第二十六話 魔王
ジン太は奮闘していた。
全身傷だらけで血を流し、それでも彼の敬愛する魔王が敵将を倒すと信じ、迫り来る敵を倒している。
現在ジン太は前線を後退し後衛隊と合流、そこで狼男ドリューと戦線を張り風精霊メルシィからの回復の援護を受けて戦闘を続けている。戦線の情報共有は鼠獣人のカーリーの役目だ。
未だここには数えるのも嫌になる程の無数の敵が押し寄せてくる。常にメルシィが回復に当たっているものの、怪我人のカズも四十を超え最早軍としての機能は果たしていない。現在は戦線を動けるほんの数人と回復役のメルシィで回しているのだ。
最初に比べて確かに敵の勢いは減った。これならいける。そう思うも現実に数人で数百人の相手は無理だ。フレアが早く敵将を倒し、この戦闘を終わらせてくれるのを願うしかない。
「ジン太の大将ォォッ! 俺もそろそろキツイぜこりゃあ!」
「泣き言は無しっスよドリューさん! オラ達が踏ん張らねど皆死ぬっス! 死ねばフレア様が悲しむっス!」
「そうよドリュー! 私もこの命を賭けて皆を治すんだからアンタは安心して死になさい!」
「俺を治す気はないのな!?」
戦線をなんとか維持しながらも軽口を叩き合う。余裕をこいているわけではない。これには意味があるのだ。
会話が続いているうち、それは誰も死んではいないのだと確認するために。これだけの人数の怪我人と、これだけの戦力差でまだ誰も死んでいないのは単にジン太の統率力のおかげだろう。
ドリューも中々強いのだが、ジン太に比べればまだまだ部類。下級魔族でしかないはずのジンのだが、この村の中では中級魔族の狼男を差し置いて二番手に位置付けられている。そしてフレアからの信頼も厚く、よくフレアと一緒にいるところを目撃されている。泡影に。
そんな彼らが全てはフレアのため、必死に戦線を維持していると遠くで幾つもの火柱が上がった。
赤く美しく力強い。見ている者にチカラを与えるかのような、敵対する者には恐怖を与える雄大な焔。
それを見たジン太、そして後方で負傷者の手当てに当たっていたジンギ、赤影、そして村の子供達は皆がフレアの勝利を確信した。
あれぞ我らの焔の魔王、爆炎の巫女姫様の本当のお力だ。
◇◇◇
「貴様は……なんだ?」
大鬼族のクロウリーはそう口にした。
目の前にいる少女はつい先程まで近くで死に掛けていた小娘のはず。なのに目の前にいる少女は先程の小娘ではない。嫌な汗が止まらない。
「私か? 私はな、後にこの世を統べる大魔王となる炎の化身だ」
ジャリ、と少女が踏み締める地面が熱を帯びる。踏まれた小石は焼けて赤く発色、それが無数にも連なりこの大地は真っ赤な熱を帯び、陽炎が立ち上る。
怒りでもなく、晴れやかというわけでもない。ただ何処までも真っ直ぐに真面目で不器用な彼女はただ受けた質問に応えた。
別に何も嘘は言っていない。魔王としてこの世に呼び出され、民の為に世を統べ、そして炎を操る……別に何も嘘ではない。誇張はしているが。
一歩一歩、大地を進む道を焼きながら彼女は歩を進める。同時、クロウリーは後退……いや、動けない。
気圧された、その迫力に。魅力された、その力に。この時ようやく彼は理解した。この目の前の少女は俺より強い、と。
「オォッッァ!!」
フレアが歩を進める、両者の距離が三メートルを切った。瞬間、クロウリーは己の持つ肉厚の両刃剣を自身最速の縦の振り下ろしにてフレアへと。
しかし、それを当然とばかりにフレアはただ身を捻るだけで回避。見えている。見える情報に対し、体が命令通りにしっかり動く。
その後もクロウリーの拳、蹴り、剣、それら全てをフレアは危なげなく躱した。最初は大きく余裕を持って避けていたが、もう途中からは慣れてきたのか次第に避け幅が少なく、わざと服に掠らせ、次は前髪に掠らせ、次は次はと彼女は戦闘そのものを楽しみ、その表情には笑みさえ浮かんでいる。
やがてクロウリーの攻撃はフレアの肌、ミリ単位で空を切る。喰らえばひとたまりも無いそのスリル、耳元を掠める風の音が彼女の興奮を増加させ、
スパァンッ! と小気味の良い音を奏でて彼女の拳が前傾姿勢を取っていたクロウリーの鼻面に叩き込まれる。しかし、疾いだけの軽い攻撃、クロウリーにまともなダメージは通ってはいない。
「ふむ、肉体的な攻撃力までは強化されてはない……か」
ちょっと痛かったのか、右手をぷらぷらと振りながら呟いた。
「んじゃ、殴っても効かなきゃこっちだな」
右手に炎を宿したフレアは得意気な表情で、その炎を宿した右腕をグルグルと回す。まるで体の調子を確かめるかのように。
しかし、それは愚策。炎に対して強い耐性を持つクロウリーもそのフレアの様子に隠し切れぬ笑みを浮かべ、今度こそ掴まえて縊り殺してやろうと手を伸ばすのだが、その手がフレアを掴む事はない。永遠に。
「汚い手をこっちに向けるな。そろそろ不愉快だ」
