第三十話 出会い
そこには無数の魔物の群れ。
体長三メートルはあろう大型の魔獣、全身がドロドロに溶けているかのような風貌の魔物、鋭いくちばしに鋭い鉤爪、大きな翼を広げ頭上より襲い掛かる有翼魔獣。芋虫型に蜘蛛のような形をしたもの、様々な魔物が群れとなりて町を襲っている。
辺りにはもう助けを乞う声はない。あるのは体のいたる所を食い散らかされた人間の遺体と腐臭、さらには人間や魔物の燃えた油臭い臭い。此処は今は地獄の様相を醸し出している。
しかし、そんな中で必死に剣を振るい、魔物達を討ち倒していく一人の少女の姿があった。
長い鮮やかな黄金の髪を魔物の返り血で朱に染めて、決して年頃の少女の取るべきではない怒りの表情にて群がる魔物達を斬り伏せて行く。
既に彼女が戦い始めて数時間、トレードマークの金の胸当ても赤黒い血で汚れている。しかし、そんな戦いの中でも彼女自身には傷一つない。敵の、魔物の攻撃は彼女には掠りもしていないのだ。
「ほら、此処はもう大丈夫よ。避難所へ急いで」
周囲の魔物を全て斬り捨て、彼女はすぐ後ろの瓦礫の下に隠れていた一組の父娘に声を掛けた。娘の方はまだ子供、ほんの五歳六歳くらいだろう。そして父親の方は途中娘を庇ったのか、背中に大きな傷があり、出血が激しい。
彼女はこのようにしてこの地獄より生存者を捜し、他のギルドメンバーが守護する避難所へと送り届けている。
現在までに彼女が発見した生存者は約三十名。避難所には役百名。この町の元々の人口は約七百名自力で逃げ切ったのが何名いるのかわからないが、ほぼ全滅の数字である。
こうして次々に生存者を捜し、助けていくのだが基本的に見つかるのは無残に食い散らかされた人間の死体。彼女の心をどんどんと魔物への憎悪が蝕んでいく。
あと一時間もすれば夜になる。そうなれば魔物もさらに凶暴化し、生存者を捜すのは困難になる。此処らが頃合いか……まだ助かる可能性のある者達を見捨てるのは心が痛むと、彼女はギリ、と強く歯を食い縛る。
「私にもっと力があれば……」
彼女は冒険者ギルドに所属している、この大陸でも有数のA級ギルドナイト。その黄金の胸当てと髪から黄金騎士と呼ばれ将来を有望視されている。
彼女の名はクレア・アームレスト。
今より一週間前、過去に彼女の両親を奪った怨敵カンパネラと対峙していた神崎博之を救った少女である。
「お疲れさん、これ以上はもう無理だ。これだけの数の人間がいるんだ。魔物さんもそろそろ匂いを嗅ぎつけて此処を集団で襲って来るかも知れん。今のうちにこの生存者達を連れてこの町から脱出しよう」
この町で一番頑丈な建物であり、この町の唯一の観光名所であった鐘つき堂。避難所としているその建物の中で全身を装甲鎧で覆った一人の男がテーブルに突っ伏すクレアに声を掛けた。
ただでさえよるは魔物が凶暴になり、また人間の匂いに気付かれて集団で襲われた自分達を含めて全滅する可能性もある。故に男はそう提案した。
わかっている。わかってはいるが納得はいかない。まだ助かるかも知れない数名の生存者を探す為に此処の百名を危険に晒すのは間違っている。だが、どうにも踏ん切りが付かない。助けられるかも知れない命を何故助けてはいけないのか。
不服そうな表情を浮かべながらも、彼女は飲んでいた水の入ったカップをテーブルに乱暴に置いた。
「ええいいわ。今すぐってわけにはいかないだろうけど、皆に伝えて準備させて。準備が出来次第私達ギルドナイトが囮となって次の町まで人々を逃すのよ」
覚悟を決めた。今からでは助けられない命、私達に見捨てられた命に恨まれる覚悟は出来たと、彼女は神剣と名高い水龍の剣を手に取った。
「バーンズ、外の様子は?」
「周囲の魔物の殲滅は完了してる。今ならまた集まって来るまで時間はあるだろうからチャンスだぜ」
「そう……ジモン、皆に声を掛けて準備を急がせて。もう十分もしない内に出るわよ」
