第二十四話 魔人衝突
赤星は焦っていた。泡影もだ。
早く、早くこのまま敵本陣にへと乗り込まねば、フレアが危ないと。
アルベルトの話により、一つ目族の総兵力、また指揮官が何者かが判明したのだ。まず、その総兵力は二千。当初わかっていた兵力の四倍だ。村の兵力と比べて絶望的なまでの差がある。
そして次に指揮官だが、カンパネラではなく、そこに神崎博之もいない。
敵指揮官の名はクロウリー。アルベルトより上位の、魔人としてカンパネラに育てられた大鬼族である。
アルベルト自体は赤星にとってはすこし苦戦する程度でなんの問題もない相手だった。何故ならそれは所詮、蜥蜴人族だったから。
だが、大鬼族は蜥蜴人族よりも上位の魔族であり、個体数こそ少ないものの個々の能力が非常に高い種族。単純に影人と比べるならば大鬼族に軍配が上がるだろう。
それが敵指揮官……しかも鬼は本来炎に強い耐性を持つ。これはフレアには致命的なまでに最悪の相性でもある。
故にフレアが痺れを切らして敵本陣、その大鬼族のクロウリーの所へと突撃を開始する前に、そこで敗北する前に赤星は己の手で決着を付けるつもりだ。
そうしてアルベルトの案内の下、赤星と泡影は敵本陣後方三百メートル、丘の上に陣取るクロウリーより背後の巨木の枝の上に立ち様子を見ている。
「てか泡影、お前はもうフレア様のところに戻れ」
先程のアルベルトとの戦闘で泡影は現在右腕を負傷している。赤星服の袖を千切り臨時の包帯として使用しているが、それでも出血が激しく、彼女は呼吸を荒くして肩で息ついている。
泡影は基本素早さが高いだけで、耐久は人間と何ら変わらないのだ。
「嫌です……私はフレア様の右腕です……ならばこのくらいの傷、どうって事ありません」
護衛役兼世話係兼女房役兼右腕の……全部自称だが泡影は譲らない。平時が役立たずなのでこの時くらいは頑張らねばと片意地を張っている。こうなったらテコでも動かない。赤星はこんな時でも自由な妹に深い溜息を吐き、ただ足手纏いにはなるなよと声を掛ける。
なんのかんのでフレアと泡影は大の仲良しであり、その泡影が傷付いたとなればフレアはとても悲しむだろう。ならば仕方ない、泡影を守ってやるしかないだろう。
(全く……困った妹だよ!)
そうして巨木の枝の上より飛び降りる赤星、着地地点は敵本陣後方二百メートル。いきなり背後に敵が現れた事で敵本陣、他の一つ目族とは違い鎧を着込んだ幹部を着込み、一回り体の大きい彼らはその突然の襲来に僅かに動揺する。
それでも僅かなのかよっ! と舌打ちながら赤星はまず先頭、陣形的に最後尾なのだが、それでも先頭の敵と衝突と同時に拳を強く硬く握り込み、鎧毎その体を粉砕していく。
この兄が負ける姿が想像出来ない。泡影は赤星のあまりの悪鬼羅刹振りに苦笑いを浮かべ、私も負けてられないとばかりに頭の上から飛び降り、着地時に曲げた膝で己の額を強打して意識を手放しそうになる。
何はともあれ、どうせフレアもこっちに向かっているはず。ならば数こそ少ないがこれは挟撃の形。赤星は吠えながら迫る敵を薙ぎ倒し、伸ばした影で敵を縛り動きを止める。
戦闘開始数十秒でもう五十余の敵を葬るその化け物じみた強さ。これが爆炎の巫女姫の魔王軍一の武将の力。
が、そんな光景を目にしても大鬼族のクロウリーは少しも表情を変えない。こんな事は想定内……いや、この程度の些末事で大局は揺るがないとの自信なのか。赤星の方を見ようともしない。
クロウリーの見る先はただ一つ、己の指揮する一つ目族の軍勢を掻き分けて此方へと向かってくる一つの炎。言わずもがなフレアである。
"いいですかクロウリー、フレア様は私の妃……果ては我らのお家となる方。殺す事は許しませんよ? まあ、貴方如きでは倒す事などままならないでしょうがね"
それは彼の仕える主の言葉。主の名には従おう……だが、あの程度の小娘が我らの王? ならば試すくらいは良いだろう。
大鬼族として高いプライドを持つクロウリーは手に持つ軍配を上に掲げ、そしてフレアに向けてそれを降ろす。
「やれ」
