第三十五話 牢獄にて
憲兵達によるエスカトリーナ邸襲撃より三時間、そこは城塞都市国家ダムド、中央より北に延びる街道を進んだ先にある湖畔の中央、そこに聳える背は低いが立派にそこに鎮座する王城。
そこの地下三階、湖より下に位置する為年中カビの匂いのする湿った空間。所々水漏れがあり、床にはいくつも水溜まりが出来ている。
そこの一番奥の牢に鎖に繋がれた彼女がいた。彼女は魔封じの首輪に鎖を繋げ、さらに全身には打撲痕。酷く衰弱しきった様子の少女が一人。着ている服も無残に破れて赤く腫れた彼女の肌がところどころ露出している。
彼女の名はフレア・イールシュタイン。赤い髪を持つ魔族の少女。
ほんの三時間前、エスカトリーナ邸で無関係のメイド達を守る為に奮闘するも遅れて現れた術師隊により拘束魔法を掛けられてお縄となったのだ。
「気分はどうだね?」
そこへ彼女の繋がれた、囚われた牢屋の前に一人の初老の男性が現れた。貴族なのだと一目でわかる煌びやかな衣服に身を包み、美しい龍の姿が刻まれた杖をつき、男はなんの感情も表には出さずにただ一言、彼女にそう問いかけた。
しかし彼女は応えない。つい先程まで行われていた尋問と言う名の激しい暴力により口を開く体力までもが失われているのだ。ただ床に横たわり、力のない虚ろな目でその男を睨み付けている。やはりお前が糸を引いていたのだな、と。
「そのような眼で私を見ないでくれないか魔族よ。私は小心者でね、そのような事にとんと弱く怯えてすぐに衛兵を呼びかねない」
つまりは抵抗の意思を見せればまたすぐに先程までと同じ暴力を浴びせるぞ。と、今の衰弱しきった彼女にはかなり有効な脅しであろう言葉だ。
「で、そろそろ町の場所を教えてくれてもいいのではないか? フレアくん。君が懐柔した神崎くんやレオンくん、君の町の場所を知る者は何故か姿を消した……まああの黄金騎士が逃がしたのだろうね。それにあの魔物嫌いの黄金騎士が君と行動を共にしていたのにもとても驚いたよ」
繋がれた一人の赤毛の魔族、フレアをなんの感情もない表情で見つめているのはこの国の公爵であるグラン・エスカトリーナ。
彼の狙いはフレアの治める緋色の町。最初の頃は放っておいたが、いまは本当に町と呼べる程度の人口……つまりは総数で考えれば一国の軍事力に匹敵するであろう千近い魔物を束ねている事になるのだ。
これは間違いなく脅威であり、もしこの先フレアが人間の国との交易を望んだ場合、その発言力は途轍もない力を持つ事になる。現時点で千に近い数の魔物を、もしこれから町が更に発展して魔物の数が千を超え、数千、あるいは万を超えればそれは謂わばこの地域は魔王フレアに完全に支配される。それを防ぐ為には今此処で魔王を、そして魔王の町を潰しておかなければならない。
全ては我々の未来の為に、と。
「私にもね、……君も何回か食事の時に見ただろう? 君と同じくらいの歳の娘がいる。その娘の為にもね、この国、世界は平和であって欲しいのだよ」
衛兵より鍵を受け取っていたのか、牢の鍵を開けて中に入る。
本来ならば魔封じの首輪をしているとはいえ魔物だ。同じ牢に入るなど以ての外だが、これ程衰弱しているのだから問題はないだろうと、グランはフレアの前にてしゃがみ込んだ。
「で、教えてくれないかな? 私はフレアくん、君を殺したり傷付けるような真似はしたくないんだ。君は魔族だが素直で可愛い、私のもう一人の娘のような存在なのだからね」
口ではそのような事を言いながらもグランはフレアの前髪を掴み、そのまま持ち上げてその顔を覗き込む。苦痛に歪む少女の顔はそれを見る初老の男の劣情を昂ぶらせるには十分であった。
グランはその顔に薄く下卑た笑みを浮かべ、呼吸を荒くする。この様に嗜虐的な人間だとは流石のフレアも見抜けなかった。
だが、だからと言って此処で町の場所を言えばどうなる? 恐らくは近隣同盟諸国の力を借りて万を超える軍勢にて攻め入るに違いない。そうなればきっとあの男、人類最強の聖騎士も動く。あの男が動けば間違いなく、町の者達は皆殺しにされる。…言えるはずがない。
未だ引かぬ全身の痛み、髪を掴まれ引っ張られている痛みに表情を引き攣らせながらもフレアはグランを睨み付ける。お前の言う通りになどするものか、と。
しかし、グランの笑みはさらなる嗜虐の色に染まる。
「どうせ私が何も話さなければ町は助かるとでも考えているのではないか?」
そこで初めて、フレアが目を見開いた。今まではただ無言で、奮われる暴力により呻き声をあげる程度だったフレアの表情が凍り付いた。確かにフレアが話さなければ町の場所は伝わらない。では密告者がいるのか? いや、いない。町の場所を知るのは神崎博之と、かつて小遣い稼ぎに奴隷の番人をしていたレオン・フリードリッヒだけである。
