第十七話 独房
フレアは夢を見ていた。
それは幼い頃のものでも、近い過去のものでもない。それは未来の夢。
要塞ともとれる巨大で頑強な城の上で、深紅の軽鎧に身を包み、同じく赤いマントを羽織った彼女が火に包まれる台地向けて剣を構え、それを合図に幾万の魔物の軍勢が動き出す。
全てを破壊し、蹂躙し、燃やし、殺し尽くす悪魔の軍団。それがフレアの指示で、フレアの意思で誰かの大切な者を殺戮していく。
そして同じくフレアの大切な者達も、フレアの指示で意思でその命を危険に晒し、そして死んでいく。
眼下に広がる地獄絵図。燃え盛る炎がその罪を隠していく。燃え盛る炎が誰かの命と誰かの積み上げた大切な何かを燃やしていく。
誰も笑っていない。皆が苦しんでいる。
その光景の中で笑っているのは二人だけ。
フレアと、その隣にいるカンパネラだけである。
彼女の胸にはカンパネラより刻まれた呪いの刻印。楽しそうに、嬉しそうにそれを指で押しなででカンパネラは笑い、フレアも笑みを浮かべてカンパネラへと寄り掛かる。
その眼下では大切な者が死んでいく。
ジンギも、ジン太も、泡影も赤星も、赤影や里の者達も……皆が死んでいくその中で、フレアとカンパネラだけが笑っていた。
「うわぁぁぁあああっ!」
「ぬぐっほ!!」
夢だ。そうこれは夢なんだ。夢だったんだ。フレアは叫びながら飛び起き、同時に額に何かの衝撃、何かを吹き飛ばした。
余程に、最高に愉快で不快な夢だった。嫌な汗が止まらない。何故あんな夢を見たのか……フレアは己の左胸へと視線を落とし、そっと手を当てる。
感じる。確かに感じる。そこに刻まれた呪いともとれる刻印が、奴の存在が左胸を通して確かに感じられる。
「これも夢ならよかったのにな……」
ポツリと呟いた。無理矢理に唇を奪われ、体を触られ、そして胸には呪印を刻まれた。これでもう私は奴からは逃げられない。
里の皆に迷惑を掛けてしまうなと、あの夢の通りになってしまうのではないかと、様々な想いが彼女の中を駆け巡る。
だからだろうか、今いる場所、服装、そして先程の悲鳴、その全てに気が付いていない。
だからだろうか、すぐ側に彼がいるのにも気付かずに、取り敢えず旨の刻印を確認しようと学ランを脱ぎ出したのは。
「はいストーップ!!」
「……は? はあぁぁあっっ!?」
絶叫。それも当然だ。服を脱ごうとした所に突然男が現れたのだから。いや、元々いたのだが。
「……て、神崎博之? なんでお前が此処に?」
「なんでって、てかお前何も覚えねェのか? ……て寝てたんだから仕方ねェか」
「覚えて? ……ッッ!?」
そこでフレアは思い出した。それで己の今置かれている異常性に気が付いた。
彼女が覚えているのはカンパネラに最後までされてはいないが、それでも穢された事、胸に刻印をつけられた事、そしてそのままはだけた胸を隠そうともせず、そのまま泣き疲れて寝てしま_____
「………………。」
「おい、なんでそんな変態を見る目で俺を見る」
「いや、そもそもなんでお前が此処にいる? 見た感じ、何処かに囚われているようにも思えるが、お前が此処にいてわたしがお前の学ランを着ているって、それって……」
「いやいやいやいや待て待て待て待てっ!確かにお前はあられもない姿だったけど、だからこそ見ないようにして俺の学ラン着せたんだよ!」
慌てて覗き魔の汚名を晴らすかのように顔を横に振り、身振り手振りで身の潔白を主張する。事実神崎博之はフレアの肌を見ていない。少ししか。
あの時、待ち合わせの時間になってもフレアが現れなかったので探していたら、森の入り口付近で倒れているフレアを見つけたのだ。
そして近付いてフレアの格好を見て慌てて己の学ランを着せたのだ。