今しかない。夜になる前に此処を出て早く【騎士王国サザンドラ】へと町人達を連れて行かねばならない。元より今回クレアがこの町に派遣されたのは騎士王国サザンドラからの冒険者ギルドへの依頼である。
現在サザンドラ王国は帝国と対立しており、度重なる武力衝突すら起こっている。そこへこの町への魔物襲来。帝国との前線維持の為に兵は避けず、こうして黄金騎士の所属している城塞都市国家ダムドの冒険者ギルドへと依頼したのだ。
「よし、いないわね……行くわよ、静かについて来て」
そっと扉を開け外の様子を覗き込む。まだ魔物は集まって来ていない。行くなら今しかない。
クレアを先頭に百名の町人は十名の平均C級のギルドハンターとギルドナイト十名に護られながら鐘つき堂を出る。
遠くから魔物の鳴き声が、遠吠えが聴こえる。それだけで年の若い者は泣き叫びたくなる。それ程の地獄を味わったからだ。しかし、今此処で声をあげて魔物を呼び寄せるわけにはいかない。子供でもそれを理解している。
クレアが先頭にて魔物の確認をし、魔物がいるようなら音も立てずに即座に斬り捨てる。こうして鐘つき堂を出て十分、一団は町の外れに到着したする。
此処までくれば助かったようなものだと、これまでに大きな戦闘はなく、複数体の魔物に襲われるような事もなく順調だった。
そう、『だった』……だ。
「グブ……ニンゲン……」
「喰ウ……」
完全に油断していた。クレアも。
町を出たからと安心していいはずがないのだ。安心出来るのは無事に騎士王国サザンドラまで送り届けた後。
その結果がコレ、二十以上の蝙蝠のような羽を持ち、猿の体と狼の顔を持つ下級悪魔。この程度の相手ならクレアの敵ではない。しかしそれはクレアが一人で戦うなら、の話だ。
今は彼女が一人で戦うのではない。他のギルド員と力を合わせて町人を守らねばいけない戦いなのだ。なのだが、下級悪魔とギルド員達の戦力はほぼ互角、そして悪魔達の数はギルド員の倍で、奴らは魔術や魔法を行使する。
魔術、魔法は魔に属する者の使う超常の力というのが通説で、もちろん人間も使えるが、仕える者は限られており人間という種族自体少量の魔力しか持っていない。A級のクレアですら持っている魔力は人間にしては多い程度だ。
つまり、護れない。
今はまだこれだけでも、戦闘を行えばすぐに魔物達は集まって来るだろう。そうなれば魔物は倒せても何人、何十人と犠牲者が出るだろう。
「各ギルド員! 死ぬ気で町人を守りなさい! 私が一秒でも早くこいつらを倒すから!」
クレアは叫んだ。己に言い聞かせるように。無理なのはわかっているのに。
剣を振るい目の前の悪魔を一刀の内に頭から縦に両断し、返す刀で次のもう一体へと、ほんの一瞬で二体を斬り捨て横目に仲間達を確認する。悪魔達は町人へと牙を剥いて迫っている。
腰に差した短剣を投げ、子供の腕を掴んでいた悪魔の頭にそれを差し込み、叫びながらその近くにいるのにもう一体の首を跳ねる。
そうしている内に近く、二ヶ所から悲鳴が上がる。一つはギルド員、鎧ごと腹を抉られ腸が体外へと飛び出している。もう一つは町人、頭を掴まれ今にもその大きく開いた口にて、牙には喰い殺されようとしている。
ギルド員は助からない。本当にそうか? すぐに助けて回復魔法を施せば……いや、その間に町人は確実に殺される。
全てを助けようと、助けたいと思っているのに助けられない。
そのほんの一瞬の迷いの内に、視界の端で別の悪魔が両手を掲げ、その先に光の玉が浮かんでいる。これは魔法だ。放たれれば大勢が死ぬ。
「やめてぇぇえええええっ!!」
叫ぶしか出来なかった。言葉が通じるような相手なのに、それをわかっているのに懇願するように叫ぶ事しか出来なかった。走っていればそれでもまだ助けられる命があるかもしれないのに、彼女は足を止めてしまっていた。