神崎博之は既にクレアと共に脱出し、緋色の町へと向かっているはずで、レオンはこの事を予期して屋敷で襲われた時にトイレに入っていた所をフレアが事情を伝えて屋敷の外へと蹴り出した。故に今頃レオンも緋色の町を目指しているはずだ。
つまり、町の場所が知られる心配はない。
「……と、思うかね?」
背筋に悪寒が走った。
「別にね、私達は町の場所など知らなくてもいいのだよ。方法はあるのだからね」
淡々と、男は言葉を口にする。
「まずね、君を処刑すると大々的に広めたら向こうから勝手にやって来るだろう。あの黄金騎士が君の川にいるのだからその程度の情報収集はすると見て間違いはないだろう」
次第にフレアの顔が青ざめていく。
「それにね、町の場所が分からなければ探せばいいだけなのだよ。同盟諸国の力を借りればそのうち見つかるだろう」
男の醜悪な笑みは、さらに下卑たものへと変わる。
「要するにだ。結果は変わらんのだよ。フレアくん、君が助かりたいか、助かりたくないか、だけだ」
「キィィサマァァアアアアッッ!!」
フレアが動いた。怒りに叫び、その首食い千切ってやると。腸を引き摺り出して生きたまま殺してやる。本当の死の恐怖というものを味合わせてやる。
しかし、それも叶わない。
フレアの爪が、牙が、怒りがグランに届くよりも早く、フレアの髪を掴んでいたグランはそのままフレアの顔を床に叩きつけた。一度や二度ではない。
何度も、何度も何度も叩きつけた。この地下牢にはただ誰の声でもなく、物を物にぶつける鈍い音が響いている。
「凄いとは思わないか? 今君が閉じ込められているこの牢だが、魔に属する者のみに反応し、その力を奪う……まさに魔物を捕らえる為だけに造られたんだ。これが君達魔族にはない人間の知恵と工夫なのだよ」
やがてピクリとも動かなくなったフレア。それでもグランは言葉を投げ掛ける。
聞いていようが聞いていまいが、それはどうでもいいのだ。ただ言いたいだけ。己の欲望のままに弱者を嬲りたいだけなのだ。
そして男の視線はフレアの破れた服の隙間より覗く、赤く腫れた白い肌。
ゴクリと生唾を飲み、そこに触れる。触るだけでわかる。なんともきめ細やかで滑らかな、しっとりと手に馴染む素晴らしい肌、身体だと。
そのまま男はフレアを仰向けにすると、腰のベルトをカチャカチャと音を立てて緩めていく。
「いくら魔物とはいえ、捕虜をその様な捌け口に使うのは感心しませんよ?」
「……おや、ベルモート様、これはこれは……私めはこの魔族に教育を施そうと思っていただけですよ?」
不意に背中から掛けられたキーの高い男の声。逆光により男の姿はシルエットでしかわからないが、それでも背はそこそこに高く、体つきも悪くないのが伺える。
そしてその男の正体をグランは知っている。知っているからこそ従いたくもない。
「年端もいかぬであろう少女を無理矢理性の捌け口にと犯すのが教育なのですか?」
「それでこの娘が大人しくなるなら、それも有りではないかと」
「ふむ、話になりません。その娘にはわたしが付きます。貴方は下がりなさい」
此処まで来て下がりたくもない。年甲斐もなくグランはフレアの身体に欲情し、そして遂げたいと。
「……お言葉ですが」
「下がれ、と言っているのがわかりませんか? わからないのならば強目に言いましょう。……失せろ小虫」
しかし、立場なのか実力なのか、はたまたもっと別の何かなのか。相手を怒らせるのは不味いとグランは判断したようで、ひとつ舌打ちをしてから立ち上がり緩めたベルトを直す。
「エスカトリーナ公爵殿、貴方は今後この地下への立ち入りは禁止します。宜しいですね?」
男の声色は変わらない。変わらないのにその声から感じられる圧力は先程までの数倍にも達している。
が、グランはその様な事は歯牙にも掛けず、ただオトコを射殺す様な視線で睨み付け、返事も何もなくその場を後にした。
そうして男はフレアだけの空間となった牢の中へと入り込み、額が割れて血を流して気を失っているフレアの隣に腰を下ろした。
「可哀想に……魔族とはいえこの様な少女にこの仕打ち……許されよ、魔族殿」
男はそっとフレアの額に手を触れ、そこから光に属する術を発動、彼女の傷を一つ一つ治していった。
「私には其方を自由にしてやる事は出来ぬ。恨んでも構わぬ……が、それでも人間を見限らぬよう、それだけはお願いしたい」
聞こえていない事など承知の上で、男はフレアの横顔を慈しむように、ただそっと触れた。
なんか、基本的にこの物語、フレアだけが不幸のメーターが振り切れてる気がしてきました。作者ながら彼女にとって謝りたいと思った程ですが、この不幸を乗り越えてくれると勝手に思っています!
また次回は九日か十日には登校出来ると思います。それではお楽しみに!




