第二十一話 戦争前夜
雪が積もる程ではなく、それでもその姿をチラつき始めた頃にその事件は起こった。
それは神崎博之との物質受け渡しの日、約束の場所に来たのは彼ではなく、エスカトリーナ家に臨時で雇われているレオン・フリードリッヒ。
奴隷事件での顔見知りでもあり、何度か神崎博之に同行していた事もあるのでフレアもその事自体には驚かない。が、問題は彼が一人だという事だ。
神崎博之がいない。
体調でも崩したのかと聞いたところ、ある夜に急に失踪したとの事。
神崎博之が失踪する理由などない。彼はフレアとも懇意であり、エスカトリーナ家でもそれなりの立ち位置。彼が消える理由はその場にいたフレアとレオンにはさっぱりわからなかった。
そうなると次にフレアはレオンを連れて村へと戻り、泡影から話しを聞こうと。しかし、村に戻ればそこにはいつもの平穏は在らず。
彼女の目に飛び込んで来たのは怪我をした魔狼と獣人族達、狩りを担当し森に入っていた者達だ。中には擦り傷程度の怪我の者もいれば、骨を折るなど重傷の者もいる。しかし不幸中の幸いか、人数は減ってはいない。誰も死んではいない。
そこへ彼女の目の前に泡影と赤星が現れ、事の次第を説明。
狩りの連中は森の反対側、荒地に住む一つ目の一族だと。
「大体なんで一つ目の奴らが!」
「それはワシらにもわかりませぬ。狩りの時によく見かけるようになったとの報告はありましたが」
それはフレアも何度か目にしている。
たまに暇潰しに泡影を連れて狩りに参加し、その時に見掛けたのだ。
薄く青い皮膚、二メートル程のがっしりとした体躯、額より生えた一本、または二本の太く短い角、そしてその種族名を表す顔の中心にある一つの巨大な眼。
サイクロプスやギガンテスなど、単眼巨人族などの亜種と考えられている魔物達だ。
知能は得てして低く、村へと何度か単体で現れてジン太や赤星に追い返されていたくらいだ。
それが【侵攻】とはどういう事なのか。
「奴らはしっかりと隊を組み、我々を待ち伏せしておりました」
「隊を……か」
狩りを担当していた軽傷の亜人、狼男の報告を元に顎に手を当て考える。大した知能も無い連中が編隊など有り得ない。いや、蟻や蜂のようにそう言う本能的なものがあれば別なのだろうが、それすらも持たぬ烏合の衆でしなかったのだ。
と、なれば考えられるのは一つしかない。彼らを纏める指導者が現れたのだ。
と、なると奴らを纏めるのは何者なのか、たまたま有能な者が生まれたか、それとも……
「駄目ですフレア様!」
「こら離せ泡影! 早く行かないとアイツの命が危ない!」
「だから駄目なんです! フレア様が行けばフレア様が危ないじゃないですか! 奴の前にフレア様を出すのは私達としては見とれられませんし、そもそも奴の居場所わかるんですか!」
「問題無い! 雑魚を捕まえて吐かせるだけだ!」
慌てたように狼男を押し退け自身の家から飛び出そうとするも、それを泡影に腕を掴まれ、その隙に赤星に家の入り口を塞がれる。
こんな一つ目族程度、十や二十集まった所で敵では無い。所詮下級種族だ。
問題はその後ろにいる奴なのだ。
何故こんな辺鄙な村を狙う? 神崎博之の失踪といいタイミングが良過ぎないか?
そこから導き出されるものは一つしかなかった。
「離せ泡影! 退け赤星! これは命令だ! 奴は私が殺す! カンパネラは私が殺す!」
全てはフレアを絶望させる為に。彼女の拠り所を失わせる為に。
考えばならなかったのだ。あの奴隷事件の時に。
あの刻印は間違いなくカンパネラとフレアを繋ぐ呪いの絆だ。それを破壊した神崎博之をカンパネラは許すだろうか? 絶望に染めたはずのフレアにまた希望を持って生み出させた男を許すだろうか?