その声と共に、一つ目族精鋭部隊が戦場に、フレア一人に向けて出陣する。それは彼の目から見る一人の少女に向けてはあまりに多過ぎて、また強力すぎる戦力だ。
彼はフレアを殺す気はない。また今のフレアに仕える気もない。主からの命令だから彼にフレアに対する殺意はないのだが、これは戦争。殺すのではなく、死んだとなれば話は別だろう。戦争で手加減はしない。
そうして群がる一つ目族を薙ぎ倒しながら、魔力がもう残り少なくなっているのを自覚しながら、それでも全力で放つ術しか持たぬフレアは持ちうる力の全てを使って敵を殲滅しながら突き進む。
呼吸が乱れる。脚が重い。それでも、戦闘開始時に比べ大きさも威力も格段に落ちた炎を操り、一心不乱に敵指揮官を倒す為に突き進む。
その瞬間_____
「____ッッ!」
フレアは咄嗟に横に飛び退いた。ほぼ同時、彼女の今まで立っていた場所、そこが大きく陥没、大きな砂埃をあげて視界を奪う。
いつもなら魔力感知で何処から何が来ようと瞬時に判断し、それに適した行動を取れるフレアであっても疲労には勝てず、気付くのが一瞬遅れた。
砂煙を掻き分け飛来する棍棒。何処から投げられたのかも今の彼女には判断が付かない。そんな状態でも咄嗟に右腕をあげて防御の姿勢を取ったのは見事と言えよう。
だがその代償はあまりに大きく、彼女の腕は、右上腕は通常ならば有り得ぬ方向へと折れ曲がる。
腕が折れるなど、折られるなど、折れる程の力で殴られるなど彼女にとっては初めての経験で、初めての痛み。しかし、痛いからと此処で叫び声をあげるわけにはいかない。そんな事をしていたら、そんな時間に次の一撃で殺される。
続く斧の横薙ぎの一撃を地面を転がって回避する。その際に折られた腕が地面に触れ、あまりの激痛に小さく呻き、僅かに動き止め、そして丸太のような脚が彼女の腹部に蹴り込まれる。
元々耐久の低い彼女、腹部へのダメージのおかげで意識は飛ばず、逆に冷静でいられるがもう体が動かない。脚がピクリとも動かない。胃の中の物を全て吐き出し、苦しさのあまり涙を流す。
そんな光景をクロウリーは黙って見ている。この程度の力で何が魔王なのか。主は間違えた。主が間違えたのなら臣下はそれを正そうとクロウリーは軍配をその場に捨て置き、腰に差した肉の厚い大きな両刃剣を抜き、フレアの元へと一歩踏み出し、そして己の背後へと大きく振るった。
「ぬるい」
ポツリと呟いた彼の剣の先、そこには自身の短剣を盾に大鬼族の剣での一撃を防いだ泡影が。彼女はまさに神速とも言える速度で精鋭一つ目族の波の中を走り抜けてこのクロウリーの背後を取ったのだ。
しかし、結局は届かない。クロウリーの咄嗟の、泡影の気配を僅かに察知したその咄嗟に券を背後へと払い彼女の攻撃を止めた。
たった一合、それだけで泡影もクロウリーも互いの力の差を理解する。故に泡影は焦りと怯えを僅かに見せ、対するクロウリーはまるで虫を見るかのような目で泡影を見つめている。
「ふむ、虫は虫だが俺の脚を止める程度の邪魔な虫であったか」
「あんまり……大物ぶった台詞は吐かない方がいいですよ?負けると惨めですから」
「ふん、手負いの虫如きが俺に勝てるなど甚だしいにも程があるわ」
「そうですね……私じゃあ貴方には勝てないでしょうね」
そこまで言い切ってから、両者は動いた。
赤星は未だ周囲の雑魚……とは言えないのだが、一つ目族の精鋭達を相手に此方のフォローまでは回れないであろう。フレアも…寧ろ今助けが必要なのは苦しそうに胸を押さえ、息を切らしながらも懸命に炎で敵を焼こうと奮闘しているフレアの方だ。
つまり、この大鬼族は泡影が一人で倒さなければならない。
私には無理だと、そんな事はわかっている。この男の相手は私では荷が重すぎる。そんな事を思いつつも逃げる事は許されない切迫した状況。
スピードではギリギリ勝っているようで、クロウリーの剣撃を危なげながらも躱して利き腕ではない左手に剣を持ち攻撃を仕掛ける。
が、流石は鬼。その見事なまでの反射神経により速度で上回るはずの泡影の剣は全て防がれる。
このままでは負ける。泡影とクロウリー、どちらが余裕があるかなど明白だ。
(今までの私ならッ! ですけどねッ!)