「冗談だ。お前の事は信じてる。状況はまだよくわからんが、その怪我を見るに助けてくれたんだろ? 感謝する。ありがとう」
と、そこまで言ってからフレアは現状を確認する。
まずは場所だが、石造りの狭い部屋で、水桶が一つと鉄製の扉が一つ。扉には小さな覗き穴が付いている所から此処は独房とかその辺りだろう。
そして次は己の首元の違和感。恐らく首輪が付けられている。これは何なのか……やはり予想はつく。試しに火を出してみようと思ったが出ない。どうやら魔力を封じるのか、魔物のチカラを封じる類の首輪だろう。
最後に全身に殴られたような痕があり、ボロボロの神埼博之。
以上から察するにこれは……
「盗賊か奴隷商人……まあどっちにしても売られる前の捕えられてる状態ってところか」
恐らく神崎博之がフレアを見付けてすぐ、たまたま近くを通りかかったならず者集団に襲撃され、そのまま此処に拉致されたという事だろう。その際、今フレアが無事な事を考えると神崎博之が体を張って助けてくれたのだと推測出来る。
「ふむ、まあ何にせよ、この状況はマズいな」
「そうだな。このままだとフレアの里の人達も俺らの街の人間がフレアを攫ったんだと勘違いしちまうもんな」
「いや、それはないだろう。ミケとクッキーが先に私の危機を伝えに里に助けを呼びに行ってたし、こうなった原因がお前ではない事くらいはわかっているはずだ」
「あのネコ本当にただのネコか!? ……てかよ、お前が助けを求める事態ってなにがあったんだ? 確かにあの時のお前の状態は普通じゃなかった」
神崎博之にとってフレアはプライドの塊。それが助けを呼ぶ事態……余程の事だろう。そしてあの時のフレアの格好、胸に刻まれていた趣味の悪い刻印。あんな趣味の悪いのはフレアの趣味でないだろうと、フレアならさらに趣味が悪そうなのを選ぶの神崎博之は推理する。ならばそうなった原因は、恐らくフレア以上の魔人が現れ、穢されたのかと。
もしそうならば許せない。神崎博之もフレア自体に恋愛感情は抱いてはいないものの、彼にとってフレアは大切な友だ。それを傷付けられて笑ってはいられない。なのだが……
「落ち着け。お前のその……考えてるような事まではされてない。確かに不快ではあったが、そこは流石に守ったさ。まあプライドはズタズタだがな」
壁に寄り掛かり、思い出したくもないであろう事を思い出し、身震いして左胸に手を当てる。
そのふとした行動で神崎博之は確信した。彼女の左胸の刻印、あれは彼女を蝕むなにかなのだろうと。
ならば助けたい。友を助けるのに理由はいらない。助けたいから助ける。
そう思いグイグイとフレアに詰め寄る神崎博之。いつもなら此処まで近寄られたら問答無用で焼くのだが、今は能力を封じられているので今のフレアは少し身体能力が高いだけの小娘だ。此処で襲われたら抵抗など出来るはずもなし。
故にフレアは怯えている。カンパネラとの事を思い出し、それこそ子供のように目に涙を浮かべて、ジリジリと部屋の隅の方へと逃げていく。
別に神崎博之はフレアを助けようと近寄っているだけなのだが、ただそれだけでフレアが此処まで怯えている。よっぽど怖かったのだろう。
だからこそ、心を助けたい。
神崎博之はフレアの手を掴んだ。ビクッと肩を震わせるフレア。
手が震えている。これは心までも、完全に忘れトラウマに囚われている。
「フレア、俺はお前を裏切らねェ。そしてお前を助けたい。成功するかなんてわからねェし、お前にとっちゃ相当恥ずかしい事かもしれねェ。だから無理にとは言わねえェ、でも俺を信じて欲しい」
