第二十二話 影人族 対 蜥蜴人族
村の戦士達の出陣とほぼ同時刻、森の中を、地面を赤星が、木の枝を飛び移るように泡影が高速で移動していた。先日の雪の影響で地面はぬかるみ、木々の枝葉は水分を含みいつもより感触が重い。
されども二人は足は止めない。我らが王の為に。
神崎博之がカンパネラに囚われている保証はない。フレアや泡影の思い過ごしならそれでいい。どの道こうして一つ目族の本拠地を目指している以上、カンパネラ関係ないのなら関係ないでその後は岩の墓場を実に一つ目族共を挟撃するだけ。
そんな事を思いながら赤星はたまたま目の前にいた一つ目族の首を捥ぎその場にポイと置き去りにする。
「……相変わらずメチャクチャですね兄さん」
「頼りになる兄であって嬉しいだろ?」
赤星は強い。緋色の里の中でも頭一つどころか桁外れに強い。
魔人になる前からもそれなりの力はあったのだが、魔人となってからその力はさらに増し、今では草原まで手を伸ばしたとしても彼に敵はいないだろう。
彼は、赤星はフレアより強い。のだが、近接戦闘に長けた赤星と、遠距離範囲攻撃に長けたフレアとではそもそもが違う。そして赤星の弱点は炎、能力値では勝っていても戦いとなれば相性の問題でフレアが勝利するのは間違いない。
「俺の力はフレア様と村を出守る為に使うと決めてるんだ。もう間違わないさ」
もうすでに赤星はすれ違いざまに六体の一つ目族を倒している。その規格外とも言える力を目の当たりにし、泡影は心の底から安堵する。あの日……フレア様に会えて本当によかったと。会わなければ村……かつての里は既に滅び、赤星もきっと狂っていただろうと。
そんな誰よりも王として相応しい己の主への想いを馳せながら二人は駆ける。王の、フレアの期待に応えるために。
「……兄さんっ!」
「わかってる!」
村を出てから凡そ三時間。もうすぐ森を抜けて川を挟み、対岸にあるであろう一つ目族の居留地までもう少し。そこで泡影は何かを見付けた。遠く、ある程度に舗装……とまでいかなくても人が歩ける程度には整備された道の奥、丁度森の出口に当たる場所。
そこにいたのは漆黒の装甲鎧を身に付け、三又の矛を手に持った一体の蜥蜴人族。
浅黒い鱗の生えた肌にワニのように前方へと尖った顔付き、伸びた長い尻尾を地面に垂らしたその男は此方を鋭い目付きで睨んでいる。
蜥蜴人族自体は決して強敵ではない。中位魔族である大鬼族に劣る程度。泡影一人でも楽に勝てる相手だ……が、その体より発する強者としてのオーラがそれを否定する。
このタイミングで待ち構えているとなれば、それはカンパネラの手下である可能性もある。もしそうならばそんな雑魚を此処に配置するはずがない。
「泡影、まずは俺が仕掛ける。お前は後方支援を頼む」
「はいっ」
ならば先手必勝。油断できぬ相手であるからこそ、行動を起こさせる前に叩く。
利き腕である右腕に力を込める。元々筋肉質であった赤星の腕が倍近くまで膨れ上がり、その腕を地面を抉るかのように下弦の軌道を描き己の影へと拳を滑り込ませる。拳は影の中へと消え、そのまま対象の影の中から再び現れ足を掴む。動きを止めるためだ。
そこへ泡影の投げる無数の苦無がその蜥蜴人族へと迫る。
しかし、その蜥蜴人族の男は三又の槍を一振り、ただ一振り横に薙ぐだけでその苦無の全てを叩き落として勢いを付けてその槍を構え足元の赤星の腕へ。
「おぉ……危ない危ない」
「ったく、油断しすぎです」
寸での所で足を離し、影から腕を上げ戻して難を逃れた赤星の隣に泡影が降り立つ。まるで忍者のような身のこなし、元々身のこなしに特化していた彼女だが、毎日のフレアとの遊びでそれは最早下級魔族の域を超えてしまっている程に鍛えられている。