答えは否。許すはずがない。
今回の神崎博之の失踪、それはカンパネラが噛んでいると考えるのが普通だ。
そしてカンパネラは神崎博之を殺しはしない。殺さないだけできっと再起不能にするだろう。フレアに罪悪感を植え付ける為に。
だからこそフレアは神崎博之を助けに行こうとする。
だからこそ泡影達はフレアを止める。
「落ち着いてくださいフレア様! 今フレア様がそのような行動をとったら村はどうなるんですか!」
「そうだぜフレア様。此処でフレア様が暴走する……それこそがやつの狙いじゃないのか?」
赤星はカンパネラの事をよく知っている。だからこそ確信を持って言える。
今フレアが動くのは握手でしかなく、また奴はそれを待っている。でなければ神崎博之程度、拉致するまでもなく殺しているはずだと。
「じゃあなんだ! 私にアイツを見殺しにしろって言うのか!」
「だから落ち着いてくださいフレア様! 貴女はなんでこんな時くらい私達を頼ろうとしないんですか!」
「当たり前だろうが! 奴は危険なんだ! お前達を危険な目に遭わせられるはずがないだろうが!」
「なら! 私達が大事だというのなら! それこそ私達を信じてくださいよ!」
互いに怒鳴りあう少女達。その異様な雰囲気にレオンは逃げ出したく、狼男は既に逃げ出している。
泡影達にはフレアの気持ちが痛い程よくわかっている。だからこそ自分達を信じて欲しい。
「……っ、それとこれとは違うだろ!」
「何も違いません! 答えてください……フレア様は私達を信じてくれてますか?」
フレアの腕を掴んだまま、泡影はフレアの芽を強く見据える。
フレア様を信じてついていく、フレア様が間違えた時は体を張ってでもそれを止める。
それが本当の臣下だと、泡影はフレアを強く見据える。
「……信じてるに決まってんだろ」
「なら、何も問題はありませんね? ねえ兄さん」
「そうだな、んじゃ遅くなる前に行くぞ泡影」
「……は? 赤星? お前何……おい、泡影?」
信じてる。その言葉を聞いたその瞬間に泡影は手を離し、赤星の隣に並び立った。
彼らが何をしたいのか、どこに行くのか全て分かっている。聞く必要などない。だが聞いてしまう。
そして帰ってくるのはただの一言。
「神崎博之を助けに」
家を出て行こうとする二人、フレアはそれを呼び止め二人は動きを止めるが振り返らない。もう決めたのだ。止めても無駄だと。
ならば、彼女が出来る事はただ一つ。
「……わかったよ。あいつを頼んだぞ泡影、赤星」
「確かに承りました、フレア様」
やはり二人は振り返らず、己が左胸にドンと手を当てそう言った。
これで我らの行動はフレア様より直々の命令、軍事における初任務。ならば失敗は許されず、失敗する事は有り得ないと泡影と赤星は去って行く。
相手は赤星を狂わせ、フレアを子供扱いして呪いを刻み込んだ恐ろしい……でもなく、単に危険な男。
「……赤影、ジンギとジン太を呼べ。一つ目襲来に向けて作戦を練るぞ」
しかし、もう信じると言ったのだ。ならば、信じて待とう。そして戦おう、彼らの帰るこの場所を守る為に。
「さてジンギ、奴らの正確な数は?」
「凡そ五百ですじゃ」
「……やけに多いな。そんな数の戦士がいたとは思えなかったがな」
「恐らくは一族の者総出でやって来ているのでしょうな」
「って事は、実際の戦闘員はその半数……多めに見ても三百ってとこか」
「まあ、少なく見積もるよりは現実的な数字ですな」
夜も更け、月が雲に隠され村は闇に染まっている。現在は雪は降っておらず、雪解けの地面がぬかるみ、簡単な足を持って行ってしまう。
そんな時間のフレアの家の前、広場になっている場所に村の住民、赤星と泡影を除く総勢六十三名が集まっている。
女も子供もだ。
男も女も、子供も大人も、人間も魔物も皆が正面に立つフレアを見ている。この里が村となり、そして住民も僅かながら増えてきた頃であるのに……やはり順調にはいかないかとフレアは苦い表情を浮かべる。