きっとフレアの心の傷はその刻印によるものが大きいのだろうと神崎博之は当たりを付けている。そしてそれは正解である。フレアの心は刻印によりカンパネラと繋がっている。故に何をしようと、何を成そうとそれはカンパネラに伝わり、逆にカンパネラからのもしかしたら思念のようなものを植え付けられたりする可能性も捨て切れない。不安しかないのだ。
「でも、助けるったってどうやって……?」
「俺の能力だよ。俺の左手は例外はあるけど、大体の能力や魔法を最大三つまで吸収してストックする。そしてストックの中から任意のものを右手で放出する。使った分はもちろん無くなる……吸収さしたものをそのまま吐き出すだけ、使い勝手悪い能力だよ」
多少なり自虐は入ったが、それはフレアからしてみれば強力無比な能力である。常に右手で吸収した魔法などを放出さし続ければ、左手で半永久的に相手の魔法を吸収、それこそヒーローのように無効化出来るのだから。
しかし、それは結論を先に言えば不可能である。神崎博之曰く、吸収さと放出は同時には出来ず、吸収して放出、放出して吸収など、続けて使う時は一呼吸の間が必要となるのだ。
達人同士の戦いになれば、その一呼吸の間は致命的だ。
「てなわけで、俺の左手でお前のその刻印を触ればそれを吸収出来るかもしれねェ。あくまでも可能性だけどな」
「……なあ、お前の言いたい事はわかったが、その前に質問をいくつかいいか?」
「ん? ああ、言ってくれ」
「つまりお前はやはりあの時に私の胸を見ていたと、そして今もその左手で揉む気だと?」
己の胸を両手を交差させて隠しながら、全然しおらしくないが、本人はしおらしいつもりでそう言葉にした。それに冗談なのだが、神崎博之は一生懸命に否定してくる。そんなつもりはなかったんだ、ごめん、と。
そんな必死さにフレアも多少の落ち着きを取り戻し、僅かな可能性に賭けて神崎博之の案に乗る事にした。この男なら下手に興奮して間違いを犯しましたなどという結末にはならないだろう。
「ふふ、冗談だよ。私はお前を信用してしてるし、本来なら私からお願いするような事だ。だから、ある程度は羞恥には耐えるさ」
そう言って、フレアは神崎博之の言葉を待たずに学ランを脱ぐ。その学ランの下にはあの時に生々しくはだけさせられた服。フレアは真っ赤に染まる顔を己の両手で隠し、ただ一言頼むと呟いた。
………………此処はフレアの尊厳を守る為、その結果は、結果はだけを先に述べよう。
結果は半分成功だ。彼女に刻まれた刻印の上半分だけが消えた……いや、吸収された。その吸収した刻印はすぐに右手で宙に開放して散らす事にも成功した。これでフレアの左胸に残ったのは逆さの黒いハートマークのみ。
全部は消えなくとも、正直かなり安心した。少なくともこれで全てがカンパネラの思い通りではなくなったと。心の余裕も少しは戻ってきた。
「ふむ、そうか、つまり半分はただ私の胸を揉む気だったのだと」
だからだろうか、少しはこのように冗談も言える。フレアは己の服のボタンを閉めながら、それでも恥ずかしかったのだろう顔は真っ赤に染まったままそう切り返す。
神崎博之もこのような経験自体は初めてだったのだろう。ただただ顔を真っ赤にさせてそんなつもりはなかったんだと必死に弁解を始めている。
「冗談だよ。頼んだのは私だ。それに本当に半分消えたんだから感謝してる。だから何も言わないが、可能なら流石に恥ずかしいから忘れてくれると助かるかな」
小さく微笑み、相変わらず楽しい男だと神崎博之と目を合わせる。地味に気まずい空気が二人の間に流れていた。
もう大して夏の暑さは感じられなくなってきましたね。皆様はどうお過ごしでしょうか?作者がこの作中で一番大好きな神崎くんみたいないろいろな事件には巻き込まれないようには気をつけてください。ヒーローを目指すとこうなりますので。ちなみに、私のイチオシキャラは泡影とジン太くんです。