そんな彼女ですら目の前の男がただの蜥蜴人族の男ではない事には気付いている。槍を振った時のその速度、それは彼女の知る蜥蜴人族とは掛け離れている。あの速度での攻撃、避ける事は可能だが避け続けてさらに隙を見て攻撃するのは難しい。
ならばどうするか……、そんな事を考えている間に彼女の兄は既に駆け出していた。
「って兄さん!?」
「合わせろよ泡影」
もう蜥蜴人族との距離は十メートルを切っている。赤星の脚力なら一瞬だ。そう、一瞬。瞬きする程の短い時間で赤星は蜥蜴人族の男のすぐ目の前にて左足を滑り込ませ、そのままの勢いを利用しての左中突き。
その一撃は岩をも砕くと親友ジン太一押しの一撃、流石に蜥蜴人族の男も喰らえばただでは済まないと思ったのか、それを上体を捻るだけで回避。魔人の一撃を躱せす事事態が驚きなのだが、それくらいしてくれないと張り合いがない。赤星はそう笑みを浮かべた。
赤星は一魔族として、下級魔族でしかない影人の一人としては強くなり過ぎた。今では魔人となり、フレアの下で毎日の鍛錬を欠かさない。今では彼はこの地域全域において最強と名乗ってもなんらおかしくはない。
その赤星の一撃が躱されたのだから本来は焦る、またはこの蜥蜴人族の男に賞賛の声をあげたいところだが、別に躱されたからと焦る必要はない。何故ならこれは一対一ではないのだから。
「全く! 仕方のない兄さんですよ!」
上体を捻り赤星の一撃を回避した所へ泡影の横薙ぎの短刀の一撃。黒い頭巾で顔を隠しているのでその表情はわからないが、蜥蜴人族の男に取ってはとても凶悪なものに映ったのでないだろうか。
脚を曲げて跳躍し、上体も前傾しているが為に大柄な蜥蜴人族の男からして見ればとても小さな襲撃者。小さいが、とても凶悪な襲撃者。
この体勢からでは躱せない。
ガキィンッ、と金属と金属のぶつかる音。蜥蜴人族の男は腕に付けた金属の籠手にてギリギリのタイミングでその一撃を防ぐが、おかげで完全な隙が出来た。
「ッッ小癪なあァァッ!」
出来上がった隙へまたも、今度は泡影のしなりのある蹴りが蜥蜴人族の男の横顔へ。しかしその蹴りは読まれており容易く掴まれた。
と、同時に赤星の左下段蹴りが蜥蜴人族の男の左下腿へ強く捻じ込まれ、男は叫びながら三又の槍を大きく振り回す。
その槍を赤星も泡影も危なげなく躱すと一度距離を取る。
「強いですねあの蜥蜴。決まったと思ったんですけどね」
「俺も下半身吹っ飛ばすつもりで蹴ったんだけどな。予想以上に堅いみたいだな」
恐るべき防御力と反応速度である。だがこれで確信した。この男は間違いなくカンパネラの手の者だ。
「おい蜥蜴くん。お前、名はなんだ? それだけ強けりゃ名前くらい持ってんだろ?」
そこで赤星は問い掛けた。この強さ、明らかにただの蜥蜴人族ではない。自然にこれだけの強力な個体が生まれるとも考え辛い。
ならば誰か別の者の手が加えられたと見るべきだ。名を持っているかはそれの判断基準にもなる。
一族で代々伝わるものや、時折突出した能力を持って生まれた場合は名を付けられる事もあるが、これだけの強さで名持ちなら噂くらいは聞こえてもいいはずだ。
そんな赤星の疑問に応えるかのように、蜥蜴人族の男は槍をグルンと大きく回して石突きを地面にドスンと突き刺した。
「我は戦士アルベルト! 主の名によりこの戦に馳せ参じ、この場よりの敵の侵入を防ぐ役割を与えられし者なり!」
意外に良い声で蜥蜴人族の男、アルベルトは高らかに告げた。
その堂々たる佇まいは武人としての己に誇りを持っているであろう気高き心を感じさせる。