そもそも相手の予想戦闘員の数は三百、総兵力は五百。対して此方は戦闘員として使えるのは丁度四十名。それと戦闘に長けた者ではなく、純粋に体力があり動ける者の数字だ。
この村での実質的な戦闘員は建築が一先ず済んだ事により結成した警備班十八名と、フレア、ジン太、赤星、泡影を入れた二十二名。二人は今はいないので二十名しかいないのだ。
その兵力差、約十五倍。これはかなり絶望的な数字である。
いくらフレアとジン太が強くとも限界はある。
「誰も死なず奴らを追い返す事が理想だ……が、それが夢物語だってのはわかってる。だから最悪……私達はこの村を放棄してまた別の場所に集落を作る。その可能性もあると頭に入れておいてくれ」
村は滅びても人がいればまた立て直せる。カンパネラという強い不安要素はあるが、今はどんな形であれ民を守るのが先決だ。
「で、戦闘が開始した場合の行動を今からみなに伝える。重要な事だからしっかりと聞いてくれ」
そうしてフレアは最近城壁都市国家ダムドより仕入れた紙に同じく仕入れた鉛筆で作戦を記していく。
「まず、奴らの侵攻拠点は森の西の外れ。此処に奴らのキャンプがあるとの情報だ。普通に考えて五百の軍なんだ。そのまま森の中を突き進んで来るとは考え辛い。だから奴らを叩くのは此処、森の中道を進んだ所にある【岩の墓場】、此処が一番迎撃に適しているポイントであり、逆に言えば此処以外では私達にはチャンスはない。岩の墓場を越えられたらこの村が第二の戦場となるのは間違いない」
岩の墓場とはこの森の中央より少し村に寄った位置にある開けた岩場である。そこは先に陣を取れば天然の要塞。大小の岩が縦横無尽に迷路のように入り組んでおり、ゲリラ戦……兵力差の激しいこの戦闘で勝ちうる唯一の戦場だ。
そしてフレアは最近はよく泡影と共に遊んでいたので地理には詳しく、簡単な地図を描き皆に配っていく。
「その地図に記されているのがお前達の配置だ。前線には私と警備班が立ち、後方支援として十名を除いた狩り班をジン太が指揮する。残り十名の狩り班は村の非戦闘員の護衛、そして万が一の時は逃がす役目だ」
「フレア様、それは少しお考え直しくだされ」
「赤影……なにか不備でもあったか?」
「大有りです。フレア様はジン太殿と配置をお代わりください。フレア様は前線には出てはいけないお方だ」
いくらフレアが強くとも、直接戦闘に参加するのは認められない。万が一で王を失うなどたまったものではない。その赤影の言葉にジン太、ジンギが頷く。
フレアも彼らの言いたい事はわかっている。だが、この配置がベストなのだ。
「確かに強さで言えばジン太でも何も問題はないが、ジン太は範囲攻撃技を持たん。私の炎のようなな。だからまずは私が炎で敵の数を減らし、警備班が残りを討ち、ジン太が指揮する後衛が警備班をフォローする。これが一番被害が少なくなる。この戦闘の目的はただの勝利ではない。如何に被害を少なくしての勝利を目指しているんだ」
この村には他にも数名魔法や能力を使える者はいる。しかし、彼らは得てして力が弱く、魔王の加護を受ける為にこの土地へとやって来たのだ。つまり、現状では能力持ちで戦闘を行えるのはフレア一人なのだ。
そう、故に感情論を抜きにすれば、フレアが前線にて炎で敵の数を減らす。これ以外に方法はない。
「そもそもな、私はお前達を纏める魔王だ。この村を国とし、その国を統べる王だ。ならばお前達は安心して私の背中を見ていろ。魔王と呼ばれる者がどれだけ凄いのかをな」
言葉の終わりと同時、彼女の両手に炎が灯る。それは鮮やかで美しく、何よりも彼女の強い意志を宿した心高ぶる力の証。
「考え方を改めようか、今日より私達はこの森を越えてその周囲、大草原にまでその支配域を拡大する。この戦闘は、戦はその為の足掛かりだ。覚悟を決めろ! 死ぬ覚悟でなく生き残り私の為に生き続ける覚悟だ!」
両手の炎を地面に叩きつけ、それは太く高い火柱となり夜空を照らし、それは一つ目族のキャンプからも見える程に雄大な炎であった。