そして放たれる悪魔族特有の呪い魔法。破壊力はそこそこにしろ、その余波が他者の命を蝕む恐ろしい魔法。
彼女は思わず両手で顔を覆う。見なければ、助けなければいけないのに見る事が、助ける事が出来ない。その光景を見たくないと。
「俺の目の前で……誰かが一人でも犠牲になるなんて認めねェ」
「ふん、私の眼に映った事を悔いて塵となれ」
そこへ声が二つ。悲鳴などではない、力強い声が二つ……そう、悲鳴はあがっていない。
そっと手を退ける。そこに現れたのは赤。
いつの間にか、彼女達の周囲は真っ赤な炎にて囲まれていた。その炎の中で悪魔達のシルエットが見えたが、それもすぐに崩れて消えていく。そして視界に入るもう一つ、黒い詰襟の服を着た黒髪の少年がその左手にて悪魔の魔法を吸収している所、そして……
「返すぜクソ野郎」
彼は右手を魔法を放った悪魔に向け、その悪魔が放った魔法を、全く同じものを放ち、その悪魔の上半身を吹き飛ばした。
「取り敢えず、近くにいた雑魚は一掃したぞ」
その少年の隣にストっと小さな音を立てて茶色いフードを深く被った少女が降り立った。言葉から察するにこの炎は彼女の術なのだろう。だとすれば、これだけの威力の炎……とんでもない魔術師だ。
と、そこで彼女は一つの事に気が付いた。
「……ヒロユキ?」
それは、その少年が数日前に出掛けてくると言って消えたクレアの相棒だという事だ。
その少年の名は神崎博之。人間にしては珍しいかなり稀有な能力を持つ正義感の塊。その隣にいる少女は知らないが、きっと神崎博之の仲間なのだと彼女は思った。
やがてフードの少女がパチンと指を鳴らすと炎は消えた。悪魔達は一体たりとも残ってはいなかった。
「おい、小娘。お前回復魔法は使えるのか? もし使えるんなら早く治してやらんと、あの男死ぬぞ」
気が付けばフードの少女はクレアの目の前に立っていて、親指を先程腹を抉られたギルド員へと向けている。
「私の術は攻撃特化で回復は専門外だ。お前、黄金騎士様なんだろ? それなら回復くらい使えるよな? 使えるんだとしたら惚けてないでさっさと動け」
少女が近づいて来る、そんな気配はなかった。さっきの炎といい今の動きといい、とんでもない達人であるのは間違いないだろう。
クレアはそんな事を思いながら仲間のギルド員の傷を魔法で癒す。彼女の回復魔法では応急処置が良いところで、完治には程遠い為すぐに医療施設に連れて行く必要がある。
「あの……」
「心配すんな。今近くに魔物の気配はない。来ても私が追っ払ってやるよ」
「いえ、そうじゃなくて……助かったわ。ありがとう。私一人じゃ皆を助けられなかったから……」
大陸有数のA級、黄金騎士、仰々しい二つ名があろうと、ギルドランクが高かろうと彼女一人では皆を守れなかった。それを実感したからこそ彼女は礼を言う。本当に、心の底から助けられて嬉しかったから。これで皆を助けられると思ったから。
「礼は私じゃない。あそこの女誑しに言え。私を動かしたのはあの馬鹿だ」
「女誑し……?」
「あぁ、気をつけると良い。あいつは天然で女を誑し込むからな。多分」
「多分って……」
フードを深く被っているが為に顔は見えない。しかし、その白い肌や口元は見える。そこから途轍もない美少女だと、もしかしたら己よりも年下なのかもとクレアは想像する。
「そう言えば……あなたの名前聞いてなかったわね。恩人の名前だもの、教えてもらえる? ちなみに私はクレアよ。クレア・アームレスト」
「……あぁ、お前は有名だから私も知ってるよ。魔物嫌いの黄金騎士様だろ?」
「魔物嫌いって……」
「まあいい。私はフレアだ。フレア・イールシュタイン。炎の術師だ」
新章一発目、我らがフレア様と彼らがクレア様の初対面です。ぶっちゃけ、神崎くんを含めたこの三人の関係、どうしようか決めてません。彼らに好きにやらせてみようかと思ってます。