こいつは強い。赤星は本気でそう思った。アルベルトの纏うその覇気が、名を名乗った後に強く増したのだ。
今ではのは様子見のお遊びだったのだと、もしかしたらこの男も【魔人】の域に達しているのかもしれない、と。
ならば泡影には荷が重い、下がらせるべきか。ふと横目に泡影を見ると、彼女は赤星の考えがわかっているのか、ただ笑みを浮かべた。
(そうかい……わかったよ)
赤星は泡影を隣に引き寄せ、そして己の胸を、心臓の位置に手を当てた。
「礼に応えよう。俺が名は赤星、そしてこちら泡影。我らが魔王、爆炎の巫女姫フレア・イールシュタイン様に仕える戦士である。そして今俺達はこの先にいるはずの真の敵を討つために此処より先へと進む。我らが主の為、邪魔をする者には容赦は出来ん。道を譲ってくれる事を願う!」
せめて一言の台詞は欲しかった泡影も己が胸に手を当てている。心臓が激しく脈打っているのがわかる。緊張しているのではない。ずっと背中を追い掛けていた兄が並び立つ事を許してくれた。自身が愛してやまない魔王様を、兄も臣下として愛してくれている。それを感じる事が出来て嬉しいのだ。
そうして名乗り終わり、相手が道を譲ってくれる事を願ったが、そこはやはり簡単ではない。アルベルトは赤星の口上を聞き終えると、さあ始めようかと言わんばかりに中腰に槍を構えた。
「んじゃ、フレア様の為にさっさと終わらせるぜ?」
「もちろんです。足引っ張らないでくださいよ兄さん」
「俺の台詞だ妹」
そうして再びぶつかり合う二人と一人。繰り出されるアルベルトの槍の連突きを皮一枚で躱して打撃を与える赤星、反撃しようと拳を握るアルベルトへと短刀の刃をその腕に泡影が突き立て、苦し紛れに振るう槍に泡影は右肩を裂かれ血を流す。
だがそこに生まれた隙へ、鎧越しに鳩尾へと赤星の強力な鉤突きの一撃。分厚い装甲鎧にヒビが入る程の一撃にアルベルトも声を上げるがそこは蜥蜴人族の耐久力。動きが止まるどころか攻撃に激しさが増す。
そこまで打ち合って赤星は確信する。やはり俺の方が強いと。泡影ではまず勝てないだろうが、親友のジン太ならばギリギリ勝利出来るであろう強さだ。
(魔人に片足突っ込んでそうな蜥蜴人族に勝てそうって……どんだけ規格外なんだよあの豚鬼は)
赤星の目から見てもジン太は強い。成長の度合いが尋常ではないのだ。と、そんな事を考えながらも赤星は傷を負った泡影を庇いながらも攻撃を続ける。
攻撃の全てが必殺の一撃。赤星の攻撃はただそれだけで並の魔物を屠る。まともに喰らえばアルベルトとてただでは済まない。
「己ぇぇえええっ!」
次第に赤星と泡影の攻撃でボロボロになり、動きも鈍く散漫になったところに赤星の拳が脇腹に。遂に装甲鎧も砕け内臓を傷付けられて口から大量の血が。そして動きが止まり、首元へ泡影が短刀を突き付けた。
「勝負あり、ですよね?」
右肩を裂かれ、利き腕ではない左で得物を持ちいつの間にか外れていた頭巾の下の素顔、年頃の可愛らしい少女はニコリと笑みを浮かべている。
カラン、と槍を地面に落とす。実力の差はハッキリとしている。ならば最期は武人として……
「我の負けだ。命乞いはせん。殺すがいい」
ドスリとアルベルトはその場に座り込んだ。戦に負ければ命を取られるのは当然。そもそも命の取り合いをしていたのだ。それで負けたからと命乞いをする気はない。
なのに、赤星はアルベルトに手を出す気はない。泡影に至っては短刀の腰にぶら下げた鞘に短刀を納めている。
「情けをかけるか?」
「まさか、俺達がそんな甘っちょろく見えるか? 逆だよ逆……俺達をお前のボスの所まで案内しろ」
間違えないように、泡影は小柄で白髪で青い目の可愛らしい少女です。