クロウリーの縦からの横の連撃を皮一枚で躱し、泡影は地面に痛む右手を押し当て、そこから己の影を引っ張り出した。影は小さく先細り、刃となってクロウリーを襲う。
【影手裏剣】
攻撃用の術を持たぬ泡影が編み出した……フレアですらその存在を知らぬ泡影の切り札である。それは手裏剣とは名ばかりに、苦無の形にて無数の影の刃を作り出す。
別にこの術で倒せるなどとは思っていない。刃物状であるが故にその威力には限界があり、鎧や分厚い筋肉にはダメージを与える程度のものだろう。
「しかし、隙は出来ましたよ」
その無数の影の刃、何もない空間から生み出された事で僅かだがクロウリーに動揺が見られた。そしてそこに生まれた僅かな隙……小さな隙間。影の刃を振り払うクロウリーの鎧……甲冑の隙間、脇へと短刀を突き出した。
「邪魔な虫は撤回しよう。排除すべき害虫……というところだな」
突き刺さった。クロウリーの咄嗟の抜き手が、泡影の左肩の付け根部分に。泡影の渾身の一撃は届かなかったのだ。ほんの僅かに。後ゼロコンマ一秒でも泡影が速ければこの結果は反対だったかもしれない。
そうしてクロウリーは泡影の肩から指を抜き、泡影を蹴り倒す。
止めを刺す為に。害虫ならば始末せねばと。
「泡影ッッ!」
妹の窮地にその名を叫び駆け付ける赤星。既にこの本陣の敵は殲滅を完了している。残る敵は目の前の……妹に手を出したこの大鬼族だけだ。
赤星のそのスピードは素晴らしかった。緋色の村にてスピードだけなら一番と豪語する泡影よりも、フレアの子飼いの鼠獣人のカーリーよりも疾い。そしてその速度に乗った一撃、これは大岩をも容易く砕くであろう魔人の一撃。
しかし驚くのはそこではない。驚くのは、赤星のその一撃を片手で受け止めた大鬼族のクロウリーにだ。
「魔人……か」
クロウリーは赤星の全力の拳を受け止めながらも涼しい表情を崩さない。崩さず赤星の拳を握り潰さんと力を入れ込める。
クロウリーは赤星と同じく魔人。恐らくはクロウリーは赤星と同じく中級に位置する魔人。しかし、全てが同じではない。
「お前は確かに強いが、所詮は影人。低位種族出身の者。大鬼族である俺には根本が及ばんのだ」
「確かにな。影人は弱いが、それは【今】の話だ。これから先、俺達は俺達の王の下で強くなるんだよ」
「ぬかせ。あそこで死に掛けている小娘が王だと? 我が主も貴様らも……余りにおろかよ」
「そうかい。でもな、力だけが強さじゃあないぜ?」
「ふん、ならば見せてみよ。力以外の強さとやらをッッ!」
クロウリーの右正拳を防御する腕を回転させていなし、その反動を利用して赤星も中段に拳を捩じ込むが、反射神経の点ではクロウリーが上、その打撃をも容易く防がれる。容易く防がれるのだが、そんな事は予想出来ている事。赤星はその腕を掴み、己の方へと強く引き寄せバランスの崩れたクロウリーの顎へと強烈な膝蹴りを見舞った。