「ンナッッ!? ____ウオアァアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
クロウリーが叫び声をあげる。それは悲鳴。
フレアに伸ばしたその左腕、それは肘から先が消失……いや、焼失していた。クロウリーの伸ばした腕をフレアが高圧の炎を噴出して焼き切ったのだ。
ガスバーナーと同じ原理だ。限界まで炎を圧縮し、それを刃状に放っただけ。かなり細かいコントロールと、限界まで圧縮……つまり圧縮するだけの膨大な量の魔力を必要とするので多用は出来ないなと、そしてコレを【火焔刃】と名付けようと。
そんな事を腕を組んで考える。目の前には腕を無くして狼狽えているクロウリー。あまりにシュール。
泡影はただ呆然と、以前からは信じられぬ程のフレアの身のこなしと魔力の大きさ、そしてその緻密なコントロール。まるで別人だと目を丸くしていると、フレアと目が合った。フレアはニヤリと笑いピースサイン。
泡影は安心した。何故こんな急に強くなったのかはわからないが彼女の大好きなフレア様はフレア様だと。
「ガァァアアアアアッッ!!」
「あ? うるさいな。可愛い臣下との戯れの時間を邪魔するな俗物め」
残る右腕を振るう狂える大鬼族の攻撃を見もしないで躱し、潜り、フレアはクロウリーの横顔にそっと手を当てる。
「そういえば、まだ礼を言ってなかったな。非常に不愉快だが私はお前のおかげで一歩、次のステージに上がれたようだ。だからこれは褒美だ。有り難く受け取れよ?」
「ぐ……待て、まてま_____」
終わってみればかなりあっけない。
戦争が始まり、自身が死に、生き返り、そして敵将を討ち取った。仲間が多数傷付いた。
赤星も泡影も、ジン太も他の村の民達も。だが、これで戦争は終わりだ。
フレアはクロウリーの頬に当てた手に魔力を込め、そこから超火力の炎を、如何にクロウリーが、大鬼族が炎に対して高い耐性を持っていようと、魔人の域にいようと所詮は大鬼族。
「ま、私の敵じゃなかったって事だな」
敵将が死んだ。これにより一つ目族もその支配から解放されてやがて戦闘は終わるだろう。その証拠に近くにいる一つ目族達は武器を地面に落とし、ただ呆然と此方を眺めている。
味方指揮官が死亡した事によりどうすればいいのかわからないのと、意志の統合が解除されてもうどうすればいいのかわからないのだろう。
「よし、帰ろうか泡影。赤星は私が引き摺るから安心しろ……てか、お前怪我してんだから先に戻ってメルシィから治療受け……ってその怪我じゃ無理か」
泡影は肩口を刺され、その出血の激しさからまともに動けないでいる。故にフレアは肩を貸し、そして声を上げた。
「カーリー! どうせ近くにいるんだろう? 赤星は頼んだぞ」
そう言い残し、フレアは泡影に肩を貸し、ただ呆然と喪失感と罪悪感に苛まれ立ち尽くすだけの一つ目族達の、その群れの真ん中を堂々と通り自陣へと帰って行く。
残されたのは未だ目覚めぬ赤星と、
「フレア様……かっこいいー……」
いつの間にそこにいたのか、赤星の側にて膝を抱えて座り込んでいるカーリーだけであった。
◇◇◇
「素晴らしいと思いませんか? あれだけのチカラを有し、まだ成長途中なのですよ?」
何者も見えぬ闇の中で声が響いた。
「確かに、これなら新たなる魔王種の誕生…というのも認めよう」
「まだ一切にも満たない小娘ってのが気に入らぬがの」
「おや? 嫉妬ですか【欲望の姫】」
「殺すぞ【殺戮道化師】」
「落ち着けお前ら。しかし……これだけのものを見せられてお前は我々には手を出すなと言うのか?」
「ええ、だってこうして言わねば【暴虐】の貴方なら、彼女の力を知ればすぐに力試しに行って縊り殺してしまうではないですか。それでは駄目なのです。彼女はワタクシの希望なのですから、これからまだ強く育って貰わねばならないのですから」
「お前が希望……か、よしいいだろう。おれは向こうから手を出して来ない限り静観に徹しよう。欲望のもそれでいいだろう?」
「妾としては今すぐにでも此奴の生意気そうな顔をズタズタにしてやりたいのだがのう」
「……だから落ち着かんか。此処は殺戮のの顔を立ててやるべきだろうに。これだけの余興を用意してくれたのだから」
「まぁ、確かに暇潰しにはなったがの」
「クフフ、それならよかったですよ。では、皆さんが彼女に手を出さないと約束も交せましたし、一先ずの目的は果たせました。と、いう事でワタクシは行きますね」
「……待て、お前は何を企んでいる。事によっては俺達を敵に回す企みか?」
「企み? クフフフフ……いやまさか、ワタクシは彼女が新たなる、真なる魔王としての成長を楽しみにしているだけなのですよ。ワタクシの為にね」
「本当じゃな? それだけじゃな?」
「さあ? 答えはいつだって、真実とはいつだって闇の中を手探りで見つけるものですよ?」
次第に薄れて行くその体。やがて男は一つの言葉を残して完全に、その場から消え去った。
“やがて世界が変わる” と。




