眺めている。
現在魔物は国の正面門を破り街の中へと雪崩れ込んできている。そうして散り散りに人間達を見つけては襲っている。
……全て予定通りだ。
グランは誰にも気付かれぬように薄く笑みを浮かべる。攻め入ってくる魔物の種類、数、街中の何処に数を置くか、彼は全て知っている。
最終的にこの戦いで彼が率いる国軍が勝利する事もわかっている。知らぬのは今もなお命を賭けて魔物に立ち向かっている勇敢な国軍達である。
彼は、グランは権力が欲しかった。
その欲は人一倍強く、爵位もない下級の貴族出身である彼が一代で此処までの地位を築いたのもその強過ぎる権力欲の賜物だろう。邪魔なものは蹴落とし、謀殺し、その果てに今の自分がいる。
そしてその大詰めがこの戦い。
もう何ヶ月も前の話だが、あの時彼が拾った神崎博之、その男が拾ってきたフレアという魔族。その魔族の夢物語を聞いた時にこの計画を思い付いたのだ。
フレアを泳がし、力を付けさせ、その上で力を持つ魔族であるフレアがこの国を襲う。少し予定が狂ったのはこの国の王子がフレアをえらく気に入ってしまったという事だ。
だがそのおかげでこの状況が生まれた。後はこの街での戦いを勝利で飾り、フレアの町を滅ぼすだけ。
それだけで世論はこちらの味方になり、次期国王の座も手に入る。
それがグラン・エスカトリーナの描いた絵だ。
全て予定通りだ。全て。
「申し上げます! 城門修復班、九班を残し全滅! 敵の数は不明、しかし物凄い数です!」
そう、予定通りだった。先程までは。
「何!? 馬鹿な…………ッッ!」
グランはその報告を聞くと勢いよく立ち上がった。そんな展開は聞いていない、打ち合わせていない。
「申し上げます! 遊撃隊第八班、突如現れた魔物勢力により全滅しました!
「申し上げます! 敵魔物勢力、数が先程よりも増えております! 個体能力値も非常に高く我が軍が押されております!」
そして次々と飛んでくる戦況報告にグランはその表情を青ざめさせる。
「約束が……違う……」
呆然と、ポツリと呟いた。近くに控えていた将軍職の男は自軍の大将のその言葉にどういう事だと詰め寄るも相手にされず、ただグランは信じられないものを見る目で燃えて行く街並みを見つめている。
その時だった。一陣の風が吹いた。
誰も声を発さず、グランを残してただその場に倒れ込む。皆、何も一言も発していない。発さない。頭と体が離されているのだから、風が吹いた瞬間に、その一瞬でその場にいた凡そ六十名がグランを除いて皆殺しにされたのだから。
「久し振りねぇ公爵。十日振りくらいかしら?」
そして静かになったそこに現れたのはこの寒い季節に露出の激しい金髪美女。
背中に蝙蝠を思わせる羽を持ち、ヘソと胸元を大胆に穴の空いたかなり際どい赤のレオタード。背もそう低くはなく、恐らく百七十近くはあるのではないだろうか。
そしてなりより目を引くのはその恐ろしいまでに美しい美貌と、雪よりも白くきめ細やかな肌。
「ベルフリーナ殿……これは一体……」
グランは彼女を名前で呼んだ。そして彼女の第一声からこの二人がこの戦いを画策したのは間違いないだろう。
そしてこの状況……グランは裏切られたのだろう。
「あぁーごめんねぇ、とある生意気な闇使いと約束しててねぇ、あの赤毛の小娘には手を出すなって。だからこのままだと私が約束を破っちゃう事になるでしょう?だからね、とりあえず赤毛の小娘だけを残して此処を滅ぼして、全部無かった事にしようかと思ってねぇ?」
突然何を言い出すのだろうか。なんの質の悪い冗談だろうか。グランはただ絶望に染まった笑みを浮かべる。
「ま、魔王に滅ぼされたとでも思って諦めて? 一応アンタの魂だけは私が籠に入れて飼ってあげるからさ、少しは安心してねぇ?」
何も安心出来ない。寧ろ死を宣告されているのだ。恐怖しかない。
そうしてに和かな笑顔を浮かべた美女は己の黒く鋭い尖った爪を振り上げた。




